日報1 令和六年三月七日

白石火乃絵


 すでにお読みになった方にはお分かりだろうが、「偏向」侏羅紀3月号にわたし自身の原稿はない。原稿の用意はあったが編集の観点から外した。その理由は2月号を全体視してもらうほかない。
 「偏向」月刊冊子16冊分の短いレキシにおいて、わたし自身の原稿がないというのはこれが最初だ。
 ようやくできたといえばいいか、前々から、とくに昨年11月に出来上がった紙の本『「偏向」白堊紀』を何度も読み返しながら、やっぱりわたしのやたらと長く読みにくい不親切な原稿がないほうが、同人雑誌として良い、という執筆者としては悲しい編集者としての判断によるのだった。

 そもそも「偏向」には、というより、発起人のわたしの中に、すでに矛盾があった。
 まず、発想の端緒はこうだった、

 わたし自身が自由に原稿を発表できる場がない(NoteなどのWebサービスはあるが、ほとんど横書きのものばかり。一部縦書きの小説や詩のサイトはあるが、エッセイ、散文、論考などはジャンル外)
 ——〝ないんだったら自分で作ればいいのよ!(涼宮ハルヒ)

 ならば個人誌でよかったはずだが、どうせなら同人誌にしてしまおう。
 どっちが矛でどっちが盾かわからないが、いわばコインの裏表のように、どっちが表にもなりうる。
 かくして「偏向」はかたちをもちはじめた、詩の一行が始まるように。次の一行はつねに未知であり、恣意は役に立たない、「猫の散歩」。
 その中でいつからか、自分の原稿を半ば無制約に発表することよりも、自分なしの同人誌を編集する方が楽しくなったとしても、不思議はなかった。
 ススンで犬になろう。(それにしては時間のかかる変身であったが)。

 今考えているのはこうである。
 わたし自身が自由に原稿を発表できる場がない、ワン。

    *

 やり方を思ったとき、考えたわけではないが、なんとなく、すでにもうそうしているのだが、
 書き上がるごとにUpしていって月末に締められ、新月まっさらとなる。そういう雑誌の形態が、Webでならできる。
 よしやってみよう。いまは三月七日だから、まずこの日報(不定期)を続けてみることにする(……そのようにプロセスを公開していって、リリース1週間前に〆る。ブラッシュアップをかけて、改めて発表するというのもいいかもしれない。ライヴ感が欲しいのだ)。宣伝はいらない。

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