フィールドワークとして生きる

R.M.

 自宅のある浜松から東海道本線で豊橋へ向かった。豊橋祇園祭で打ち上げ花火が見られると聞いたからだ。コロナ禍の規制がなくなった今年は各地で夏祭りが開催されている。夏祭りとは何なのか。

 地元の詳しい人に豊橋祇園祭とは何ですかと聞いたとしたら、祇園祭の歴史的経緯を教えてくれるかもしれない。豊橋祇園祭のホームページ(*1)には「豊橋祇園祭は、もとは吉田神社 (牛頭天王社、吉田天王社) の神事として始まりました」と書いてある。吉田神社については「京都の八坂神社に端を発する牛頭天王信仰に結びついています。祇園精舎の守護神である、この荒ぶる神には疫病を払う力があるとされていました。こうした信仰にもとづき、吉田神社は、古くから武将に親しまれ、特に、源頼朝に尊ばれていた事でその名が知られています」との紹介がある。信憑性はさておき、こうした「歴史的」説明とつなげて夏祭りを位置づけることもできる。実際に同ホームページには「疫病払いを祈願する祇園祭では、火の使用による悪霊放逐という考えが、やがて手筒花火の放揚に結びついたと推察されます」と書かれている。「吉田神社への奉納花火から発達し、境内で余興として打上げていた仕掛け花火などが、のちに豊川の河川敷でも行われる様になりました。現代では、前夜祭を含めて3日間に及ぶ、夏の一大風物詩となりました」とのことだ。こうした「歴史」に結び付けた説明は豊橋祇園祭というイベントの由緒正しさや威厳を醸し出す。

 しかし、花火大会の行われる河川敷近くを歩いてみても威厳はちっとも感じられない。道行く家族やカップルがこの祭りを厳かなものとして捉えている気配はない。河川敷に向かう道中のスーパーは道路沿いに長机をならべ焼きそばや唐揚げを売っている。道行く人は焼きそばを片手にビール売り場を目指す。河川敷近くの公園入口では祭りの運営スタッフらしき人たちが来園者に団扇を配っており、そのすぐ近くで地元の小学生らしきグルーブが大量の団扇を連結して振り回している。人々に生きられた夏祭りのなかに、伝統や歴史の感覚はほとんどなさそうである。そこにあるのはいつもの週末とは違う非日常性だけのように思える。

 「コミュニタス」という捉え方にしっくりきている。「コミュニタス」を提示した人類学者のヴィクター・ターナーはこの概念を「構造」と対置する(*2)。「構造」は常識的な社会規範が通用する日常的な世界を指している。コミュニタスは構造の端であり間であるリミナリティの中に生じる。構造においては社会階層や公的な生が意識されるのに対して、コミュニタスには実存的な性質があり、コミュニタスにおける他者との関わりは肩書を取り払われた全人格的なものになる。構造からコミュニタスへと解放され、再び構造へと戻っていく。夏祭りもコミュニタスの一つと言えるだろう。年に一度の非日常がそれまでの一年とそれからの一年の間に切れ目を作る。切れ目のなかでは普段起きないことが起きる。日常的な規範が揺らぐ。社会構造に基づく関係性が取り払われる。そのうえで、関係性の結び直しが起きる。かつての盆踊りは男女の出会いの場でもあったようだ。豊橋の河川敷で浮足立つ人たちから感じられたのは、普段の関係性から解放されてフラットに関わり合うコミュニタス的あり方だった。

 とはいえ、夏祭りが完全なコミュニタスを実現するわけではない。そこでは日常的な関係性が緩みながらも継続している。社会規範も揺らぎながらもしっかり守られている。完全なコミュニタスは実現可能なのか。以前この雑誌の執筆者たちで「文化祭」を創り出すことを話し合ったことがあったが、それはどのレベルのコミュニタスを想定していたのか。改めて話してみたいと思った。


*1

豊橋祇園祭奉賛会「豊橋祇園祭りの歴史」

https://www.toyohashigion.org/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%A5%AD/(2023年7月29日確認)>


*2

Turner, V.(1966).The Ritual Process: Structure and Anti-structure. Cornell University Press, pp.127-129.

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