白石火乃絵の現在

My Color of Innosenseに寄せて

白石火乃絵

こいつはいったい何者なんだ、ぼくの悩みといえばいつもこれだ。

作品をつくっても、詩をかいても、ぜんぜんふつうにならない。その文章だっていびつだ。まったくのお笑い種だけども、多くのひとが〝個性〟だとか〝文体〟だとか、求めているのに、ぼくはといえば、どうやってもつきまとってくるじぶんの体臭に、いいかげん、やんなってきているのだ。どうしてみんなとおなじようにできないのだろう…

だけど、困ったことに、みんなとおなじなのが嫌だから、こうなってきたところもある。もし、なりたくて藝術家になったというひとがあったら教えてほしい、どうすればきみは藝術家にならなくて済んだのかを。なあ、これはけっこういい相談になるとおもわないか? 自分らしさを殺す方法をぼくは探している。きみは、その自分らしさを欲している。どうしておなじ現代をいきてきて、こんなことになったんだろ。

ぼくはぼくのことふつうだとおもってきたけど、やっぱり変わってるんだろうか…もしそうだとすれば、そうなったきっかけは、「My Color of Innosense」に描いた経験を通してだとおもう。それまでのぼくは、いつも、頭のおかしい先輩や友達の中にあってふつうすぎる自分がいやでいやで仕方がなかったから。

まあ、何はともあれ、変わってる﹅﹅﹅﹅﹅ 方の人間になってしまったんだ。あれから干支がひとまわりして、このおにいさんがいまどんな生活をしているのか、ちょっと書いてみたくなった──といって、「My Color of Innosense」の夢を追っかけてるだけなんだけど…笑

いつものくせなんだけど、ぼくはどうしてこうなったのかを書くべき時に、いまどうしているかを書きたくなってしまう。だって、いまのぼくを見せれば、こいつがどんなやつか、一目でも分かると思うから。自分がなんでこうなったかくらい、少し考えればわかる。まあ、もったいぶることでもないから一息に書いてしまおう、くせは直せる。

中学受験で私立の中高一貫校に入学、高2の文化祭までその活動に従事。秋の運動会(これも同じ組織が支える)が終わり、親友とパンクバンドで世に出ようとするも、上手くいかない。同じ頃、小学校の初恋相手と会うようになりクリスマスイブに告白するもフラれる。高3、ロシア文学、漱石、太宰、サリンジャーに傾倒していき、かつての仲間とも距離ができていく。一個下の親友と自分の退学騒動、翌3月恩師のおかげで自分だけ卒業。

4月より、京大に行こうと思い予備校に通うも、同じく浪人していた初恋相手への煩悶で、手がつかなくなっていき、ドストエフスキイ、宮沢賢治、ボオドレエル、ルクレジオ、ノヴァリスを耽読。夏、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読後、「赤い自転車」などに出て来るの母方の実家に再度居候、毎日田んぼの中を嗚咽しながら歩く。9月1日の後期授業のはじまりに行かず、半年間のひきこもり生活開始。図書館から二週間に一度借りてくる二〇枚のモダンジャズのアルバムを半睡眠のなか聴き続ける。3月の終わり、進学が決まった初恋相手とさいごに会い、訣別。翌日、実家ちかくのドトールコーヒーの面接を受け、一年間のアルバイト生活。秋の終わり頃、鼠蹊部に腫瘍がみつかり手術。手術の日の早朝、二人目の恋人にフラれ、その足で病院の門を叩く。病床で創作をしていくことを決意。翌3月、退学した一個下の親友から強く勧められ、日本大学藝術学部の三次試験を受けることに。合格。4月入学、創作生活へ突入する。秋、旅中に恋人に出会いすぐさま同棲へ。年明け、飲み会で酒亂により椅子を壊しドトールコーヒーのアルバイトを辞める。

大学3年次、詩人の中村文昭のゼミに入る、小説から詩へ転向。苦吟時代へ。年明けに同棲解消。実家に戻る。4年次、先生の勧めもあり学習塾の講師のアルバイトを始めるが、詩がより書けなくなり、三ヶ月後辞める。恋人との関係解消。12月、ふたたびの引き籠り開始。3月、休学決意。師と訣別? 以降の生活は、『崖のある街』などに表現されている。

特筆すべきは、直後の4月、岡田麿里脚本のアニメ作品群に出会い、心を蘇らせたこと。バーチャル・ユーチューバーとの出会い。6月、書き溜めてあった夢日記の自己分析開始(「ANIMA(TION)」)。散歩道がきまり、崖の階段と出会う。7月、夢判断1500枚執筆。8月3日、極暑の下、崖の階段に3時間いたことで、持病悪化。全身やけどの状態になる。神無月、リハビリもこめて散歩再開、一ヶ月間ロモグラフィーで散歩道を撮影、力尽きる。現像するも、シャッターがこわれていて、400枚数ちかくすべて白飛び。「朝日」「火乃絵の木さん」などの詩を書き始め、白石火乃絵のTwitter開設、「海」を投稿する。

さあ、ここまではいいのだが、今回火乃絵がこの原稿を起こしたのは、ちょっとこれだけではメインが欠けることになるからだ。というのも、最後の年の1230日、このひとはとんでもないことをしでかしてしまう。かつて文化祭をともにした仲間に、あれをもういちど、今度は世界規模でやらないか、と声をかけ、やろうといった一人と活動を開始してしまったのである。詩人として活動をはじめたのは分かるが、その直後のこっちはどうか。

