編集後記


これを手に取っているみらいの読者には分からないことと思うが、こんかい発行がだいぶ遅れた、ひとえに編集者である火乃絵の個人てきの怠惰によるのだが、ほかにりゆう(﹅﹅﹅)がないわけでもない。


というのも、作っているうちに愛着が湧いてしまい、撫でたりこすったりしているうちいたづらに時が過ぎ去ってしまったからだ、発行するということは、そんな風に手塩に掛けたいとし(﹅﹅﹅)児を、かえるさのない旅におくり出すようなものだったのか、


そのことに、ようやく未知のヨロコビめいた気持が生まれ出でてきたので、霽れて発行の運びとなった。出来の悪い息子ですが、ひねびたところのないことだけがとりえとはおもいますので、どうぞ召し上がれ、…といったところだ。


召し上がる、ためにも。できれば印刷して、ホッチキスで綴じて冊子にして読んでもらいたい。『偏向』に載っている文章は、情報ではなく心の刻印だから。頁(ぺーじ)を行きつ戻りつ、散歩の犬みたいにマーキングしてほしい。つまり、参加して来てほしいのだ。そのときはじめて『偏向』はほんに(﹅﹅﹅)発行されたといえる、


あなたがここに読むものは、あなた自身にほかならない。それで足らないというわけではぜんぜんないけれど(むしろじゅうぶんすぎるのだが)、もし、もっとからだがぬりだしてくる気がしたら、なにか、心をこめて書いたものをわたしたちのところに送ってみるというのはどうですか?


そのさいには魂のこもった原稿お待ちしております。(丙)