猫の目

益田伊織

 庭のニラが少しずつ大きくなってきた。庭に肥料を入れて耕し、種をまいたのが三月の下旬ごろ。それから五月の上旬にはちょろちょろと芽吹きはじめ、今ではやっと十数センチほどに成長した。とはいえ梅雨時には雑草の伸びも早く、油断をするとすらりとした可憐なニラなど簡単に淘汰してしまいそうな勢いで蔓延りはじめる。最近は毎週のように休日の朝に草むしりをしているが、週に一度、一時間強では足りないのかもしれない。そもそもニラと根を接している雑草についてはどうやって抜いたらいいのかもよく分からない。こうしたことにはまったく疎い身にはなかなか苦労は尽きないが、収穫できる日を楽しみに試行錯誤を重ねている。

 正直なところ、以前には庭いじりなど些か年寄りじみていると思っていた。最近では考えが変わった。私は親に頼んで庭の一部、何平方メートルにもならない小さな区画を借りているだけなのだが、そんな小さな空間でも大袈裟に言えば一つの小宇宙であり、風雨に晒され、ミミズやダンゴムシといった虫たちがうごめき、ハエやカが飛び回り、新たな植物を育み、やがて時を重ねることでその表情を変えてゆく。たとえちっぽけな空間であっても、それは自然の諸運動と触れあい、様々な生命と接する場である。そこにヒトという一つの生物種として働きかけること。それは世界の多様性に触れる一つの手段として、十分に興味深いものだと思われる。

 今の私には例えば、深夜放送やネットフリックスのバラエティ番組、SNS――要は多くの「若者」たちが好むとされるコンテンツ――こそ、いかにも年寄りじみた時間の費やし方であると感じられる。そこには受動的かつ怠惰に消費される情報があるだけであり、人はそれを流動食のようにただ流し込み、かくして無意味に年を食っていく。こうして年を食うことと、意味のある仕方で老いることすなわち年を重ねることとは全く異なっている。そして年を重ねることは、世界に対する全身的な働きかけを通じてしかなし得ない。例えば初めて訪れる土地を歩いてまわること、未知の言語を習い覚えること、子供を育てること。もちろん子育てとニラの栽培とでは比較にならないだろうが、どちらもスマホの画面になど収まるはずもない世界に接するための糸口にはなると思うのだ。

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