文月八日
三時に起き、これはめずらしいが、まったく夢の映像や事実のきおくがないのに、晩夏の少しゆるいだ昼下がりの灼熱の下、それ自体が夢であるようなおかしな銀雲、第一京浜を越えたとこの空の広い公園へ向かい、売り切れていた一〇〇円の赤いコカコーラロング缶のかわりにちがう自販機で買ったクラフトコーラで、煙草を一服、ベンチでなく東屋の下、F・Tさんと夢で話した気がする。これは、偏向Vol.1の白石火乃絵の目次に大転換をもたらすことになるかもしれない——やっと『宝石の国』一巻を買うことにする。
四日ほど前から一週間前の三日間くらいを通し、多くの重要な夢をみた。これまでに会った火乃絵に影響を与えたひとびとは、皆で尽くしたといっていいくらいだ(Tさんとは会ってない)。
とりわけ、あの不思議な経年変化したSF風の団地、坂、白。やや多摩湖町、衾町、実家のマンション、むきだしの土。品川のなにかの学園のところ。
弁護士との四人でのやりとりのあと、先に席を離れたI。示談がおわり、おいでよといわれていたのでLINEをいれると、やっぱり会えなくなった。それでもわたしは高田馬場の方向ではなく団地六階の部屋に行く、そこはすでに空き部屋だが、まだいる気がする。
入ると、夜のように暗い広い部屋。真ん中に、平安風の寝床があり、光るサテンの紺の寝巻き姿のI。寝床の奥の仄暗い壁には、青海原を前に晴れた岬の草原の端に寝転ぶわたしのような少年の絵。それを地として縦書きの詩句が書き重ねられて(明るい葡萄酒色や橙色の刷毛)、天井には未完成の詩篇の探究の跡。水、水、(詩に引き込んだ少しのうしろめたさ、本来わたしがものにすべきものを、かわりにひきうけさせていた、しかもなお嬉しい……)
「…」慈愛のような心地で目をおろすと、察知したのかおもむろに起き上がり、眠たげに目を擦り、わたしに気づき、かつてのように瞳かがやき顔が晴れ渡る。(Iはすでに童女ふうである)
「なんでここにいるってわかったの!?」
わたしたちは抱擁しあい、いちどきりのくちづけを交わす。——
この出口の夢の印象が強すぎ、長きに渡った葛藤とトラウマ再現の夢の連続は微妙な後味を残しつつ映像や事実は忘れてしまった……。
——いや、何が残るか、あえて時の笊にかけたのか。
ああ、ドトールの夢。わたしはAさんの作ったフードを運ぼうとしてひっくり返す、KさんやIさんや他の後輩の女の子たちがみてる……『宝石の国』。フォスフォヒィライトの予告……
これは今朝見たが、わたしは柿の木坂と、五反山の子供の部屋を合わせたような(少し武蔵浦和のW家)ところで——外は六月の翠の雨で空気はしっとり——リビングの机に(手術台のように)横たわっている(ほとんど眠りは覚めかけている)。母がいて、夕食まえ。「病気なのでいまはこうしているのだ」とひとりごち、より深い眠りへ落ちる……