じゅうねんごの文集(Take1)

白石火乃絵

神無月七日

知ってるかい? この宇宙—いまわたしたちが暮らしているこのうちゅう、

ソレハイチマイノ巨大ナ死者たちの涎掛け なんだってー‼︎

しぜん自由な日記のような書きぶりになる、というのも、わたしは小説や虚構といったものを信じていないし、詩人の書くものはなんだって詩になるから、あえて構えるようなことはしたくない。なにより、このいまの生活が伝わらねば、伝わるはずのないものを書こうとしているのだ。(おまえらは章題のない不親切な時季おくれの文集とおもってくれ。)

世間は月曜日らしいが昨晩もまた懲りずになつっこく慕ってくる中高の後輩たちが四人組ですみかを尋ねてきた。いまわたしはふかいよくうつ﹅﹅﹅﹅状態にあり、夜更まで眠らず書くでも読むでも見るでも聴くでも食うでもなしにあれ﹅﹅に耐えていたときで、この訪問はありがたかった。夜は明けた。

その場で寝たひとりと、のこりの三人は最寄りの立会川駅で別れるのと、大井町線で途中までいっしょ、いや、やっと大井町駅の改札でさよならするところを、あきたらなさからついてゆき、北千束で降りるのと、田園都市線に乗継ぐのとで、ついにひとりになったおれは引き返すつもりもなく、二子玉川駅で下車し川辺にでた。曇もやいの朝の流れを眺めながら煙草を四五本しているうち二時間ほど夢魔におそわれていた。あんまり冷えたので目醒まされ、一〇時にあくRISEの本屋さんへ行き、三冊はきまったが不調和で、予期せぬ四冊目にこだわって、さらにやっとのことで五冊目のシャーロック・ホームズシリーズ第二作『四つの署名』(新潮文庫)がきまって店をでて、反対がわのケンタッキーに落ち着いたいまスマホの時計は一時を過ぎている。

夜明け前、中高の後輩(五と六個下)のうち二人が、歴代の文化祭・運動会文集のうちで、ひのえの「生きる」にイチバンくらった、本人前とか関係なしに、とうなずき合っていた、他にもそういう後輩とは何人か会ったことがある。

あの書き方でいいのだろう、そしてそう思ってみれば書きそびれた、というより、当時の筆力(或はまつりの後の気分)では書きたくても書けなかったことがたくさんだと気づく、ちょうど十年経つがリベンジしたくなった。どんなものになるだろう?

二人の読者はどちらも「上手くいえないけど、とにかく何かくらったんです、他とはちがう何かがあって」という。それでとつぜんこのばくぜん﹅﹅﹅﹅に賭けてみたくなった、この伝達(そういってよければ)は非常に正確なのだと思う。

もうひとつ、「生きる」だけは文集としてではなく、ひとつの書きものとして読んでいた、という感想も気になる。ひのえはただ文集を書いたつもりである、その枠を超える何かがあったというのか。気概だけではないような気がする。

だが、あの一本にほとんど己の命運を賭していたのは事実だ、又書いてすぐは非常な自己嫌悪に陥っていたということも。

なにより、書いた本人より読者のほうがわかっているのだ、というあの感じ。それよりもやはりあれを書いたことで今日まで筆者が生き永らえているというじじつ。—

引退して半年。これまで、俺は闇をさまよっていた。この文集を何回も書いて二万字にもなった。すべて白紙にした。俺は自殺に対して断固否定の考えを持っていた。甘えんな、友達を悲しませんな、誰しも辛いんだ。メディアが可哀そうと言うから自殺が増えるんだ、自殺は駄目だって言ってやれ。諦めたら終わりだって。カートコバーンの事を毎日のように考えていた。俺は笑って生きていきたい。みんなを笑わせたい。そういう大人になりたい。俺には両手じゃ抱えきれない夢がある。俺は弱さと戦ってきたし、それをずっと見つめてきた。男として強くありたいと。自殺して可哀そうなど思われたくもない。仲間がいる。俺は自分自身と戦い続けたい。俺は自殺には断固否定だ。

