土地と記憶

原凌

鉄道風景


井の頭線、明大前の駅から奥州街道を突き抜け、井の頭通りに合流すると、長い坂道がはじまる。その、永福町へと通ずる坂道に、心惹かれる風景がある。

できることなら、夕暮れ時がよい。坂道を自転車で駆け上ろうとすると、突然、どこからか、列車の音がきこえてくる。右手は車道、左手にはさえぎるものがあって、何も見えない。これがこの風景のはじまりだ。音を耳にすること、わずか数秒。左手の遮蔽物が足下に消えてゆくやいなや、井の頭線が唐突に姿を現す。小高い丘の大空の下、数秒の間、井の頭線は坂道の走者と並走した後、カーブし、坂道から遠ざかってゆく。

ここはいわば、放物線とその接線の交点のような地点なのである。近づき、並走し、消えてゆく列車を見送る地点、その残響にひたる地点なのである。

井の頭線の醸す音色。それは木材の柔らかさと金属の歯切れよさとが、3対7の比率で溶け合って生まれた独特の音色で、聞く人に規則正しさの中で安らぎをもたらす。その音色が高まり、頂きに到達したその瞬間に、坂道を駆ける人は、列車の姿を突然として視界におさめ、列車に乗り合わせた人々と、不思議な時空間を共有するのである。

この音色にひたされ並走する、わずか数秒のあいだに、坂道を駆け上る人は、井の頭線運転手とともに、特権的な風景を分かち合う。それは私鉄に独占された東京の大きな空と沈みゆく太陽であり、両側をオモチャのような家家に挟まれて、西へと直進する孤独な線路であり、家々は黄金の光を反射して、茜色の空の下、西の方、あの西の、武蔵野台地の方へと、線路は続いてゆく。底知れぬ懐かしさの中へ。そして、残響の中で、とうとう神田川を目にする。

井の頭線と井の頭通りとが接するこの地点で、何かがはじまろうとしている。