DigItal-AnaLog(ue) —言葉にとって美とはなにか

白石火乃絵

葉月四日


口述筆記ということについて考えている。たゞ話すのともちがう、書くように話したものを、あらためて書き言葉にうつしてゆく。書き言葉と書き言葉のあいだに声コトバが挾まる。そこにはたゞ書くのともちがう何かがあるはずだ、


戦後、晩年ちかくなった小林秀雄は、依頼された講演を、いや〳〵ながらにもを重ねていくうち、それを書き言葉にうつすという作業のなかで、それまでになかった何か(﹅﹅)を得てゆく。それらはやがて代表作のひとつである「信ずることと知ること」として実を結ぶ。


文筆家としてすでに達人の域に達していたであろう小林秀雄でもそうであったというのだから、火乃絵にはなおさら、やってみなければわからぬ類(たぐい)のものだろう、昨日の夜(今朝)にとった録音をまずは、なるべく修正を入れずに書き起こしてみる。―


…できあがったところで、こんどはその原稿を書き言葉に直してゆく。それらを竝べてみて、こゝでは読者とゝもにその秘密をさぐってゆきたい、


           ⁑


まずは書き言葉として、「子供の目 -Spinoza's eyes-」という題名のあるまとまった文章に書き下したものをみる。(話は二部にわかれていて、第一部は「スピノザの眼」について、第二部は「小林秀雄の創造」について話している。こゝでは、第一部のみとり扱う。)


書き起こしのほうではなるべく話者の息遣いを採り入れるため、改行や、句読点、その他のきごうなどを利用してある。それにたいし書き言葉のほうでは、話者の息継ぎではなく、あたらしく書き手の呼吸が入ったものとなっているはずだ、


(論考のあと、末尾に書き起こしを附す、これを読むのは興味の深い読者に限るだろう。また、YouTubeチャンネル「白石火乃絵【STAFF Note】【サンオウ通信】」に音源をあげるつもりなので、読むのが苦手な人はそちらをおすすめする。なにより読者には、火乃絵などのものでなく、新潮文庫の『学生との対話』(小林秀雄)に「信ずることと知ること」の二つのテクストがあり、講義じたいの録音も世に出ているので、先を読み進めるよりそちらへ赴いたほうがよい、—というのはたゞの常識ろんであって、それとてこうして自らやってみることにはとおく及ばないだろう。とにかく自分でやってみなければわからない、ということは村上の「フィールドワークとして生きる」の主題でもある。わたしはこゝにひとつの不完全な、或る間違った、拙(まづ)いやりかたを提示しよう…)


           *


「子供の目 -Spinoza's eyes-」

白石火乃絵


言葉が降ってきて、彼女は白金高輪のドン・キホーテのあるほうからいつもの散歩みちに合流するほうへ、這入ろうとしていた。


…たぶんわたしはドン・キホーテをみていた、よるのなかで光っている、中(なか)のお店の明かりがあって、物たちの光があって。それまでにも、そこまでの道を歩いてくるときにもいくらか予感のようなものはあって、信号を渡る。目黒通りの、白金高輪のドン・キホーテの前についたとき、


〝Spinoza's eyes〟


お店のなかに、なにか袋にものを容れているおんなの主婦のような人。その、どこか影絵のようにもみえる、…人影、…物が光で人が影で。中のレジで買っている人。店から出ていく人。入って来る人。たれかを待っている人。自転車に乗ろうとしている人。街には、脊なかの通りには車の音がいっぱいきこえていて、そのライトがかすめていく、


《それら美くしいものがなんなのかわからない》


……そこから先のいつもの散歩みちに合流していくとこでも、もう、なん百回と通った道が、どこか知らないみちを歩いている、まっすぐいけば(まっすぐと云いつゝグネ〳〵するけれど、)道なりに行けば崖のかいだんまでつくような。すべてが…美くしい、みたことがない、美くしい、というか、その…美くしいというのもひとはなにかその美しい体験が、美しさというものがすでにあるうえで結びつけてきれいだね、とかいうそういう美しさじゃなくて、美しい(﹅﹅﹅)というよりかは。はじめてみる、美くしい…というより、その、生まれてはじめてみるような、それはなんでも猫でも車でも、空き缶でも、アスファルトでも、雲でも空でも木でも、フェンスでも。金網でも。ぜんぶはじめてみる、なんなのかわからない。


そこにいたるまでは音楽をきゝながら街を歩いていた、そして…秋のどくとくの空気、なにかすべての条件がいっちしたとき、みたことがない伽藍のようなものがばあっと立ち上がってきた。


…そのときわたしはとてもひとりぼっちだった。ふだんなら兄がいっしょに来てくれて一緒に歩いていた道を、ふたりでいつも歩いて帰った恵比寿のMからいつも同じ道で歩いて帰ったその道をひとりであるいて、独りで散歩するよりもっとひとりぼっちに…なれるような状況があって、そしてそのひとりぼっちを嚙みしめていて…さびしい、さびしい…さびしいけど、それで…なにかつらいとかいうんじゃなくてもっと、たゞさびしい、というなか不思議な道を歩いてきて、音楽をきゝながら、坂を……恵比寿から山をおりて、また白金高輪の山を登って。その頂上のあるところに、おかしな伽藍のようなものが…