ある夜、それはやってきた。心が恐ろしいほどに冷え切って、何処までも独りで。声が出ないほど静寂は厳しく、情熱が見当たらない。どん底。死のう。

麻薬に手を出す。人を殺す。自殺する。こういうものに断固否定で、自分には関係ないものだった。この境地は逃げとか、弱さとかだけで果たして説明出来るのだろうか? 俺は多分、なんらかの精神障害だ。自分の気持ちが無い。いや、矛盾している。この半年、狂気を感じた。症状がひどくなるほど、周りの奴にはおだやかになったと言われ、健康的に見られた。みんなが受験勉強を始めてもう、半年くらい。俺は一人、まだ何もしてない。狂ってる。お前らが好きすぎて愛していて、殺したいくらい憎い。引退してある筈もない仲間との日々を探していた。善と偽善。俺には信念がある。プライドがある。意見がある。生き方がある。夢がある。俺は弱い。嘘つきだ。メッキ張りだ。人から評価されたい。尊敬されたい。自分が大好き。自分が大嫌い。人を一生懸命に笑わす。笑ってほしい。やさしくしたい。どうだお前らは俺のおかげで笑ってる、俺のおかげで救われてる。普通の人間になりたい。普通になんて御免だ。それとも俺の弱さは双極性障害とか躁鬱病などという絶好の逃げ道や言い訳を見つけたというのか? 自覚がある時点で俺は他人と同じで、虚弱なだけなのか?

どんなにやさしさを信じて、みんなのために生きても、いつまでも俺は偽善者で最低な人間じゃないかって疑問が付きまとう。それも、成長するたびに、男として大きくなるたびに、その疑問も強くなる。強くなればなるほど、ナイーブがついてくる。ポジティブになるたびにネガティブになる。

自殺しよう。死ぬのなんか怖くなかった。このまま狂気で生きるよりも楽。死に楽園があった。**と**と**がやってきた。やっぱりこいつらは輝いていた俺そのものだ。そしたら**がやってきて、早くこいよフナキって言った。気づけば65thスタッフと行事のみんながいた。涙があふれてきた。ネガティブなんかに負けない。俺は俺のことを尊敬してくれた数少ない仲間のために、最高の男でありたい。悔いなき人生を笑って歩いてゆける人でありたい。—「生きる」冒頭

〝強い人は書かない、にんげん弱いから書くのだ〟というコトバには少なからぬ反発をおぼえてきた。どうにもおれには「弱いから書けない」といいたくなるものがある。強さがじゃまをするのである。語らねばならぬこと、わたしが語らねばなにものも語ることがなく、忘れられてゆくもの。そのものたちのために、語るだけでなく書かねばすまないとおもう。しかし、その実在があまりにたしかで同時に現在であるため、おのずと口を閉ざしたくなるようなところもある。言わないことの次に語ることがあって、書くことははいわば沈黙から三番目に離れたものなのだ。どうにもおれは、にんげんが強いから書かない人たちと弱いから書く人たちとからなる世界に属さぬもののようにおもえる。懐疑いがいのものに懐疑を抱いたことがなく、強く信じているものを書こうとしているだけだ、その強さというか硬さみたいなものがじゃまでしょうがない。もし、「それはけっきょくおまえが信じきれていないからにすぎない」という人があったらその人は自らの懐疑をオモテにしているにすぎない。ただおれは書くという行為にともなう不自然・硬さ・ぎこちなさ・かわいげなさのようなものに無感覚つんぼでありたくないだけである。おお、呪わしいことよ!

もののあはれ、ということなのだろうか、そうではあるまい、書かない、強いといわれている人にもそれはある。やはり書くということはひとつの生理のようなものだとしか思われない。或るたぐいの幼児が畳にさす陽のひかりに吸い込まれてゆくように、文字たちというデモンに憑かれたものの。ぴあのやぴすとるであっても構わなかったはずだ。女でも豆腐でも。

だからわたしは強い人がある特殊の好ましからぬ事情から、もう二度とこんな真似はしたくないとおもいおもい書いたとわかる文章が好きだし、大切にしたいと思うのだ。

しかし、どうやら「生きる」はそういう輩が書いた文章ではなさそうである。なぜなら、あれから十年わたしは書き続けてきたのだから。

「生きる」のさいごにはこう書いてある。

汚れは汚れでも汚い汚れと綺麗な汚れは別もので、綺麗に居続けたいと磨き続けた汚れは汚いけど綺麗なものより綺麗で、俺は職人が長年使い込んだオンボロな道具のようになりたい。大人ぶってもお前は大人じゃない。自分を受け入れられないのはもっとダサイ。沈黙の暴力に慣れるなよ。俺は散弾銃を打つ。

