亀になる

原凌

 バスケやって、バレーやって、極めつけは氷鬼をやって、脚が筋肉痛でうなる。もう動かすだけで痛い。

 脚をいためて、歩くことすら厳しい日々に、見つけたこと。

 こんなにゆくりと歩いたことって、これまでなかった。

 脚を曳き摺るようにして歩く。往き交うものや人、みなについてゆくことができない。階段も一歩一歩で、眼のまえの列車は去ってゆく。驚くくらい、みんながあわてんぼうにみえる。あわてんぽうのおっっちょこちょいに。

 亀さん歩きをして、物の見え方が、少し変わった。それだけではない、人込みの中にいても、喧騒の真っただ中でも、まわりの物や人が、こちらに干渉しなくなってきた。いつもだったら、どうしても周りのくだらぬものに気が散ってしまうことがあったのに、最近、どこを歩いていても、集中力が高まっていると思う。発端はリズムだったと気づいた。駅の、改札の、街の、歩く人の、あのリズムと同じになるから、心乱されてしまうのだ。あのリズムと同じリズムを刻まない、そうすれば、自分の世界に入りやすくなる、勝手気ままなことに想いをよせやすくなる。大きな駅が特に嫌いだったのは、乗り換えのためにみなが忙しいリズムを刻んでいて、その嫌なリズムが体内に侵入し、それに巻き込まれていくからからだったと悟った。からだは、ゆっくりと脚を動かすリズムを、自分の内側から生まれて来るリズムを好んでいる。

 日常で、色んな下らぬことがどうしても目に入って、頭によぎってしまうなら、ゆっくりと歩き、すべてのリズムを遮断する。ぽつんと取り残されていく感覚。そうするうちに、心がほぐれ、気づけば、周りはどうでもよくなってゆく。そんな経験を繰り返し、獲た。

 歩くリズムだけではない。今のタイピングのリズムも危ないと思い始めている。左手を使っていることだけがタイプの魅力だが、もっと文字を味わって書かなきゃ。

 一日のどこかで、亀になる。

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