そして狹いまっくらな細道のようなところを辿って崖のかいだんについたとき、


…道の途中、或る家があって、窓がこう…上から下に…下りる窓があいていて、上になって中が見える、家みたいとこ、家…なにか、家でも…仮住まいのような、お店のようなものとひとつになっている、どくとくの家。宝石のクォーツの原石を売っている、ショーウィンドウから原石がみえるとこの住居部分で、二階に上ぼる…お勝手のようなところがあって。そこにおばさんがいて…なにをしているんだろう、顔を洗ってる? 水で、―いや洗ってない、おばさんが台所のようなところで…電燈のない暗いとこで…店から漏れる薄ら燈かりしかない、お勝手のようなところで…なにかの所作をしている、それはたぶん日常にある、寝る前の、歯磨きのような、―歯磨きはしてない、どこかでよくみたことがある、でもはじめてみるようなそれをわたしは覗き込んでいる、影絵のなかの世界。暗室。暗い陰の。陰影のせかいのなか、おばさんが何かの所作をしている…それがふっと窓の外から、―家の内部がみえる。外の路からふだんは見えるはずのないような家の中(なか)、そして視られているともまったく気づかず、しぜんの所作を、生活の所作をしているおばさん、―その夜でも明かりの点いているショーウィンドウの、いろんな宝石の(おおきな紫水晶(クオーツ)とかの、)原石が並んでいるところで、そのおばさんが、いつもは正装というか、黒いセーター生地の、もっとうすもの(﹆﹆﹆﹆)みたいな黒の…おんなの、肌にはりつくような服にぶろーちをかけているような、上品なかんじの、(わたしのマミイと呼んでいた父方の祖母をおもわせる、日本人ばなれした大きな躰の、痩せ型だけども骨のがっしりした…フォルムをしている、貴婦人でもないような、―のとはちがう(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)、)日本人のもっと痩せて背のちいさいおばさん、そのときはおそらくパジャマを着ている、わたしがみたときは、いつもとちがう、陰影の中の人。そういう風景が視えていて、瞬間。すれちがうさらりーまんのおとこの人、その影がのびていて駐車場の明かりと光と延びる影と道、―道もどこか先のみえないような。わたしは歩いているのに、歩いていることを忘れている、道がぐん〳〵迫ってくる、歩いているんじゃなくて、道が迫ってくる(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)。なにかもう…そういったなかで。すべてが永遠せいみたいな、おかしなトキのなかの、袋にものを詰めている主婦のような〈女〉の影と、あの《おばさん》が、とくに灼きついている、あのふしぎな声といっしょに……


せかいがひとつになったような気がした。


            *


ジャズピアニストのビル・エバンスが、1966年の「The Universal Mind of Bill Evans」のなかでこのようなことをいっている、

あらゆる芸術分野の中で

ジャズだけが―

アメリカで生まれ

世界に紹介された―

唯一のものだ

ここ数世紀の中でね

しかしジャズは

クラシック音楽の歴史を―

なぞっているとも言える

17世紀のクラシック音楽は

即興(◎◎)が もてはやされたんだ

当時は録音技術が

なかったから―

音楽を永久に保存する術(すべ)が

全然なかったんだ

だから音楽を

譜面にするしかなかった

やがて音楽は 楽譜を

いかに解釈するかになり―

的確な解釈と知的な構成が

クラシック音楽の―

主流となり 即興的側面は

消えてしまった

今いるのは作曲家と

解釈者だけだ

作曲家が即興を入れる事は

非常にまれだし―

18世紀の頃は

その必要もなかったんだ

ジャズも同じような

経過をたどり―

今やジャズは形式(スタイル)であると

考える人の方が多くなった

だが ジャズは作曲の

過程そのもの(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)なんだ

1分の音楽を1分で

作曲するという事だ

クラシックは1分の音楽を

3ヵ月かけて作ったりする

そこだけが違うんだ

ところが歴史的な背景を

考えるとジャズは―

アメリカの音楽や文化の

影響を受けた音楽であり―

その意味では形式的と言える

否定はしないが 決して

忘れてはならないのは―

ジャズは自然発生的な創造の(○○○○○○○○○)

過程そのもの(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)だという事だ

ショパンやバッハや

モーツァルトのように―

即興すなわち瞬間を音楽に

表現できる人たちは

ジャズ奏者と同じだ

形式ではないんだ

僕は そう思っている

創造の過程としてのジャズで

一番スリリングなのは―

録音したレコードを

あとで聴く事だ

録音中の出来事を確認して

びっくりする

それに これは面白い事だが

優秀な作曲の先生ほど…

もちろんクラシックのだが―

音楽(﹅﹅)は(﹅)即興的(﹅﹅﹅)に(﹅)

響かなくて(﹅﹅﹅﹅﹅)は(﹅)ならない(﹅﹅﹅﹅)と―

生徒に教えている

つまり芸術としての

音楽というのは―

自発的(〇〇〇)な要素が

なければならないわけだ

だからこそ ジャズは

スリリングなんだ

音楽を自発的(〇〇〇)に

作れるんだからね

あえてにほん語字幕の行分けのまま(﹅﹅)採録した(ダッシュを半角に、傍点・傍丸・傍線等はひのえ)。これを聴いたとき、火乃絵はいまじぶんのためしている口述筆記におもいあたった。〝1分の音楽を1分で/作曲する〟というのは、まさに〝話す〟ということである。書くのとちがって話すということは、改稿することができず、また、まったく同じお(﹅)しゃべり(﹅﹅﹅﹅)をくりかえすこともできない、一回性のものである。そしていまこれを書きながら末尾に附そうとおもっていた喋り(﹅﹅)の書き起こしを、即興てきに挾み込みたくなってしまう、


           ⁂


「スピノザの眼」〈書き起こし〉

白石火乃絵


葉月の三日、サンオウ押入から、午前七じ一〇分まえ、

いま、『火乃絵のロクジュウゴ航海日誌』の第二百五十三日、昨日の、日誌を書いていたところなんだけども、

まあ、いちおうここで書き終わってもいいのかなというとこまで書いて、で

さいごの一行をかくときにね、

ねむけで、眠りの底にひきずられそうになってるとこで、なんとか最後の一行をかいて、ひとだんらくはつけたんだけども。

きのう、髪の毛をね、また色を染めて、ブリーチもしたんだけど、それでやっぱ、頭皮に、ダメージがあると、そのあとに急激な眠気におそわれるというのが毎回あって、

それが来ているんだけども。―


まだ、ほんとは書きたいことがあったんだけども、ま・でも

予期しなかったことを書いて、というか、いまゝで書いたものゝうちにすでに書きたかったものもけっかてきに書き尽くされているのかなっていうとこで、まあ文章としては、おわりでいいんだけども、


ちょっとまだ、話したかった、書きたかったことがあって、

そのなかのひとつでもあるんだけども、ちょっと、口述筆記っていうのを、いまゝでやったことがないんだけどやってみようかなとおもって、

今から寝て、次の日になって、もしかしたら日誌のね、昨日の、日誌のつゞきとして書きおこせるかなっておもって、ちょっと

口述筆記というのを、試してみよっかなというので録ってますということですね、


まあでも、無意識というかな、なんかそういうところからどん〳〵掘り出せるように、まあいまゝでの【STAFF Note】【サンオウ通信】と同じようなかんじだね、で話そうかなとおもってて、―


