『赤と黒』

原凌

 好きな本からはなれて、久しぶりにもういちど、手にとってみたくなる時がある。そのもういちどは、時として、本をひらくまえの、もうひとつのものがたりみたいに思えることがある・・・


 四月の中旬、ふと、何を思い立ったか、当初の予定をかえて、藤沢に降り、とある喫茶店に入った。それは、かつて藤沢で降りた時に、道端で見かけたレトロな喫茶店で、いつか行こう行こうと思ってそのままになっていたお店だった。その日は、喫茶店で充実した読書をして、心がのびのびとした一日だった。「ジュリアン」という喫茶店の名前は、スタンダールの小説『赤と黒』の主人公の名と同じだった。


 四月のおわり、上野の恩賜公園噴水広場でのことだ。上野は外国人で賑わっていたのだが、とある外国の若い人々が、交流を求めて、広場で休む若い日本人たちに話しかけていた。ぼくも彼らから話しかけられたのだが、初めは英語の片言でやりとりをした。

 「どこからきたの」ときくと、「パリよ」と少女たちは答えた。「フランス語できる?」と突然聞かれる。ぼくは片言で「少しフランス語が話せる」と返すと、少女たちはとても喜んだ。
 「どうしてフランス語の勉強をしようと思ったの?」「フランスの文化に興味があったから」
 「特に何?」「フランスの文学」「どの作家が好きなの?」「スタンダアル。」唐突に出た名前。
 「Stendhal! Le rouge et le noir?! 」「Oui.」「Le rouge et le noir! Le rouge et le noir! Le rouge et le noir!」
 突如、少女たちは3人で声を合わせ、スタンダアルの名とその代表作「赤と黒(Le rouge et le noir)」という語を繰り返し唱えはじめた。
 「る、るうじゅ、え、る、のわっ! る、るうじゅ、え、る、のわっ! る、るうじゅ、え、る、のわっ!」
 たのしげに、何か呪文を唱えるみたいに。


 うるおぼえだが、大学でフランス文学概論のような授業を受けていたとき、資料かなにかで読んだことがある。『赤と黒』という小説、多くの学者によって分析されつくされたといってもいいこの古典に存在する、いまだ解決されていない問題。「なぜこの小説のタイトルは『赤と黒』なのか。」。少なくともこの小説に、タイトルと直接に結びつくような、そんなセリフやら描写やらはない。おそらく、多くの解釈がなされてきた問題なのだろう。作家の日記やら、社会状況との関連やら、色々な観点から多くの解釈がなされているとのだろう。

 学術的にどう料理されたのかは知らない。それよりもぼくは、上野の少女たちの合唱をきいて、はじめてこの『赤と黒』という言葉の、その、生の手触りを知ったように思った。その「る、るうじゅ、え、る、のわっ!」のリフレインは、音楽のように、心にしみた。どこかで、きいたことのあるような、リズムを持っているように感じた。それが何か、まだ分からないけれど、大切な支柱になる感覚。きっと、少女たちの驚きと、素直な歓びがぼくに伝わったからに違いない。けれど、こうやって、小説に、言葉にちかづいたのは、はじめてのように思う。

 春の上野で、『赤と黒』の言霊が、少女たちを通じて語りかけてきたかのように感じた。


 五月初頭。引っ越したばかりで、本棚も買っておらず、書物は地面に積んだままにしてあった。書物がほこりをかぶりはじめたので、本をたてて並べなおそうと思いたった。書物を積んだところ、そのすぐそばに布団を敷いて寝ている。その枕に一番近いところの、山積みされた本の山を崩そうとすると、山の一番上にあった書物が目に入った。


 そんなLe rouge et le noir!

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