……おれは決着をつけたいのか。──何に。ちがう、あのものたちを語りたいのだ──その方法さえ決まれば。どうしてもつきまとう〝語りたくなさ〟をなだめるやり方が。それは詩だから詩にしたくないのだ、それでいて、成長してやがて噓になってしまわぬ言葉──それさえ見つかれば。

なぜあれだけの仲間がいながらおれだけがあのことを語ることに執着しつづけているのか。

それはたぶんおれが人生というものにキョーミがなく、瞬間にしか生きれないからだろう。

そしてそれはそのつど創造してゆくしかないものだ。

文章を書くというのも、そのひとつであるにはちがいない。

二つの書き方が可能だとおもう。

おれは祭ナシには生きれない!

祭をしなくなったがさいご人類は滅亡する!

ようするにいいたいことはそれだけなんだ。祭を興したければただこう叫んだらいい、

Let's go Crazy!

ケがなければハレもまたない。その逆もしかりだからこそ、おれはこの場所で自らのケについておもいっきり語りたい。生が活きると書いて生活だ、ハレを中心とし、次のおまつりまでの準備期間をケという──心臓のうごきに似てないか? ケがハレの母胎なんだぜ、分娩はいつもくるしい。笑いも泪もここにつきている、うみのくるしみをおもいやること──答えはいつでも祭の中だ。

一緒にあそぼ

……けれどおれにはこの声が届かないくらい祭から遠く離れているおまえのことがどうしても気にかかる、だから祭の外にでてしまったときの自らの体験をかく。けっして忘れはしまい、祭につきもののあの疎外感を。けれどもそれはずっと先でかならず祭につうじてる。信じてほしい、帰ることができると、ずっと先にある百合の咲くあの場所へ──

  〈このつづきは、のちにMy Color of Innosenseとなった。—引用者註

……そっちの話に這入るまえに、さっき──といってももう、大井町で次の喫茶店に這入ってでて、すみかに還ってきて深夜になりそうなところだが──命からがら──冗談でなく──買ってきたのこりの四冊を紹介しとけよって、勘がそういってる(これがおれの生活なのだから)。ロシアの文豪もそういっているじゃないか、〝舞台上にピストルが出てきたら……

まず手にとったのが白州正子さんの『私の百人一首』(新潮文庫)。平安朝以降(つまり万葉以後の)和歌を(万葉とは別に)べんきょうしようとしていて、それならば百人一首からと前〻から買おうと思っていたのが正子さんの背赤で一冊だけちゃんとあなたを待っておりましたよというふうにいてくれた──買おうとおもっている本でも、佇まいや、手にとったときの感じがそぐわなければ買わない。以前はAmazonで買っていたときもあったが、手に入るかぎりの本は、在庫を検索し、街の本屋まで買いに行くようにしている。丸の内、日本橋、渋谷、池袋の丸善・ジュンク堂が多いが、溝の口や川崎や藤沢くんだりまでゆくこともあり、ゆきかえりの電車や遠回りの散歩などをたのしむ。それらの記憶はそのときの本に宿っている、こうしたゆかりがだいじなのだろう。おれの欲しいのは知識ではなく体験だから。いかなる本でもそうだ。

……こうした記述からもわかるだろうが、じぶんたちの代の文化祭が高二の春におわってからというものこいつは念書人になるしかなかった。それとてひとえに文集で祈りつぶやくようにひびいた先輩たちの過去の言葉をなぞるのとおなじいき方でふるき人人の魂に触れ、祭なき世に癒えぬ渇きのたのみとしたい一念からそうなってきたのだ、決してなりたくてそうなったわけじゃない。どこかであのような祭があるときいたら、いますぐこのうちの堆くつまれた本どもなど置き捨てて征ってしまってかまわない。おお忍従の友よ、おまえはもうおれの腹の中だ──なぜいまごろになって王朝和歌か。

そのまえに百人一首の話がしたい。少しきっかけが異なっている──

萩原朔太郎に『恋愛名歌集』というのがある。さいきん岩波文庫で復刊したばかりで町の本屋でも手に入れられる。勅選和歌集から朔太郎自ら選んだ歌に評釈をくわえている本だ。百人一首より、ここには多くがとられていて、撰者と目される定家のセンスを評価していたことがわかる。これだけで百人一首にふみこむにあたいするのだが、もうひとつ、あの最果タヒさんにその現代詩訳『千年後の百人一首』とそれら一首ごとのエッセイ集である『百人一首という感情』というふたつの本があって、おれはこの二冊の大ふあんなのだ。

