場所と記憶

原凌

はじめに


巡礼という言葉が好きだ。そして巡り巡るという言葉も好きである。その漢字と音とによって、どこかでうずまいている流れと、そこに巻き込まれていく人生を想起する。巡礼は、心の動きという形をとって、自分自身に、内と外の世界の深いつながりについて明確に教えてくれる。雑多で、騒音にかき消されてしまう日常の中で、大切な思いや考えが刻一刻と薄くなっていく日々の中で、巡礼こそ、自分自身に帰ることのできる手立てであり、自分にとって縁のある土地に足を踏み入れる、ただそれだけで、忘れかけの感情や光景が舞い戻ってくる。実際に何年経った、という数値的な時間は、この巡礼において、意味を失う。

実際にその「土地」に行く、というのが巡礼の本来の在り方だが、僕にとって、巡礼はそれだけを意味しない。その土地の風景を想像するだけで、ある感情にひたることができ、さらに、その土地の名を聞くだけで、心が動くことがある。これは、音楽を聴くときに感じるものと近い。そして、この心の動きを感じている時間こそ、生きている中で、充実した、かけがえのない時間なのだとしたら、この時間を日常において少しでも長く保つためにどうすればよいのか。一つ一つの風景を具体的に検討することで、僕にとって大切な土地と、自分とのつながりを考えてみたい。