フィールドワークとして生きる

村上陸人

グリーンブック


 前回に続き、映画の感想で。《グリーンブック》という映画を観た。60年代アメリカを舞台に、黒人ピアニスト、ドン・シャーリーとイタリア系用心棒のトニー・リップの人間模様が描かれる。ピアニストのドン・シャーリーはトニーを運転手兼用心棒雇うのだが、それはアメリカ南部へツアーに出るためだった。62年当時は人種差別が激しかった。特に南部は激しかった。黒人が当時南部でツアーを行うのは、かなり危険なことだった。トニーはとにかくめちゃくちゃ強い。ニューヨークのクラブの警備として、どんないざこざも封じ込めてきた。そこを買われ、ドン・シャーリーに用心棒として雇われるのだが、トニー自身は気が向いてない。黒人に雇われるなんて屈辱的だと感じ、周りのイタリア系の仲間からもバカにされながらも、給料が非常によく、ちょうど失業中だったので受けることに。

 ツアーを通し、二人の関係性は変化していく。最初は最悪。ドン・シャーリーはトニーの粗雑な言動にうんざりする。ドン・シャーリーはピアノの才能を見込まれロシアで教育を受けたスーパーエリートで、マナーに厳しい。黒人に雇われるだけでストレスを感じていたトニーは、雇い主の意味不明なほど堅苦しい振る舞いにうんざり。旅の道中、ドン・シャーリーはトニーの言葉遣いの悪さを注意する。もっと洗練された話し方をしなさいと。トニーは気にかけない。知ったことかという様子。

 ある時、暴力に頼るのは良くないと諌められたトニーがドン・シャーリーにこう言い放つ。「俺はあんたより黒人だ」と。ドン・シャーリーは黙っていられない。「黒人でも白人でもなく、人間でもない私は何なんだ」。いずれの社会でも異端扱いされるドン・シャーリーの境遇は、イタリア系コミュニティに居場所を持つトニーにとって新鮮だった。ぶつかり合いを重ねるうちに、段々と相手の気持がわかってくる。


 他人への理解を深めるには、ある程度の強制力が必要だと思う。一見不可解な異質な他者ならなおさらそうじゃないだろうか。必要もないのに、わざわざ他人の価値観を理解する労力費やそうとは、思わない。怠け者なので、楽な場所があれば安住する。旅は、安住から抜け出す丁度いい強制力を与えてくれる。旅先では他人のルールに従わなくてはならない。州の法律、土地の慣行、食べ物、宿の設備、細則など。また、同行者とも折り合いをつけなくてはならない。他人と四六時中行動をともにしていると、色々なところで相手と自分の違いに出くわす。映画の中で、2人がフライドチキンを食べる場面がある。車旅でケンタッキー州に入ると、トニーは喜々としてフライドチキンを買ってくる。運転しながら、素手でむしゃむしゃと食う。ドン・シャーリーにも勧めるが、不衛生だと断られる。ナプキンも食器もなく、どうやって食えというのだ、とのこと。こうやってさ、と素手で食べ続けるトニー。一向に食べようとしないドン・シャーリーの潔癖に、トニーはとうとう耐えかねる。押し付けるようにしてチキンを無理矢理ドン・シャーリーに渡す。慌てるドン・シャーリー。手や服を汚さぬよう、指先でつまみながら、恐る恐る口にする。食べてみると美味しいようで、ぺろりと食べ切る。顔を見合わせて笑いあう。半強制的に渡されたジャンクフードで世界を広げる。