駒ヶ根、一九九九

市村剛大

 本日は依然冬休み。晴れた冬の朝の窓ガラスはいつも通り結露している。机の上にクーピーを置く。椅子に登り、画用紙を窓に結露で貼り付ける。パジャマの袖で結露を拭くと外の景色が見える。僕はここから見える風景や、車の絵を描くのが好きだ。カクヘイマンションの2階の一室が僕の家だ。窓から左の方を見てみると、雪を被ったモロコシ畑と「びじょがのもり」が見える。「びじょがのもり」は昔、美女が住んでいた為そう呼ばれているが、今は隣のゴミ処理場から出るダイオキシンに汚染されており、行くと体に悪いと聞く。又、「あめりかしらひとり」という黄色と黒の毛虫も沢山発生しているので尚更行かない方が良い。前の方を見ると灰色の工場があるが何の工場かは知らない。工場の向こうにはニシザワショッパーズというスーパーマーケットがあり、三日に一度ほどそこにワゴンRで買い物に行く。だが、今年弟が生まれてからというものの、ワゴンRの中でチャイルドシートの弟と一緒にお母さんが買い物を終わるのを待つようになり、久しく店内には足を踏み込んでいない。右の方には山が見える。絵本の中の山は緑で描かれているが、少なくとも僕の家から見える山は青と白だ。青信号は実際に緑なのに青と誤解している人が多いように、山は本当は青と白なのに皆よく見ずに緑と間違えているのだと思う。駒ヶ根から見える山は数え切れないほど多く、どれが何という名前の山か教えてもらってもよく覚えられない。いずれかが駒ヶ岳だということは知っている。駒ヶ岳はこの間の夏、登ったばかりだ。ロープウェーで千畳敷まで行ってから、さらにお父さんと歩いて頂上まで行った。山の頂上と聞くと何かすごい場所と思っていたが、ただの砂利の広場みたいな場所で拍子抜けした記憶がある。更に高い山が隣に見えた為、あの上まで行きたいとお父さんに云ったが、それは無理と返された。仕方がないから持参していたおっとっとを食べて写真を何枚か取り下山した。山の上ではおっとっとの袋は気圧のせいでパンパンに膨らんでおり、面白かった。そういえば名前が分かる山が一つだけあった。頂上に2本木が生えている「たかずやさん」だ。この山だけは頂上に2本木が生えているおかげで覚えられる。