航海日誌のほうにね、Spinoza's eyesというのを書いたんだけども、

その〝Spinoza's eyes〟というコトバが降ってきて、そのときにね ぼくは

白金高輪のドン・キホーテがあるとこらへんからいつもの散歩道に合流するほうへ、街を歩いて入ろうとしていたんだな、

そのときに〝Spinoza's eyes〟っていうので、

そのときぼくはたぶん…ドン・キホーテをみていたんだな、よるのなかで光っていて、なかのお店の明かりがあって、商品の光があって、なんだろうな

そのときの光景っていうのが、―

ま・それまでにもね、そこまでの道を歩いているときにも何回か予兆はあって、

さんどめの予兆ぐらいのときに動画を回しはじめて―音楽と一緒に、録って、でもその動画は少し作為があるんだけども、そのあとに四回目の予兆がきて、それはなにも動画も回さずに、五回目の予兆でもういっかい動画を回してね、それで写ってるかはわからないんだけども。


で、信号を渡るんだな―目黒通りの、白金高輪のドン・キホーテについたときに


〝Spinoza's eyes〟


そのときのお店の光景がね、

―つまりぼくたちはいろんなものを関係づけてみている、

ドン・キホーテというお店があって、お店の商品があって、商品の値段の書いてある…パッキンされた…値札の大きな手書きの紙があったり、買い物している人がいたり、

そういう風にぜんぶをいまゝで経験してきたものゝなかから関係づけて

みているんだな

だから 不思議なものではない、

ぼくはそこにドン・キホーテがあることを知っているし、

ドン・キホーテというのはお店だし、そこで買い物をしている人がいるのも普通だし、

商品というのも、ドン・キホーテというお店で売られている、仕入れしてね、それで定価にして売っているっていう風に

ぼくたちは学習と経験によって、街を歩いていても

そしてぼくはそこのドン・キホーテのまえをもうなん百回と

とおっているわけだけども、

そういうふうにすべてを

知っている、既知のものとしてとらえているわけだけど、

だけどその関係性がぜんぶとっぱずれちゃうときがある、

つまり、あたかも、たま〳〵、偶然、突然目の前に

ドン・キホーテというか、なにかこう、お店のようなものがぼーんと突然でてきて

それがあたかも、―そしてぼくはじぶんで歩いているのに

あたかも偶然そこに生起した、継起、せいきしたかのようにあらわれてくる、

すると、お店のなかに、なにか袋にものを容れている、女性の

主婦のひとみたいな、人が居たり、

で火乃絵はみているときは

そんなのもわかんないくらいのところにいて、その映像のきおくを素に、

いまは常識てきそれがその主婦のようなひとで、ドン・キホーテでというのがわかるんだけど、

そのときの体験としては、そんなのもいっさいない世界が

火乃絵のまえにひらけているわけね、そして

そのどこか影絵のようにもみえる、その…人影、…物が光で人が影で、中にもレジで買っている人とか、お店から出ていく人、入って来る人、たれかを待っている人、

自転車に乗ろうとしている人とか、街に、

うしろの通りには車の音がいっぱいきこえていて、

そのライトがかすめていったり、―


そういうすべてが偶然になってしまうせかいに、とつぜん入ってしまうんだな、

必然てきに経験てきにわかるものがいっさいない

ぜんぶがその瞬間しゅんかんにぜんぶ火乃絵のもとに降ってくるような。

そういう世界にぼんと入ってしまった、そして唯一の、〝Spinoza's eyes〟というコトバ、声がきこえたんだな、声、声のない声のようなものが

きこえてきた。―

それについてね、その描写がしたかったんだ、文章によって、そのいま火乃絵がいまこうしゃべっているときにはわかるように、ドン・キホーテのとか

いまの地点からみて常識てきに捉えなおして話すことになってしまっているんだけど、

そうじゃなくて、そういう

関係づけのないところにいた、見たそのまゝを文章にできないかなっていうので―力尽きてしまっているんだけど、

そしてまだその技量はまだないのかな、…


(スピノザについては航海日誌のほうにあるからそれを読んでもらえればわかるんだけど、)


その直接的な、それを書きたい(もはや詩の世界なんだけど、)

書きたいという気持ちがまだ残りながらも、もう目があけていらんない ような

もの凄い眠気にこう…瞼が下ろされてしまっている状態なんだけども、

ぜんぜん上手にも話せないし。―


そこから先のぼくのいつもの散歩みちに合流していくとこも、ずっとそれが発動していて、もう、なん百回と通った散歩みちが、どこか知らない道を火乃絵は歩いている、まっすぐいけば(まっすぐと云いつつグネグネするんだけども、)ま道なりに行けば崖のかいだんまでつくような、

すべてが…美くしい、みたことがない、美くしい、というか

その…美くしいというのもひとはなにかその美しい体験とか、美しさというものが

すでにあるうえで、

結びつけてきれいだね、とかいうそういう美しさじゃなくて、

美しいというよりかは。

はじめてみる、っていう、その、生まれてはじめてみるっていうような、それは

なんでも猫でも車でも、空き缶でも、アスファルトでも、雲でも空でも木でも、フェンスでも。金網でも。ぜんぶはじめてみる、っていう

なんなのかもわかんないみたいな状態なわけね…


そして、よく必然者とか(航海日誌にも書いたけど、)いわれるスピノザはまったく逆で、

汎神論という、自然とかじぶつとか事象すべてが、神さまのあらあわれであるというかね、神さまそのものであるっていう、ように、汎神論ってとこでスピノザは括られているんだけど、

それを哲学てきな形而上学てきな神さま、神、とかいう概念の、そういうのじゃなくて、―すべてが偶然、偶然しかないっていう世界、世界、その見え方のようなもの、

(ひとびとのあいだでは汎神論ってことになっているけど、)

