「なんで詩なんですか」

白石火乃絵

 起

「詩かいてる人なんか会ったことありませんよ、」

Tohjiに夢中な十七歳のやつにいわれた。ミュージシャンのおしゃべりなんか嫌いだが、おまえが聴いてるのだって、本人にいわせれば、

 アーティストとして自分を定義するものを選ぶとしたら、それはスワッグでしょうか?

スワッグもそうだと思うけど、詩人のような視点も持ってると思います。

俺はギターやピアノを弾くようなミュージシャンタイプではない。詩人として音を聴く。何かをサンプリングして、それがいい音だったら、それでいいんです。

本物のミュージシャンである友人の中には、技術的な細部にまで気を配る人もいますが、俺にとって音楽は大きな詩でしかないです。「Tohji | 新しいシーンへの扉」by Noa・ 1 de June de 2023 https://chorareii.com/jp/tohji-interview-a-gate-to-a-new-scene-jp/

詩をかいている人は、ラップやDJ、なにかしらの楽器やバンド、絵描きをしている人、配信者、小説書き、短歌俳句の投書人(ラッパーのようにそれを生き方としている人には滅多にお目に掛からぬが)は、どんな人でも知合いにひとりかふたりはいそうなものだ。

けれど、詩はいない──書きものとしての詩は。

同じ時代環境を生きてきて、どこをどう間違ったら詩などかくようになるのか、それも日本語で。わたしは自分の経験を書くことで(?)これに答えてみたい、「なんで詩なんですか」そう質問してくれる人さえいないので。

しかもこれは、「なぜ落語家になった」と問うのと、似ているようでまったく質問なのだ、というのも、「勲しは多けれど、人はこの地上に詩人として住む」(ヘルダーリン)のだから。Tohjiはこれをからだで知っている。

 承

ラッパー、歌人俳人〈〈〈〈〈〈〈〈〈〈 詩人 〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉小説家、批評家エッセイスト

言語表現の欲求を抱えた人を、こっくりさんの十円玉のように中心点の詩人に置いてみよう。すると、右の上か下のどちらかに玉は動いてゆくだろう。

ちなみに、詩人と書いたが、いわゆる現代詩をやっていて「現代詩手帖」や「ユリイカ」などに名のある人は、歌人俳人のあとに現代詩人﹅﹅﹅﹅として数える。わたしは「現代詩」というものを、ひとつの定型(幻想)、それに基づいたコミュニティ、上京者(意識内も含む)たちの都会のキャラバン言語として考えている──安心してほしい、ランボォもボブディランも上京者なのだから。かれら上京した田舎者の言葉を喚んでおこう〝絶対に現代的でなければならない〟(ランボォ)、〝本物の詩人は田舎のガソリンスタンドにいる〟(ボブディラン)。

さて、ラッパーと書いたが、ひと昔前なら、パンクロッカーでもよかった。The Clashがラップの先駆けであることからも、血族と考えてよいのでこうしてある。

なぜ、十円玉は動くのだろう。こっくりさんが動くのが、集団無意識のうごきの現れであるとするならば、こちらもそれに近いことではある。結論だけ書く、

詩にはシーンがない

詩をかいても、時のひとにはなれない。カネにならない。仲間もできない。これは若者の興味にそぐわない。「詩かいてる人なんか会ったことありませんよ」なのは当然である。

現代詩が詩ではない、というのは言い過ぎなのでは? とかんじている人のために、も少し書けば、現代詩の中にも詩はある。だが、それは歌詞の中に、小説の中に詩があるというのと同じ意味でしかない。それは読む人に依存している。だが詩は、たれが読むかに関わらず、すでに石のように詩として自立している。通り過がりに人が気づかなかったとしても。詩にはシーンがないが、詩の近くはいつでもシーンとしてる。しーん…

 

ラッパー、歌人俳人 〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉詩人〈〈〈〈〈〈〈〈〈〈 小説家、批評家エッセイスト

みんなが帰ったあとの、夕闇の誰もいない教室で、ひとりでこっくりさんの続きをやってみたことのある人は、もしかしたら、複数人でなくても、勝手に動く十円玉を知っているかもしれない──人はそのようにして詩を書くようになる。ラッパーでなくとも、小説書きでなくとも、特技とくになしの帰宅部員でも、英才教育のフルート吹きでも、やくざでも、幼女ポルノ性犯罪者でも。ノートの端切れか何かに〝耳のなかで終わらないあさの光の田圃道〟そんな戯言を書きつけて。そして誰に見せようとも思わない──ああ、その瞬間からだ、きみが詩人になったのは。そのことをまだ誰も、友達や親や兄妹も知らない。

きみは自殺をしたのだろうか? いや、肉体てきな自殺から、われとわが身を救ったのだ。

黄昏はあさひ、

めづらしくめづらしく

ひのえのからだは心地よい。


の端っこ、利根川の土手にすわり、

耳のなかで終わらないあさの光の田圃道

水のながれの貌はみえなくとも、

とおくちかく、鳥たちの聲がきこえてくる。


火乃絵のこころは日没をしらない、

火乃絵の躰はゆふぐれの影をおとさない、

火乃絵の孤独は四百年の無明に堪えられる

そして、さいごの聯、

朝日はたそがれ、

すべてのものに

はじまりの終わりを告げる鐘──

自分でもこの終末部が解せない。だが、きみは書いてしまった。書き続けなくてはならなくなった。きみには、全世界に対する責任がある。

 結

ラッパー、歌人俳人〈〈〈〈〈〈〈〈〈〈 詩人 〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉小説家、批評家エッセイスト

さて、詩人となったきみにも、いつでも勲しへの誘いが待ち受けている。勲し多けれど、きみは詩人のままだろう、人としてこの地上に住まう限り。

ひとつだけ、忘れてもらいたくないことがある。

詩人は勲しではない

〈了〉

……つぎは哲学者と詩人について考えてみたい、或はpoet-philosopher、Philosopher Pirate -

ところで、ポエトリーラッパーはいるが、ラップポエットはみない。

Oxymoronなら燃えろ。


引用の詩は『崖のある街 -Deluxe Edition-』白石火乃絵に収録されている。

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