フィールドワークとして生きる

村上 陸人

─文─


 不完全さにこそ魅力があると思う。ちゃんと仕事しないのは甘えではない。不完全を愛する私のポリシーだと言いたい。うまく表現できなくて悩むのは、自分はもっとうまく表現できると信じているからかもしれない。うまくなさを仕事にして食べていけるくらいに、不完全さを愛せるようになりたいし、不完全さを愛されたいと思う。

 私は会社に属して働いているが、仕事をしていると不完全さの閉め出しを感じることがある。個人はそれぞれ完結した存在で、完全な個人が連なって完全な組織を成す。また、会社組織の人々は概念で語る。ターゲットだとかマーケットだとか、実体があり境界があって数字にできるものとして話す。どこかに正解がある前提で、正解を探し出そうとする。そんな組織人たちに「顧客に関する発見」を見せるのが、最近の私の仕事である。顧客に関する発見は、漠然とした人間の感覚、ロジカルに説明できない行動、不完全な人間など、曖昧なもので溢れている。

 ここ最近、もともと遅かった筆がさらに遅くなり、ほとんど停止している。書こうという気持ちすら起こらない。完全を良しとして、合目的性に動かされる思考に斜に構えることには相変わらず魅力を感じている。そんな直線的な思考には、不完全さや目的からのズレをぶつけてやりたいとは思っている。しかしやはり書く気が起きない。書くネタもない。本稿を書きながら、書けない理由は、以前書くことで満たしていた欲を今は他の場面で満たしていることにあるのかもしれないと思い始めた。私は仕事を楽しんでしまっているのかもしれない。仕事を楽しむと書こうとすると、なぜか申し訳無さそうな調子になってしまう「偏向」はひねくれた場所だと思うが、言い訳がある。私が楽しんでいるのは、仕事のなかで直線的な思考をズラすことで、直線的な思考そのものではない。目的に向かって余計なものを排除して進もうとする組織人たちに、不完全なノイズを見せて面白がってもらうことを楽しんでいる。ノイズはインタビューから垣間見られたユーザーの深い人生観や悩みだったり、因果関係があやふやな複雑な購買行動だったりする。簡単に整理ができない実態をつきつけて、組織でそれまで当たり前とされていた枠組みを問い、ものの見方を更新し続けるのは面白い。

 そんなの言い訳に過ぎない。書かない本当の原因はお前の惰性にある。ごもっとも。なので、もう一つ言い訳を加えてみる。面白いこと書かなきゃ感である。幅広い観察、深い思考を経たことを感じさせる、歯ごたえのある何かを書かなくてはという雰囲気をどこかで感じてしまう。そうしてどんどん億劫になる。これはきっと、自分のなかの書くことに対する固定観念が「偏向」に映し出されているに過ぎないのだが、それでもやはりリアルな感覚である。

 スラスラ書けるようになりたい。そのために、「偏向」に投影される自分の「書くことかくあるべし」をズラし、面白いこと書かなきゃ感を崩したい。まずはスラスラ表現する達人の言葉に頼ってみる。ハービー・ハンコックはマイルス・デイヴィスとの掛け合いを振り返って述べる。


今になって思うのは、マイルスはそれをミスとして聞いていなかったということです。彼はそれを「起こったこと」として聞いたのです。


ただ「起こす」ことだけを考えて書く。面白さや正しさは一旦おいておいて、まず「起こし」てから「起こったこと」に応じ合う。そんな書き方でもいいのかもしれない。

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