それはもっと、哲学とかの話じゃなくて、そういう

つまりスピノザの、直接的に、ちょくせつに見ているっていう、

そのことなんだよね大事なのは。世界を直接にみているっていう

つまり関係づけのないような偶然の世界が、視ているんじゃなくて もう

やってくる、降ってくるっていう、―

〝到来する〟

そういう世界の見え方、それをみている眼を たぶん

〝Spinoza's eyes〟ていう声は教えてくれたんだろうな、

これがスピノザに見えていた世界だよっていう、

そしてぼくはスピノザの眼になって世界をみているんだなっていう、


―だから、そういう図書館とか本棚とか大学とかにある、竝んでいる、そういう哲学のれきしとしてのスピノザじゃなくて、

スピノザがみている世界はこうなんだっていうさ…


…それはいまになっていえるけどね、そのときのぼくは

「Spinoza's eyes…Spinoza's eyes…」っていゝながら、

わかもわからず口にしながら、道を歩いていたんだな。―


リルケが(これも航海日誌に書いたけど、)「ドゥイノの悲歌」というのでね、

天使というのは、ふれただけでぼくたちはもう粉々に砕けてしまうような、触れることのできない天使というのがでてくるんだけど、だけど

美は、かろうじて、火乃絵たち人間がこう…触れることのできるもの、でもそれも

ふれることができるのも、美のほうで、火乃絵たちをとるにたらないものだとおもっているからだ、っていうような表現がされているんだけど、

とにかく、そのリルケの美というもの、

そのあとに委託というのがでてきて、人間っていうのはそういうじぶつの、事物たちの委託を受け取ってそれを表現する詩人、詩人なんだっていう…


ヘルダーリンというおなじドイツの詩人で、勲し―勲しっていうのは勲章とかね何々賞とかね仕事でもなんでもいいんだけど、肩書き、〝勲し多けれど、しかも人はこの地上に詩人として住まう〟っていうようなことをいっていて、

詩人というのはとくべつな職業とか勲しではなくて、

人間というのは、詩人として、コトバとともにこの地上にすんでいる、そしてその

言葉っていうのがリルケが事物から受け取る委託のことで、それを美といってもよくて、そして Spinoza's eyesに見える世界というのは、あらゆる事物が委託となって到来するような世界なんね、

それをぼくはずいぶんまえから、とくに去年の夏ぐらいから ずうっと

頭ではわかってた、頭ではわかってた。そういう言葉を受け取ってはいたけど、そして何度かそういう瞬間もあったけども

こうも自覚できるかたち、というより長期間、長時間にわたって、その世界のなかにぼんと入ってしまったのは、

ほとんどはじめてといっていいんだよね、

そのふっと、ふっとした瞬間とかそうのはたくさんあって、そういうときに、なにもしなかったりそのまゝだったり、

詩を書いたり、写真を撮ったりはしてきたけども、

ボンともうそのものゝなかにはいってしまった。だからもうそのときは詩を書くとかというとこにまでも行かないような、もう

すべてがそれになってしまっているという中に這入ってしまったということなんだよね、―


これは、リルケの「若き詩人への手紙」っていうので、若い詩人のカプス君というのに、リルケは励ましの手紙を送っているんだけども、たくさん。

とにかく身近なとこからはじめなさい、と。あたかもあなたはそれを生まれてはじめて いや、

この人類にあって初めてそれを視る人のように、

事物を…風景でもなんでもいいけど…身近にあるもの・とるに足らないものを見なさいっていっていて、


あるいは、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」というのゝなかに、

一郎がそのまえの晩に山猫から手紙をもらってうれしくて

をかしな〈めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。〉

という、をかしなはがきをもらって、なぜか一郎くんは飛び跳ねるようによろこんでよるもなか〳〵寝つけないなかに、

次の朝になって目覚めると、まるで山がたった今

〝たったいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて〟

っていう風に、

山がその場で創造されていくような文章が書かいてあるんだよね、

一郎君のまえでまさに山が創造されていく、旧約聖書の創世記のような神さまの創造っていうのがもう目のまえで起こっている。

(その旧約聖書の創造神っていうのは、)

(ユダヤ人であるスピノザのいう神さまにもつながっているんだけども、)

(スピノザの神さまは、それを、こう…いや、うーん…スピノザのユダヤ…スピノザ

が読んだ旧約聖書の神さまかな―読んだ、うん、読んだっていっていいかな。)

(読むっていうのはそういうことだね、ふつうの本を読むとか以上のこと、)

(読むっていうこと。)


そういう、それこそたった今できたように

(いまならドン・キホーテっていえるけど、)

なにかへんな伽藍のみたいなものがぼくの前にばあっと立ち上がってきちゃったんだな、

それにいたるまでは音楽をきゝながら街を歩いていた、そして…秋のどくとくの空気、なにかすべての条件がぼんといっちしたときに、そして

ぼくはとてもひとりぼっちだったんだな、そのとき。

普段なら辻がMINTにいっしょに来てくれて一緒に歩いていた道を

ひとりでじぶんで(ひとりで散歩するときにはそんなことおもわないんだけども、)

普段はいるはずの辻がいなくて

ふたりでいつも歩いて帰った

恵比寿のMINTからいつも同じ道で歩いて帰った

その道をひとりであるいて、なにか一人でじぶんで、独りで散歩するよりも

もっとひとりぼっちに…なれるような状況もあって、

そしてそのひとりぼっちを嚙みしめていて…

さびしい、さびしい…さびしいけど、それで…なにかつらいとかいうんじゃない、

もっと

たださびしい、というなかで、

そしてそのみちも、もう一本めの散歩道のようなものかな、ぼくにとっては。不思議な道を歩いてきて、そして音楽をきゝながら、そして坂を、恵比寿から山をおりて、そしてまた白金高輪の山を上って、その頂上にあるところに なにか…