 お母さんが受話器に、いまからいくでな、と話しかけている。どうやら、これからきよばあんちに行くようだ。きよばあは母方のおばあちゃんで、山の上にある中沢という場所に住んでいる。きよばあの家には車で三十分くらいで行けるため、平日も幼稚園が終わった後、お父さんが帰ってくるまでの間行くこともある。靴をはき、カクヘイマンションの階段を降りて駐車場に行く。カクヘイマンションの階段は雨ざらしの鉄製の階段で、そこから見える隣の家には、よぼよぼのおばあさんと病気で毛の抜けた犬が住んでいる。おばあさんはたまに庭にいて僕に声をかけてくれ、チョコレートをくれようとするが、お母さんはいつも断っていた。何故折角もらえるチョコレートを断るのかは分からないが、実はおばあさんは悪い人で、チョコレートには毒が入っているのだろう。先日しらゆきひめを読んでからというものの、他人に無料でもらった食品には警戒すべきという考えには非常に同意できる。マンションの前の駐車場に着き、ワゴンRに搭乗した。僕の家には銀色のワゴンRと青いチェロッキーの2つの車があるが、お母さんが運転するときはいつもワゴンRだ。ワゴンRはダイハツを売って最近買った車だ。駒ヶ根ではワゴンRは軽トラと並ぶ人気車種で、道には沢山のワゴンRが走っている。幼稚園の行き帰りなどに、ワゴンRを探すのが、最近の日課だった。ワゴンRもよく見ると様々な種類があるのだ。チェロッキーは4WDのジープなので凍結した冬の「ふたごえとうげ」を通ることができるが、ワゴンRでは通れないらしい。ワゴンRで駐車場を出ると今日は右に曲がった。左に曲がっても同じくらいの時間できよばあんちには行ける。右に行くか左に行くかはお母さんの気まぐれだ。ついこの間きよばあが左のルートの方が、油代が高くつくら、と言っていたのが深層心理にあった為、今日は右にしたのだろう。右に曲がるとすぐ、たけちゃんという食堂の看板がある。僕と同じ名前だが、行ったことはない。ここを左に曲がると「あかほう」という町に出る。「あかほう」にはニワトリおじさんがいる。ニワトリおじさんは昔はニワトリを連れて散歩していた為そう呼ばれているらしいが、僕はニワトリを連れているのはみたことがない。最近は一人で散歩をしているところにたまに遭遇するが、わざと車にぶつかりケガをすることで生計をたてている、と巷では有名らしい。そのため、お父さんもお母さんもニワトリおじさんを見つけると非常に慎重に運転をする。そういえば、この間「あかほう」の田んぼ道で自転車を練習していたが、僕はハンドル操作を誤り田んぼの水路に落下してしまった。それほど大きなケガはしなかったが、新品の黄色い自転車のプラスチックのカゴにヒビが入ってしまった。再度落ちると危険な為、以降は安全の為自転車の練習は公園でする事にしている。しばらく真っ直ぐ行くとパラダイスという名前のパチンコ屋さんがある。店の上の白くて大きい楕円柱の塔の上にパラダイスと書かれていて、夜になると文字が光り、美しい。中沢に行くにはパラダイスの角を右に曲がるのだが、左に曲がると駒ヶ根の「まち」に出る。駒ヶ根駅や農協、ベルシャインもあるし、僕が毎週火曜日に英語を嗜んでいるグリーン先生の英会話教室もそちらの方にある。あと、僕の通っているマルチン幼稚園もあり、毎朝の送迎ではここを左に曲がる。僕は幼稚園があまり好きではない。この前は給食のサバの切り身の繊維質が歯に挟まるのが大変不快だったため、僕は食べない、と抵抗したところ罰としておさんぽに連れていってもらえなかったし、お昼寝の時間に全く眠くなかったため寝ているクラスメイトの上を飛び越える遊びを考案して実行に移したところひどく怒られた。又、「あかいおやねにじゅうじかが〜」という園歌なのにも関わらず、この前の工事で赤から緑の屋根に変わってしまった。この不一致が気に食わなかった為、何故園歌を「みどりのおやねにじゅうじかが〜」に変えないのかと先生に問うたのだが、歯切れの良い回答を得られなかった。先生は厳しいくせに馬鹿なのだろう。

 中沢に向かうためパラダイスを右に曲がると、薄暗い森の中を通過する下り坂に入る。この下り坂の右側にある車道と歩道の間の柵は、斜めの方から見たときだけトンボの絵が見えるように工夫されている。面白いので、ここを通過するときは必ずその柵を見逃さぬよう心がけている。坂を下ると、平らで田んぼばかりの開けた地形の場所へと出る。この辺りは、その平らな地形から「しもだいら」というらしい。この時期の田んぼは雪の白と稲の切り株の茶色だ。正確には稲の切り株の部分は雪が溶けやすい為、茶色い土が見える。「しもだいら」を通過すると天竜川の土手が見えてくる。天竜川の土手の上は砂利道になっていて、車で通るとガタガタして面白い。その砂利道のことを僕は「がたがたゆうえんち」と呼んでいる。ここの土手では夏に天竜川花火大会が開催され、この間の夏もここから花火を見た。僕は花火大会の花火より手持ち花火やロケット花火の方が好みだが、花火大会で「たまやー」と叫ぶのは好きだ。知らないおじさんが叫んでいるのを真似して叫んでみたところ、周囲から暖かい反応を得られたのは忘れ難き思い出だ。お母さんもお父さんも、最後に打ち上げられた二尺玉ばかりもてはやすが、僕にとって一番印象的だったのはナイアガラの花火だ。ナイアガラの花火は他の花火と全く違う形式であるという点で非常に良い花火だと思う。僕は非常に気に入り、花火大会の後の夏休みはナイアガラの花火の絵を描くことで持ちきりだった。