桜色だったはずなのに、花びらにぴたぴたと透明の雨が

落ちてははじいて次第に色あせていくのを見つめている

わたしの瞳。わたしの体にも、聞こえないほどの小さな

はじく音が繰りかえし鳴りひびいている。楽器のようだ、

わたしは、時の流れにさらされて色あせていく、桜色を

失って、灰色の曇り空のようになる。

考えていました、たくさんのことを。

何色でもない透明のことを。

体を通り過ぎていくだけの透明のことを、

考えては空へと帰し、そうして私は、年を取っていた。

  〽ハナのいろはうつりにけりな、いたづらに、わがみよにふる ─ながめせしまに

すこし野暮だが、花という文字は世阿弥さんのいであ◎◎◎の匂いがしすぎるので、桜の字の色をいれた。読点や半角ダッシュをいれたのは、呼吸をかんじるため、折口信夫さんのまねをしている。先の二連は、もちろん最果さんの現代詩訳。この9番目の歌は、さいしょに訳したものらしい。『感情』のエッセイには、「桜の花の色は、長雨が降る間に、いたずらに色あせてしまった。私の美しさもまた、色あせてしまっていた。さまざまなことを思い悩んでいるうちに。」というふつうの現代語訳もみえる。りづむ﹅﹅﹅を感じてください。

ハナのいろはうつりにけりな、

いたつらに、

わかみよにふる 

 なかめせしまに

『恋愛名歌集』で朔太郎は、この歌を編外秀歌として挙げつつも、作者とされている小野小町にたいしては毒を吐かずにおられない。〝小町の歌はこびあまって情熱足らず、嫋嫋じようじようの姿態があって、しかも冷たく理智的である。こうした性格の女であるから、生涯恋愛遊戯をして真の恋愛を知らなかった。歌に風情あって実感のない所以ゆえんである〟。種々の伝説を伴いながら長らくもてはやされてきた佳人のことであるので、これくらいの愚痴はむしろ薬になる。百人一首にあって人口に膾炙した恋愛名歌であるから外せなかった事情も充分に考えられる、それでも編外の秀歌として自らの愛唱のための本におさめるくらいなので、生理的に嫌いつつ詩人の直観から、この歌にどこか捨てきれぬものを感じていたのだろう。

……たしかにおれも万葉集が好きだ。とはいえ、サブカルチャーの現代短歌にも触れることのなかったような骨なしにとって、和歌じたい縁のないものとおもっていた。けれど、ロックは好きだった。あるとき、寺山修司の〽︎マッチ擦る つかのま海に霧ふかし……や與謝野晶子の〽︎やは肌のあつき血潮に触れもみで……或は西行の〽︎心なき身にも あはれは知られけり……をきかされたとき〝ロックンロールの生き様じゃないか〟とピンと来た。というか歌だ、とおもった、いや、歌なんです。それで、さいごにこの歌をきかされたとき、はじめて「ライク・ア・ローリング・ストーン」をきいたあのときが蘇って来ていた。

 あら磯に浪のよるを見てよめる

おほ海の。磯もとゝろに ヨスる浪—

 割れて砕けて裂けて散るかも

この歌のよさを上手く言えたことがない。上句のOとUの母韻のひびきが割れて砕けて裂けて散るさま。ただ、はじめの耳を新しくするような衝撃がおさまってくると、ひじょうに繊細な歌──ますらをぶりみたいなマッチョな感じではないのだとわかってくる。女の力強さともまたちがう、波頭に打たれた心臓の止まるような、心細さ。死ぬ瞬間の明晰。諦めの雄叫び。愉悦。浪の字が狼ともみえる。獣の理性。waRてKdKてsaKてチル。

音楽──。

愕ろいたのだ。どこにも五七五七七のあの言い聞かされたような和のかんじがない、このおほ海からはまさにおれの知る関東・湘南、蛮族たちの夜の海のにおいがぷんぷんする!

あまのかはみなわ逆巻ゆく水の—

はやくも、

秋の

立ちにけるかな

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