おかしな館のようなものが急に目の前にあらわれたんだな、

その瞬間に、ぼくは入ってしまった。

そしてそのまゝ歩いてふだんの散歩みちに合流して

崖のかいだんに行ったときに、なにか、入ってしまった世界と元いた世界がひとつになったんだな、

それだけ〝崖のかいだん〟というのはぼくになじみの深い場処で、

そのいつもいる陽の宇宙から、陰の宇宙、マイナス宇宙のような

すべてが偶然の、マイナス宇宙にぼんとはいってしまって

そこから細いまっくらな細道のようなところを辿って崖のかいだんについたときに、

その陰と陽がひとつになったせかいに戻ってきた。

―戻ってきた? いや、ひとつになったから戻ってきたんじゃないんだな、

そしてぼくはしばらく街をみながら、いつものように崖のかいだんに竚ずんでいたんだな、


           ⁑


そのドン・キホーテのところから崖のかいだんまでの道の途中で、或る家があってね、窓が、こう…上から下にこう…下りる窓があいていて、上になって

中が見えて、家みたいとこ、家…

なにか、家だけど…仮住まいのような、なにかお店といっしょになっている家なのかなぁ…なにかどくとくの家があってね、

それは宝石のクォーツの原石を売っている、ショーウィンドウから原石がみえるとこの住居部分で、二階に上ぼる… いや、

お勝手みたいなところがあって 

そこにおばさんがいて…なんだろ、なにをしていたんだろう、顔を洗っていたのか、水で―いや洗ってない、おばさんが台所のようなところで…

電燈のない暗いなかで…

店から漏れる薄ら燈かりしかない、お勝手のようなところで…

なにかの所作をしていた、

それはたぶん日常にある、なんだろう、寝る前の、歯磨きのような、歯磨きはしてない、でもどこかよくみたことがあるような、でもはじめてみる、

そのときははじめてみているような

おばさんがある所作をしていて

それを 火乃絵は  Spinoza's eyesでみているんだな、

影絵のなかの世界。もう

暗室、暗い陰の、陰影のせかいのなかで、おばさんが何かの所作をしている…

それがふっと窓の外から

家の内部がみえる。

萩原朔太郎の、

窓の内部にいる人の、足がぼやけてえ幽霊にみたいになっているみたいな詩があるんだけど…

内部の人が畸形に見えるみたいなのがあるんだけど… その、

外の路から

ふだんは見れるはずのないような家の中、そして視られているともまったく気づかず、しぜんの所作を、生活の所作をしているおばさんがいて、

そして火乃絵はよくその、夜でも明かりの点いているショーウィンドウの、いろんな宝石の(紫水晶(クオーツ)のでっかい原石とかね、)原石が並んでいるところで、

そのおあばさんが

其のお店のような、

ちゃんとした正装というか

黒いセーター生地の、もっとうすいやつみたいな

黒い…女性の、肌にはりつくような服で

ぶろーちをかけているみたいな、上品なかんじの、

―それはぼくの父方のマミイと呼んでいた祖母をおもわせる

顔とか体格はぜんぜんちがくて、

マミイは日本人ばなれした大きな体の、

痩せ型なんだけど骨ががっしりした フォルムをしている、

貴婦人でもないような

…のとはちがう日本人のもっと痩せて背のちいさいおばさんなんだけども、

そのときはたぶんパジャマを着ている、火乃絵がみたときは、いつもとちがうんだな、

―でもそのおばさんというのもいまになっておもえば一致できるけど

そのときはもう陰影の中の人なんだな、

そういう風景が視えていて、

瞬間、すれちがうさらりーまんの男の人、その影がのびていて

駐車場の明かりと光と延びる影と

道、―道もなにか先のみえないような

火乃絵は歩いているんだけど、歩いていることを忘れているんだな

道がぐんぐん迫ってくる、

火乃絵が歩いているんじゃなくて、道が迫ってくる

なにかもう…

そういうなかで

すべてが 永遠せい になってしまっているような おかしな時間のなかの、

ドン・キホーテで袋にものを詰め込む主婦のような人の影と その

《おばさんの影》

―が…とくにのこったな。


火乃絵は映像記憶と呼ばれるものがあって

その光景っていうのが、ぜんぶ、そのまま、それこそ動画のように、一枚絵じゃなくて、写真じゃなくて、動画としてぜんぶのコマが記憶されてしまうというのがあって、

でも火乃絵は すこし不完全で、

いついかなるときもそうなんじゃなくて

これまではある興味の集中の仕方、それこそ

フラッシュを焚いて、カメラを、シャッターを切るようなところで、

一枚の画像とかを、

とくに印象に灼きついてしまうことによってそれが残るというのがあって

でもぜんぶが記憶されるなんてことはぜんぜんなくて しかも、

その集中の度合によっては、すべてが写った写真になるまれなときもあれば、

《基本てき大体てきには》

穴ぼこの空いたある部分しかみえないあとがぼんやりしているような映像のきおくになるんだけども、それは集中度合によってかわる。

それが今回はドン・キホーテがボンとあらわれてから崖のかいだんに行くまでの道が、すべて、

たぶん極限の集中状態というか、あるいは極限の集中がほどけた〝無・集中状態〟のようなところで、ぜんぶがのこっている、

これはもうなか〳〵ないことで、


それこそドンキ・ホーテにつくまでの道で何回か録画をしたりしているんだけど、

(火乃絵がみている光景をね、)

でもう、動画を撮る必要がなくなってしまった、なぜなら

―ぜんぶ覚えているから。

いまになったら一個一コ結びつけることは可能だけども 

たぶんそのときは、つまり人間は、初めてみたものはぜったいに忘れない、

いちどもみたことがなかった人間がみた海や象や…

そういうものはぜったいに忘れない、

(でもなぜか初対面の人の顔とかだけは忘れやすい、なぜか人間だけは別なんだけど)

たぶん初めてみたものは人間は忘れないっていうのって、だからこそつまり、

もう記憶容量とかゞどこかにいってしまって、まっさらな状態だから、そこにはぜんぶが保存されるというのは、これは、理にかなっていることだなとおもう、―いま話してておもったけど。