 天竜川は、父方の須坂のおじいちゃんの家の近くの千曲川には及ばないものの、それでもとても幅が広い川だ。たまに行く箕輪のおばさんの家の近くまで川は繋がっている。乗って遊べるくらい大きい石が沢山ごろついている。橋も沢山かかっている。昔の橋の古い入り口だけが残っている橋、老朽化によって通行禁止の吊り橋。今渡っている天竜大橋の上からは、右に「びじょがのもり」の方にも大きい橋が見えるし、左にも今は工事中の新しい橋が見える。僕自身、砂場で橋梁をしばし制作するのだが、その際はこれらの橋を思い浮かべることが多い。橋を渡り切るとカッパの形をしたユーモラスな建物が右手に見えてくる。兼ねてから気にはなっているのだが未だ中に入ったことはない。天竜川には昔からカッパが住んでいると聞く。川の近くで遊んだとき幾度かカッパを探してみたのだが全くそれらしき生物は見つからなかった。その話はうそか、絶滅したのだと思う。先日、ある年長さんが、お父さんが天竜川には下水が垂れ流されていると言っていた、と口にするのを耳にした。その話が仮に本当であれば、現在、天竜川にカッパが住んでいるのであれば、口にうんこが入っていると思う。カッパの建物を過ぎるとガソリンスタンドがある。ここから先の山道にはガソリンスタンドが無い為、きよばあいつも「まち」に出るついでにこのガソリンスタンドで油を入れる。あまり記憶はないのだが、数年前、僕はガソリンスタンドのことをドテチンランドと誤って呼んでいたらしく、今でも頻繁にお母さんやお父さんにその点をいじられる。土手とガソリンスタンドが近いため混同していたのかもしれない。ガソリンスタンドを少し過ぎたところで、右に登っていく道に入る。ここからはかなりの上り坂だ。この辺りから中沢と呼ばれる地域に入る。中沢のこの辺りには以前きよばあんちでケガをしたとき連れていかれた木下医院がある。発熱した際に良く行く「しょうわいなん病院」とは異なり、ただの民家のような見た目だし、ケガをした時もアカチンを塗るだけで特に治してくれなかった。アカチンは塗ったところが赤くなるのが、余計血が出ている気分になるので嫌いだ。ここをしばらく進んだところに、キリストはなんたらと書かれた看板がある。キリストは幼稚園で習ったので、知っている。馬小屋で生まれた人だ。さらに進むと、坂を下って急カーブで小川に架かる橋を渡りまた坂を登るところがある。ここを過ぎるところで決まって気圧で耳が変になる。耳が痛くならないようにするには、この辺りで耳をポンとすると良い、というのは年中さんながら培った生活の知恵というものだ。

 曲がり角の向こうの坂を登ったところは、帰り道には駒ヶ根のアルプスが一望できる場所だ。おじいちゃんからここを通るたびに聞くのだが、駒ヶ岳の駒は馬という意味だそうで、春になると雪がとけて馬の形に雪が残るらしい。ここから駒ヶ岳の山腹に馬の形が見えたら稲を撒けば良いらしい。けれども、僕は月の兎も正直あまり兎に見えないし、さそり座も全くもってさそりには見えないタイプだ。僕が米農家ならどれが馬の形か分からずに、稲を撒く時期を間違えてしまいそうだな、などとその話を聞くたびに思っていた。先ほど渡った小川を左の崖下に望みながら道を登っていく。ここから先は車通りもすっかりなくなるので、お母さんはいつもこの辺りでアクセルを一段と強める。ボロボロの神社やがけの上にある家が勢いよく過ぎていく。数分進むと、左前に駒ヶ根カントリークラブと書いてある看板と橋が見えてくる。この橋を渡らずにまっすぐ行くと「たかとー」という町に行くらしいが行ったことはない。左側の橋は落合橋といい、今隣に茶色い新しい橋を作っている。この橋を渡ると左にきよばあんちに似た家がある。茅葺きの屋根の横に水車が回っている。この家は駒ヶ根市の文化財として保存されている。きよばあの家も同じくらい古いが、水車を壊してしまったのと、リフォームのために大黒柱を切ってしまったので文化財には該当しないらしい。さらに先に小さな公民館がある。きよばあと一緒に暮らすひいおばあちゃんのいそばあは、最近はここでゲートボールをしているそうだ。公民館の先には「ふたごえとうげ」に入る細い道が左に見えてくる。「ふたごえとうげ」を通れば、今登って来た道を直線的にショートカットできる。だが、熊や鹿が出ることも多く、特に冬の時期は凍結しているのでよっぽど急いでいない限り通らない方が良いらしい。ここを過ぎればそろそろ到着だ。