ひとつ断っておけば、このロクジュウゴ文化祭実行委員会を始動させなければ、その後の白石火乃絵の詩は一篇もないということだ。生活抜きで詩を書くことなど、わたしにはできない相談だ。このおかしな生活の中から生まれてくる詩が集まって『崖のある街』となった。それは、ここに書いてきたすべての経験、書いていない幼年時代をも含めたものとなる。というのも、このブンジツ活動は、十代のときに火乃絵が摑んだ自らの生命そのものなのだから。

さいごにつけくわえておくと翌々年の3月、父方の祖母が亡くなる。最後の看病をしているとき、日藝復帰を決意。4月より復学し、卒業製作として『崖のある街 -Deluxe Editon-』に取り組む。1215日に提出。1230日、白石火乃絵名義の定本をインターネットに投稿。年明け、「偏向」再始動決まる。日藝卒業。現在へ経歴としてはざっとこんなものになる。

「人間は、いまこの瞬間からなんにでもなれる。自分で自分をきめつけちゃいけないよ」

My Color of Innosenseのころ、母から言われた言葉。文化祭や化祭 行委員会の活動に異様に執着している火乃絵に、そんなに苦しむのなら、それはやりたいことではないのだ、といって、真人間に返したかったのだとおもう。真人間というのは、学校をサボらず、酒や煙草をのまず(もちろん未成年だから)、夜に出歩かず、警察のお世話にならない人のことだ。そのくらいなら、まあ元気であればよい、ということになるのだが、路上で倒れてるところを発見されたり、夜中にトイレで壁に頭を撲ちつづけていたり、突然叫びだしたり(あとでわかったことだが、これらは群発頭痛自殺頭痛ともよばれるもので、頭蓋の中心にブラックホールができたような痛みを伴う症状によるものだった)、あげくのはてに、中目黒駅の多目的トイレの便器に顔を突っ込んで、クソまみれになって気絶しているのを親友と駅員とによってみつけられるなどということは、とうてい真人間のすることとはいい難い。さすがに周囲に説明が必要となって、病院に連れていかれたりもしたが、自分で原因はわかってる、精神病は治らないといわれるが、火乃絵には明確ないわれ ﹅﹅﹅ があった。それを説明せよ、といわれても、大人に分からせることなどできない相談だ。いや、仲間でさえ、ちょっとよくわからない、というのがふつうだったと思う。火乃絵の主張のせいで話し合い ﹅﹅﹅﹅ がめちゃくちゃになったあとで、ひとり公園の輪があった場所から立てずにいると、終電ギリギリくらいに戻って来て、オロナミンCを一本、こん、と視界に置き、何もいわずに去っていったあの男を除いては。一年後、火乃絵の代の文化祭委員長になることになるその男は、「それをみんなが分かるように、説明しなくていいから、表現しなくちゃね」と、ことあるごとに励ましてくれた、命の恩人だ。My Color of Innosenseには書かなかったが、火乃絵が生還したとき、二子玉川の川辺で、たまたまその姿を発見したのは、こいつと「ブルーのエメマン」に出てくる親友のふたりだった。親友のほうも、秋には運動会委員長をやるいわば文運実における祭祀王と統治王のようなふたりだ。

カフカの、ミレナへの手紙に出てくるドストエフスキイが発見されたときの話を読んだことのある人もいるのでなかろうか。有名なエピソードにつき、カフカでなくともひきあいに出すひとの絶えない話でもあるのだが、彼の処女作「貧しき人々」の原稿を読んで狂喜乱舞した同居人で友人文士のグリゴーリエフは、だまってその足で作品を批評家ネクラーソフの元へ持ってゆき、夜が更け、二人は連れ立ってまだ名もなき未来の文豪の部屋に押しかけてくるなり、抱擁 はぐ し、大いにほめそやしたという。ドストエフスキイ自身のちに、この偉大な人物たちと比べ、この日ほど自分がまったくの取るに足らない俗物中の俗物であると感じた日はなかったと述懐している。次のシーンにはカフカの想像も加わっているかもしれないが、帰りの夜道を無限に遠ざかってゆくふたりの背中を、窓越しに眺めつつ、ドストエフスキイがこの日に得た感想は、まったくもって真実なのだ、とそう恋人に打ち明けている。著名人で寓話を活かすのに便利でひきあいに出すまでです、と断りつつも……

火乃絵は、これを読むたびあの二子玉川での再会の日を思い出す。げんにあのふたりは、もうつかいものにならない、時代錯誤の思想を抱いたこのはぐれものを、祭のどまんなかにまで連れて行ってくれた。そして、革命後の世界においてまず最初に排除されるという革命家の必定を、このふたりははじめからよく知っていたし、それを知らなかった火乃絵に戦力外通告を述べ、代々木公園の池に遺棄する役目を負ったのも、このふたりであった。だから、Der Processのラストシーンを火乃絵は実体験として知っている。それは神さまからのつがいのつかいであったのだと。

犬のようだ!(愛犬家のひと、すみません。火乃絵にも大好きだった犬がいます。)」と彼は言い、恥辱だけが生き残っていくようだった。

白石火乃絵の現在は、もうずっと前から、この恥辱である。変わってる﹅﹅﹅﹅﹅ とは、そういうことなのだ。なにをやっても叫びになってしまう。

犬のようだ!

「人間は、いまこの瞬間からなんにでもなれる。自分で自分をきめつけちゃいけないよ」

ことあるごと母から言われてきた言葉。たしかにわたしたちは自分で自分をきめつけている分量が多い。だが、火乃絵はいつも、どうやったってこうなってしまうんだ、ということに悩んでいる。どこまでがきめつけ﹅﹅﹅﹅で、どこからが宿命なのだろうそれがわからない。

それでも。火乃絵はこの思い込み﹅﹅﹅﹅を生きていこうとおもう──恥辱を抱きしめながら。

目次へ