なぜなら火乃絵は関係づけがなくて、まっしろな白紙をもってしまっているから、まっしろな地をもっているから、もうそこにぜんぶがそのまゝ記憶されてしまうっていう、

そういうことなんだろうな、

つまり火乃絵がいまゝでとき〴〵映像記憶が発揮できていたのも、

その瞬間には あらゆる関係づけがなくなって、

シャッターを切るような瞬間に、一瞬の・白地をつくって、そこに、それがそのまゝ灼きついているんだろうな、というので

いまフロイトの〈マジック・メモ〉というのが何をいゝたいかっていうのがちょっとようやくわかってきたな、

フロイトさんが「マジック・メモについてのノート」という文章を書いていて

―それでいゝたいことがわかってきた気がする、


意識が喚起されなくなる、そういう瞬間があって、そこにフロイトさんは時間の根本概念なんていっちゃうんだけど、それじゃなくて、その意識の喚起システムのようなもので、それがぜんぶなくなる瞬間というものがあるっていう、むしろその瞬間こそすべてが灼きついてしまう瞬間であるっていう、つまり

意識が途絶えることによって記憶とか、それまでの論理とかいうものが遮断されて、どこかにそれまでのものが忘れ去られてしまうという、忘れのほうにフロイトさんは着眼をおいているんだけど、

火乃絵はいまはもうそうじゃないなって、

その意識がダウンして、それまでの記憶とか流れとかっていうものがいったんぜんぶ無意識におじゃんにされたときに

意識のまっ白なキャンバスのとこにすべてが灼きついてしまう

という状態、

そしてそのダウンがすごい長かった、火乃絵のばあい、今回。


あらゆる条件が揃って火乃絵がそこに這入ったんだろうな、これは

まず街からのうながしがあったし、秋のね、どくとくのよるの街、都会の。


火乃絵が人為的にじぶんの意志でなにもやったことはなくて、

もう、なにかに導かれるようにぼんと入ってしまったというので、―


去年の夏に出遇った、ルイ・アルチュセールという人に「出会いの唯物論の地下水脈」というテクストがあって、それで去年の夏にそれが分かったってなった瞬間がぼんと来たときがあって、それから一年以上ようやくたっていま、やっとそのまゝに体験できたという、やっと哲学的な内容が実体験として持てたという、非常におどろくべきことが今日起きたようっていうこと。―


一回そういうのがあると、いまゝでのぜんぶがつながってくる

フロイトの〈マジック・メモ〉とかなんでもいいけど、もう

貯まってたものがばばばばばんとつながりだしちゃうんだよな。


でもやっぱりいつも以上にひとりぼっちになれたというのが一番大きいんだろうな、

その世界は詩がない世界、或は、すべてが詩であるような世界なんだな、


子供の目っていっていいもかもしれない、

火乃絵はさっき、芥川さんとかそのあとそれを引き継いだ川端さんとかの

〝末期の眼〟にたいして、

〝つねに始まりの目〟って書いたんだけども、

たんじゅんに子供の目っていっていいかもしれない。―


           ⁂


これを読んだ後でもういちど書き言葉の「子供の目 -Spinoza's eyes-」を読み直してみると、火乃絵のほどこした作業の逐一が浮び上がってくる。(こうしてじっと見比べることができるのも書き言葉ゆえのことだ、)


二つの文章を見比べてひと目で判かるのは、書き言葉のほうが短い(﹅﹅)ということである。この指摘はあまりに常識てきすぎるかもしれないが、そういうことにこそ本質はつきまとうものだ。つまり、喋りことばは一回性(﹆﹆﹆)ではあるが、抑揚とリズムとも合わさって、聴き手の耳と心にぢかに訴えかけることができる。たいして、書き言葉においては、それらのないかわり、反復(﹅﹅)することができる。一行に足を留め、竚んだり、道を引き返して、何度も読み直したりすることができる。だから、なるたけ簡潔であったほうがいゝ。情緒より、想像力に訴えかけるのだ。そのためには余白がいる。しゃべりはそこを埋めようとしてつい〳〵長くなる、判断や感情や応答としてではなく、なにか内容のある体験なり、考えなりを知らない人に短く話すには、文章による訓練がいるだろう、寡黙などという性格のはなしをしているのではない、


情緒といったが、そのとおりの意味である。直接にせよ、録音にせよ、声コトバは声調や抑揚、呼吸の間、顔がみえるばあいの表情や身振りを有ち、話している内容以上の内容を含む。空気を介し、相手の皮膚にまで伝播する。ただしそれらは論理ではなく、ことばでは言い表しようのないものである。言い表しえないから、話は長くなる、―たまの鎮むまで。およそ饒舌でない幽霊などいやしない、『遠野物語』の文章の奥には遠野人(びと)たちのながい〳〵しどろもどろ(﹆﹆﹆﹆﹆﹆)があったろう。―かれらの実感を損なわぬ柳田國男の簡潔。それを可能にした書き言葉には、そうした声コトバのもつ直接せいはないが、そのかわり先人たちによって賄われてきたいくつかの創意工夫がある。


その代表かくが句読点(◎◎◎)だろう。そも〳〵和文や漢文には、点や丸など附されていなかった。なくとも解ったのである、しかし、読み書きが役人聚から大衆へと拡まってゆくにつれて、そういった工夫が起こってきた、なぜか。大衆にとって文章はあくまで声に出して読むもの(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)と思われたからである。句読点はその便宜のため永い時をかさねて編み出されてきた、


大衆にもむかしから歌や唄はあったが(『万葉集』第十四巻におさめられた東(あずま)歌(うた)など)、口から口に、心から心に伝えられたものであって、文字などなくても、いっこう構わなかった。文字にのこされたのは、大陸から文字が輸入されたゝめ、というよりも、それらが失われつゝある、という実感が当時の知識人らが裡に起こったがためなのだろう。


ひらがなもカタカナもともに、大陸からやってきた漢字をもとにつくられた。それよりまえ、万葉集の編まれたじだいなどには、萬葉仮名が用いられた。多麻河伯尓左良須弖豆久利佐良左良尓奈二曾許乃児乃己許太可奈之伎。かくのごときである。あきらかにいまのわたしたちの漢字の遣い方とはちがう。漢字の音だけ仮りている。しいていうなら「河」「児」字は、漢字の音だけでなくイミをも利用しているといえる、「たまかは」はやはり「玉川」にちがいなからろうが、ここにはすでに萬葉仮名を附した編纂者の解釈が含まれ、もしかすると「珠皮」のごとき別のものであった可能性もゼロとはいえない。のちの本歌取りなどで、或るまちがった解釈(ほんとうはそんなものないのだが、)が定着することがある。これは現代でも身近に起きていることで、「延々(えん〳〵)と」というのを、書くときに〝永遠と〟とかき、それを読んだ人が、こんどはその意味で「えいえんと」と口にするがごときがそれである。これは、はなしことばのもつ性格のひとつともいえようが、変化のさいに文字が影響しているということを強調しておく。情緒と一体なった声コトバだけでは、こうしたまちがいは起こりようがない、そこには解釈の余地がないからだ。論理がなくとも、肌感覚をとおして伝わってしまう。―ついでに先の歌をひらがなに直おしておくと、


