猫の目

益田 伊織

 将棋AIの記事(https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/ann_000211195.html)が興味深かったので、これについて少し触れてみたい。記事では藤井聡太氏が二〇二一年三月に指した名手「4一銀」を例に、将棋AIの現在の到達点と今後の見通しについての考察がなされている。現在ABEMAの対局中継で用いられている「SHOGI AI」は、各々の対局者の勝率をパーセントで表示し、さらに手番が回るたびに打ち得る手(候補手)を一覧で提示、AIの評価によって良いとされた手はプラス何パーセント、悪いとされた手はマイナス何パーセントと示される。近年の将棋ブームには、次々と最年少記録を更新する藤井氏というスター棋士の存在もさることながら、こうしたAIが試合の趨勢を可視化した──盤面や一手ごとの良し悪しを評価するには本来なら対局者と同等ないしはそれに近いレベルの思考が要求されるはずだが、AIの示すパーセントの変遷を追えば素人でもどちらが勝っているかのイメージはつかめるというわけだ──事実も大きく影響していると言える。

 藤井氏の「4一銀」が問題になるのは、この一手が大胆に盤面を変える妙手であるという以上に、極めてAI的な発想に基づくものだったからだ。氏がこの手を指した盤面では、解説のプロ棋士たちは自陣の飛車によって敵陣の飛車を取る「8四飛」を最善だろうと考えていた。相手の強力な駒を取ることができるこの一手に対し、「4一銀」は一見すると銀を捨てるだけのものであり、検討の俎上にも上がらなかったのである。しかし「SHOGI AI」は「4一銀」を最善手、「8四飛」はそれに続くものとして表示しており、藤井氏は思考の末に前者を指し、最終的に勝利した。記事によればこの一手が指された瞬間、ABEMAのコメント欄は「キター」「化け物か」「鳥肌立った」「神降臨」と盛り上がったのだという。

 私は将棋AIといえば対局するものとばかり思っていたので、それが観戦の場にも導入され、将棋の受容の在り様そのものを全面的に変質させていることを知って驚かされた。AIが数十秒で最善手として示した手を棋士が数十分かけて指した瞬間にコメントが沸騰するのだから、奇妙といえば奇妙な話ではある。コメントの一つには「神降臨」とあるが、AIにやや遅れて名手に気づくのが「神」なのだとすれば、AIは神以上の存在ということになるのだろうか。

 将棋をめぐる言説は実際、「神」の語を援用するのを好んでいるようだ。「SHOGI AI」の開発者である藤崎智氏には、候補手としてAIが何億手も読んで初めて到達するような途方もない妙手を「神の手」、そうではない手を「人の手」として表示するアイデアがあるのだと言う。こうして表示された「神の手」が実際に指されれば観客は盛り上がるだろうし、仮に実際に指されたのが次善の手だったとしても、それが「人の手」として最良なら、限られた時間や長丁場での消耗を考えればしょうがない、と観客も納得するというわけだ。

 こうしたレトリックにおいて私の興味を引くのは、そこでAIの占める位置の曖昧さだ。人が特別優れたことを成し遂げるのを神の行為に準えるのは常套的な比較だろうが、「SHOGI AI」の場合「人」と「神」とを隔てる基準はAIに与えられることになる。AIは絶対の権威をそなえた審判であると同時に潜在的には最強のプレイヤーであると暗黙の裡に了解されているのだが、棋士がAIの最良とみなす手を指しても「AI降臨」と讃えられることはあり得ず、やはりそれは「神降臨」でなければならない。AIはかくして、レトリックの上ではあたう限り不可視の状態に留められ、しかし同時にまさにそのことによって、実態の上では無限の価値の源泉であることを無条件に承認される。

 藤崎氏は藤井氏の「4一銀」について、「かつてはAIが人間を追いかけて、ついに人間を追い抜いたと言われていましたが、また人間が追いついてきた、ということかもしれないですね。この手によって、AIと人間の良い共存関係がさらに前進した気がします」とコメントを寄せているが、私はこれには同意し難い。AIが苦労して──と言っても普通なら数秒かかるところを数十秒かかったというだけのことだ──導き出した最適解を人間が後追いで出したと喜ぶのが「AIと人間の良い共存関係」だとは私には思えないのだ。

 しかしなお、私も藤井氏の将棋が興味深い仕方で「AIと人間の良い共存関係」を開き得るものだという点には同意できる。ただしそれは、「かつてはAIが人間を追いかけて、ついに人間を追い抜いたと言われていましたが、また人間が追いついてきた」といった追いかけっこの図式とはまったく無縁の在り方においてだ。AIと人間が同じタスクに取り組むとしても、そこで生じるのはよーいどんの競争ではない。久保明教『機械カニバリズム』によれば、棋士は線で思考するのに対してAIは点で思考する。すなわち、前者は一手一手を対局相手との相互作用において生成される一つの物語の中の一場面として捉えるのに対し、後者はそれぞれの時点でN手先に最も評価関数の高くなるような手を指すことだけを考える(AIには過去がない)。要は両者は全く異なる思考の様式をそなえているのであり、「AIと人間の良い共存関係」があり得るとすれば、それは互いが互いの思考方法を差し出しあい、未知の創造的な思考様式を紡ぎあげることによってのみ見出されるはずだ。

 若いときからAIを戦術研究に積極的に導入してきた新世代の棋士である藤井氏が、年長世代のプロ棋士の多くには思いつかず、AIのみが導き出すことのできた妙手を指すことができたのはやはり偶然ではないのだろう。しかし私はそれを、「神の手」とは呼びたくない。それはあくまで人の手、ただしAIとともに創造的なダンスを踊る術を知る達人の見事な一手だ。異なる存在との間で学ぶことでたえず進化し新たな存在へと生成する、そんな藤井氏の将棋はこの語の最も本質的な意味において人間的だ。

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