 茶色に錆びついて読めないバス停の看板が見えたら、その脇を右に入る細い坂を登る。石垣を過ぎると右にきよばあの家がある。きよばあは近くを通る車の音を聞いて、おじいちゃんと一緒に庭に出てきた。ワゴンRを降りると中沢の空気の味がする。カクヘイマンションと中沢では明らかに空気の味が違う。中沢の方がつんとした味がする。裏には渓流があり、小さな滝のような音がいつもしている。風も芯から冷えるような感じがする。きよばあんちはよく手入れされた茅葺きの屋根だが、縁側だった部分がガラス張りになってたりと、ところどころ現代風に改造されている。庭には四畳半くらいの大きさの池がある。夏はスイカを冷やすのなどに使っているが、冬の時期は凍っていて水も流れていない。古い武家風の蔵と、大きな杉の木、傾いた納屋、いつの時代のものかわからない、農具と車を置く水色の錆びたガレージがある。あと、いつの時代のものかわからない、石の灯籠もある。石の灯籠には月の形の窓穴が掘ってあって、表は満月だが裏は三日月の形になっているのをこの間発見した。庭にはゴムのシートが敷いてある上に、少し雪が積もっている。

 きよばあは、たけちゃあきちゃよくきたら、と言いながらすぐ玄関に上げてくれた。玄関には藁の傘を被り、酒瓶を下げた僕より小さいが、弟より大きいくらいの大きさの狸の剥製が置いてある。奥から大量に服を着込んだいそばあが出てきて、ニコニコしながら小さな声でいらっしゃい、と言う。いそばあはひいおばあちゃんだ。いそばあの部屋にはヘビの入ったお酒が置いてあり少し不気味だ。障子をあけるといつもの居間だ。左には囲炉裏があり、おじいちゃんの読んでいる歴史の本と碁盤が置いてある。そのとなりに豆炭のこたつがあり、やかんがが置かれた古い石油ストーブが置いてある。こたつの手前には大きな黒いソニーのブラウン菅テレビが置いてあり、上にはたくさんの置物や貯金箱が置いてある。壁には僕や弟、従兄弟の写真や絵が沢山飾ってあり、奥の柱にはたまに背丈の印をつけていた。お母さんは中沢の家がそこまで好きではなさそうだが、僕にとってはこの大きく古い家に置いてあるものはどれをとっても面白かった。蔵や土間には提灯とか、傘とか、弓矢、鎧兜などが仕舞ってあり、おじいちゃんはどこからともなくそれらの興味深いアイテムを出して来て、見せてくれた。夏には庭にカブトムシやオニヤンマ、その他得体の知れない虫が沢山いる。部屋に入ってくるアブを叩き潰すのもエキサイティングな遊びだ。冬には雪でかまくらを作ったりそりをしたりして遊べる。茅葺き屋根から垂れ下がるつららを折るのも、シンプルながらになかなか飽きが来なくて良い。おじいちゃんとする将棋崩しやお絵描きは、季節を選ばず楽しめる。きよばあが風邪をひかないようにと過剰に部屋を暑くしてくる点と、食べないと大きくならないよと、食べきれないほどの料理を作り吐きそうになるまで食べさせようとしてくる点(注:普段はおせっかいなきよばあを呆れながら静止するおじいちゃんも、なぜか食事のときになると、戦時中は食べたくても食べ物がなかった話を引き合いに加担してくるので制御が効かない。この間の誕生日は特にひどく、最終的には吐いてしまい、それ以来ケーキを見るたびに吐き気がする症状に悩まされている。)の二点を除けば、中沢のきよばあんちは僕にとっては〇〇だ。

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