たまかはにさらすてつくりさらさらになにそこのこのここたかなしき


こゝにはない濁点もまた、句読点とおなじく後年に加わって来たものである。おそらくちょんちょん(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)がなくとも、口に出せばしぜんと濁っていたのだろう。時代が下ってそこらへんがおぼつかなくなってくると、そのとき〴〵の学者によって、時代にあった濁点(ヨミ)が句読点とゝもに解釈として附されてきた。たとえば現代のわたしたちは折口信夫の、


玉川に晒(さら)す調布(てづくり)、さらさらに、何ぞ、この児の、ここだかなしき


という解釈(ウタヒ)に立ち会うことができる。生きた呼吸のきれ間に、読点(テン)が譜されている。五七五七七の型に機械てきに合わされたものではない。他の歌では、

恋しけば袖も振らむを。武蔵野の白朮(うけら)が花の、色に出な。ゆめ

といった風に、息継ぎの微妙をあらわすため句点(マル)も合わせて用いられている。

このどくどくの句読法を万葉学者としての折口信夫だけでなく、歌人にして詩人の釈迢空もまた、けっして個人てきの趣味でなく、日本語の文章のみらいのために欠かせぬあたりき(﹅﹅﹅﹅)のこゝろ遣いと考えていた。

 私の歌を見ていたゞいて、第一に、かはつた感じのしようと思ふのは、句読法の上にあるだらう。私の友だちはみな、つまらない努力だ。そんなにして、やっと訣る様な歌なら、技巧が不完全なのだと言ふ。けれども此点では、私は、極めて不遜である。私が、歌にきれ目を入れる事は、そんな事の為ばかりではない。文字に表される文学としては、当然とるべき形式として、皆で試みなければならぬ事を、人々が怠つて居るだけなのである。短冊・色紙にはしり書きするのと、活字にするのとは別である。だらしない昔の優美をそのまゝついで、自身の呼吸や、思想の休止点を示す必要を感じない、のんきな心を持つて貰うては困る。そればかりか、かうした試みを、軽い意味に考へ易いのは、文字表示法に対して、あまり恥しいなげやりではないか。技巧に專念であればあるほど、字面の感じにまで敏感になる。漢字と仮名との配合や、字画の感触などにまで心を使ふのは、寧ろ誇るべき事である。しかも其よりも、一層内在して居る拍子を示すのに、出来るだけ骨を折る事が、なぜ問題にもならないのであらう。


ふるくは、ひらがなは和文に、カタカナは漢文の訓(ヨ)み下しに遣われた。紀貫之の『土佐日記』冒頭に〝をとこもすなる日記といふものをおむなもしてみんとてするなり〟とあるが、ここでまねばれて(﹅﹅﹅﹅﹅)いる(﹅﹅)和文はおんなたちのもので、男どもはもっぱら漢文だった。紫式部は、当時にあってはまだめづらしかった漢文の素養をもつ女性のひとりであったので、地(ヂ)の和文に漢文脈のブレンドされたあたらしい(﹆﹆﹆﹆﹆)文章(﹆﹆)を書くことができた。和文おんりーでは『源氏物語』のような世界文学の古典は生まれることがなかったと断言してよく、以降、貫之が に き(○○) の影響もあいまって、数数の女流文学が花ひらくこととなり、男どもそれによく学び、いまや、あたらしい文章(﹆﹆﹆﹆﹆﹆﹆)、すなわち漢字交じり仮名文(◎◎◎◎◎◎◎◎)は、表現に向く文章にとって欠かせぬものとなりおおせた。(明治以降、欧米語をはじめとする諸外国語が這入って来てからも本質はかわらない、ただカタカナが増え、公的文書も漢文ではなくなったくらいのことである。)


           ⁑


表現に向く文章、とかいたが、書き言葉は、大きくいえば二つの傾向に訣かれている。ひとつは表現に向き、もうひとつは政治に向く。


政治に向く文章のほうでは、表現の方からあたらしい文章がおこった後でも旧態いぜん、もっぱら漢文が用いられて来た。情緒を要さなかったゝめである。いやむしろ、情緒は論理にとって厄介でさえあった。ロンリは男たちの政治の原理であった。文字は権力(アウラ)を背後にくろく(●●●)後光した。政治の理想はつねに大陸にあった。大陸の制度を輸入した、ということはつまり、大陸の文字を輸入したということである、およそ文字ナシの制度というものはかんがえられない。


そも〳〵大陸で生まれた漢字というものは、皇帝が宇宙の意志をきくためにもちいたものであった。というより、宇宙をわがものにしたかった王は火であぶった骨のキレツに神意をみた。漢字の起源(オコリ)である。


政治形態が、占いから論理へと移るにしたがって、漢字もまた呪術てきのものから、記号てきのものへと移り変わってきた。広ろい大陸で、人人はほうぼうのことばを話していた。それらを切って単一言語に束ねることはできない、大衆の情緒と深くむすびついているからである。だから訓(よ)み方は任意(◎◎)とした。ただし意味はひとつ(﹅﹅﹅)とする。なぜだか、読めなくとも文字からは、或しゅの強制がはたらくようだった。〈文〉に叛くことはすなわち権力に逆らうことをイミした。それらがやがて法を成す。          《次号につづく》


