鉄道風景・千歳船橋
半年ほどまえ、とある夢を見た。その夢の中で、僕は自転車にのっていた。よく晴れた青空の下、光の冴え返る水面をたたえた、美しい湖が目の前にひろがっていた。湖には橋がかかっていて、それは八つ橋のようで、じぐざくとしつつ先の方まで続いていた。橋が狭すぎるからか、欄干が備え付けられていなかったからか、記憶があいまいなのだが、この橋を渡ることができない、そう思った。ところで、湖にはもう一つ橋がかけられていた。横長の楕円の曲線を帯びた、丸木橋なのだが、奇妙なことに湖面にむけて右側30度ほど傾斜していて、ジェットコースターのコースの残骸のように橋としての機能性を失っていた。ここもわたることができない、そう思っていると、自分が佇む湖岸に、中高生と思われる若い人々が歩いているのを見つけた。自分はその子たちに、なぜか後ろめたさを感じていた。(うしろめたさをいつ感じたかは記憶があいまいである)どちらの橋もわたることができない、そう思って立ち止まっていると、自分の中に突然として、ある確信が湧いてきたのを感じた。それは、こんな確信だった。「この橋は千歳船橋である。」ここで、夢は全く別の場面へと移ってゆく。
この夢を見てただちに思い出す、個人的な体験がある。
所属していた合唱団の練習会場が世田谷区の区民会館であったことをきっかけに、世田谷区を自転車で走るまわることが多くなった。その結果、世田谷線、小田急線、京王線と縁があまりなかった私鉄沿線の街々を体感する機会を多く得ることとなった。そんな街の一つに、小田急線、千歳船橋駅周辺がある。この区域にも「桜丘区民集会場」という練習会場があり、幾度となくお世話になっていたのだが、この夢を見る2年半ほど前、千歳船橋駅のそばで、ある印象深い出来事に巡り合った。その後、合唱団は解散、練習会場を利用することはなくなったのだが、それでもこの「千歳船橋」駅周辺には、その印象深い出来事が起きた場所であったからか、なぜか心惹かれ、散歩がてら自転車にのっては、喫茶店に行き、読書をしている。この土地に向かう、あの道を走る、ただそれだけで、ある種の内的な世界に浸ることができるのだった。その感覚の中にいることが、読書するのにはうってつけであった。こうした個人的な経験が夢を見る以前にひかえていたとはいえ、何の根拠も、何の文脈もない「この橋は千歳船橋である」という確信、この確信は、自分にとっての、この場所との巡り合いをより一層考えさせたことにまちがいはない。「地名」が意味をもって立ち現れてきた夢は初めてであった。
夢を見たのち、考えていて驚いたことがある。それは「千歳船橋駅」の駅名にはたしかに「橋」という文字が記されていることである。とはいえ、その事実を夢以前に意識したことは一度もなかった。当たり前である。私が自転車散策をした限りにおいて、水辺も、そして印象的な橋も、千歳船橋エリアには存在していないから。(緑道があるから、あの下は川の可能性が高いが、それ以外には思いつかない)おそらく、命名の在り方からしても、あのエリアは歴史上のどこかの時期において「水辺」を有していたに違いない。世田谷区の地理誌、歴史はまだ知らないが、調べていく必要性を感じている。それは僕自身の何かと深く関係性をもっているだろう。
もう一つ、千歳船橋エリアを散策していて、ふかく記憶に残っている場所がある。それは秋のころだったと思う、いつ走っている道やら、高架下やら大通りやらに飽きて、一本奥まった細い道、住宅街の道を走るという楽しみ方を知ったころ、このエリアを自転車で走っていて、現代の東京から離脱するような雰囲気を帯びた、ひっそりとした空間が千歳船橋駅の近くに突然現れた。線路沿いから脇にそれるとすぐ、小高い丘のようになって、ひっそりとした茂みがあって、それが「道祖神」だった。「道祖神」について、詳しいことはまだ勉強していないが、その地域の守り神のようなもので、ある地域に出入りする物や人、疫病、そうした人の力ではどうしようもないものから地域を守ってもらうために祈りがささげられた場所であった。線路沿いすぐのところにこうした異質な雰囲気の場所があったせいか、強く印象に残っているのであり、この「道祖神」の思い出も、夢の出来事と、どこかでつながっているように思われてならない。
こうした話を、いわゆる「オカルト」とか「スピリチュアル」と捉える人もいるだろうが、自分の確信はそうした意見で揺らぐものでもない。というのも、一連の出来事は「心の動き」だけが手がかりとなってつながっている。頭の生み出した理屈や計算ではどうにもならない、「自分の」といいつつ、いつも自分を超えている働きをする「心の動き」を自分は信頼しているからである。小林秀雄や柳田国男が言っていたように、「心の動き」、これだけは自分の意志で勝手に作り出せるものではなく、その充実した体験の中にだけ、統一した自分自身が存在しているのだが、一方、現代人はそうした「自分の心の動き」、自分自身の感情に正直にならず、頭によって理解しえないものは「オカルト」と葬り去ってすませようとする病に取りつかれてしまった。「オカルト」という言葉を使う人々は自分がある「立場」にたって意見を述べているにすぎないということがわからない。というより、「オカルト」という言葉を吐く人は、いつも虚ろな声で、誰でもない声で、小林秀雄の言葉でいえば「ニヤッと笑い」ながら、そういう言葉を自分が口にしていると気づかない。
教師として子供と日々接することではっきりと気づいたことがある。どんな合理主義者もどんな理屈屋も、子供のころはみんな「スピリチュアル」であったということだ。子供たちと話すと、驚きの連続でしかない。例えばある文章に関連して「予知夢」の話になった。大人なら、「予知夢」と聞いて「ニヤっと」笑うだろうが、授業中、一体何人の生徒が自分の体験を真剣に語ったことか。それをさも当たり前のように語っている生徒の様子を見て、自分がいかに鈍感なのかを痛感する。合理主義者として生まれた人間などいない、ただそうさせられてしまっただけである。子供たちが幼く未発達なのだというより、大人が自分の感性を極端に鈍感にしてしまっただけにすぎない。最近はそうした大人が「客観的」という言葉を歪曲して使い、そうした美しい言葉の下、自分自身の鈍感を隠しているように思われる。「事実」しからわからないだけなのに。これは一つの意見というより、教師を体験すればだれでも気づかざるを得ない、日々の実感である。「何でもかんでも信じるのは愚者だが、頭では理解できない不思議なものごとをすぐに馬鹿にし、拒否する人間は、さかしらな人間にすぎない。人生の出来事、世の出来事は、よくよく考えてみれば、一体どこに不思議でない出来事ことがあろうか。」という言葉を常にかみしめていたい。