附録「小林秀雄の創造」〈書き起こし〉

白石火乃絵


(「スピノザの眼」からつづいて…)もういゝ残すことはないかな、次の話。―


帰ってきて火乃絵は、髪の毛にまだカラーをつけたまゝ帰ってきて、時間をおくためにね、タオル巻いてもらって

それをお風呂場でおとして、いろいろケアしたりドライヤーしたりして、

そのあとに、若松英輔さんという方が小林秀雄ろんをあたらしく出していて、それがいま本屋で新刊で売っていて、『小林秀雄 美しい花』っていう、それを

昨日のよるに序章を読んで、今日は第一章を読んだんだけど、

―さいきん小林秀雄を読んでいるんだけど、


いろんな小林秀雄ろんがあるけど、なかなかの大作を書かれたんだなっていうふうにおもって、読んでいるんだけども、

そのなかで小林秀雄の口述筆記のこととかもでてきたり、

それで火乃絵も口述筆記というのをやってみようとおもっているんだけど、


ようするに、まあそれは若松さんに教わったそのまゝというよりかは、なにかもっと、クリアにしてもらったという感じで、火乃絵も小林さんとつきあっていくなかで、そういうとこで問題意識はずっとあったんだけども、よりクリアにしてもらったなっていうのがあって、―


ようするに小林秀雄さん以前には〝文芸批評〟或は〝近代批評〟、

〝批評〟というものは、日本にはなかった。

近代批評に関しては、なかった。というより、批評という(いまはジャンルといわれているけれど、)概念、モノがなかったっていう、


小林秀雄さんが、小林さん以降に、批評をつくりだした、批評というものを存在させたことによって、『徒然草』とかね、芭蕉の『笈の小文』でもなんでもいいけど、批評っていうのが、こうニホンのなかに、

にほんのれきしのなかにすでにあったっていうことが

あとからみつかるわけで、それまで潜伏していたところで…


ということはやっぱり小林秀雄さん以前に批評というものがなかったといっていいとおもう、日本にはね。で、


そこから、小林さんの後にも前にも、批評というものが日本の文学、或は、にほん語というとこで生まれてくるわけで、そうなると

小林秀雄っていう人が、批評をつくってしまったっていう、そのおどろきというのは異常なものがあって、ないものをつくったっていう、で・

それができた瞬間にいまゝで潜伏していたものがぜんぶ在るものになっていくという、批評がみつかっていくっていう、

そのビックバンのような起点、それこそ宇宙のはじまりのようなものを小林秀雄さんは創ったわけで、これはおどろくべきことなんだなっていう、その驚きが、日に日に高まっていく、それはべつに

批評じゃなくても、なんでもよかったんだろうけど、―


ないものができるっていう… 


そうなるとやっぱり原初に至高なんだよね小林秀雄さんってけっきょく。

ぼくは、小林秀雄さんのことがずっと好きじゃなかったけども、

なにか嫌悪感というようなものがずっとあって、いまだにそれは大事にしてるんだけど、うーん、なにか長男坊というところがあってね、火乃絵も長男なんだけど、

―それはいいとして。でもそういうのは感情論にどこかむすびついてて、

そうじゃなくて、ビッグバンなんだよなっていう… つまりもう、

それまであったものだったら小林秀雄さんが表現したいものが表現できない、

小説でも詩でも、表現できなかった、うまくはまらなかったっていう。そこでもう、だったら自分でつくるしかない、

というとこで批評というものを創っちゃったんだよな。

そこで小林秀雄さんの資質とばっちり合っている、―

(もちろん自分で作ってるからそうなんだけど、)

そのおどろきっていうのは、なんか、とほうもないことなんだよな。


そして「様々なる意匠」というとこで、批評が生まれるわけだな、日本に。


―なんということなんだろうとおもって、


で、そうおもったときに、火乃絵もまた、そのときの小林秀雄さんと同じ状態にある、っていうのが、すごい…そういうところなんだよね、

いま火乃絵は小林秀雄さん以降の批評のある世界、小説がある世界、…詩のある世界、(―文芸としての。)

はまりきらない、っていうような同じ状態にあって、

つまり火乃絵もなにか、これまでなかったなにかを…生み出さなきゃいけないんだよな、造んなきゃいけない、まったく予期できないけど、そういうとこに自分がいる、っていうことなんだよね、


ボルヘスというひとが『続審問』というなかでカフカについて書いていて、そういうパイオニアというかね、作家というのは、詩人というのは、自分の先駆者を自らつくりだす、っていうふうに書いてあって、つまり、カフカ以前にはなかったけどカフカが生まれることによって、カフカの先輩というのが出てくる、ゴーゴリとか、クライストでも、なんでもいいけど、荘子でもいいし―

カフカがいなかったら、そこの水脈ってうのはない、見つかっていない、カフカてきなるものというものはみつかってない、

でもカフカが生まれることによって、中国の荘子とかまで、カフカと荘子がつながって、カフカの先立てになって、そういう、水の、水の、水の血縁関係っていうのかな、水のDNAのつながり、水の水の遺伝、というのができるんだよね、っていう、

それは小林秀雄さんとまったくいっしょ、それは

小林秀雄さんというのが批評をつくったことによって、批評の先駆者、先輩が生まれてくる、祖先ができるっていう、そこに兼行法師の『徒然草』だの、それこそ紫式部の『源氏物語』のなかにも批評はあるし、

批評っていうのが生まれるっていう、そういう…だから火乃絵もなにか、

―ということはつまり火乃絵がもうすでに影響をうけてきたものなんだよな、

それは。もう、


そうすると文学哲学宗教とかそれだけじゃなくて、アニメとかVtuberとかも、ぜんぶの糸をとおすような、なにかを火乃絵はすでに潜伏としてもっていて、ビックバンをあとは起こさなくちゃいけないってとこで、

それでいま、『(ANIAM(あにま))TION(しおん)』とか、―『偏向』に載せるためのね、

「(ANIMA)TION―心的活動論」と、

「バーチャルの果て―風の唯物論」と

「DigItal-AnaLog(ue)―言葉にとって美とはなにか」

ってところを

書きあぐねているわけで、形式がみつからないから、

書きあぐねて、きょうもサイゼリヤであにましおん(◎◎◎◎◎◎)のノートを展げて、ずうっとそのノートの白紙と向きあって、ずうっと書きあぐねているっていう時期がいまつづいていて、

どっかでビックバンを起こさなきゃなっていう、

そういうことだね、二個目の話は。