コロナ家

浦木泥午

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「大腸菌と遊んでりゃ、コロナなんかかかんねぇよ。肺熱でいまに死んでゆくようなやつらをじぃっとみてみろ、あれはきっとみんなサナダムシの夢魔におそわれているお天道様のうつしみだろうに、」熱に浮かされたような言説に糠漬けされてゆくようなからだのくさらせ方で、冬から春にかけての短い期間、病める舞姫のごとくわたしはそこに棲みついていた。そしてそのあいだにひとつの恋をしたようである。

「コヴィットちゃん、」

 その名称。この家の〈通常人〉どもにいわせれば、自らが新型コロナ・ウィルスであるという妄想によって、わたしはずいぶんな狂人であるそうだ。

「ブンガク熱だよ、そりゃ。」

「いいえ。PCRけんさだって、」

「本の虫にとりつかれたような日にゃあ、たれだってそういう。」

「いつだって陽性クロなんですよ。」

「そりゃあきみは妖精さ、おとぎの国にしか生きれない。このような家なのに、へんてこなもののまぎれこんでしまった暁にゃあ、さてもうみの虹だてにも困るだろうさにね。」

 このおとこの名はアサクラミクル。そちらさまこそようせいにはちがいなかろうが、腕っぷしのつよい家主にいまさら逆らう弓なりの体躯などもちあわせたこともない身の上で、わたしとてもこのアネ さんじみたオトコのあけた穴ぼこにおさまりのいい形姿で転がりやってきたマリモなのにはちがいなく、

「北鎌倉にはつれていってくださいね、」

「ほうれみろ、そんなこといっているうちに蟹の歩きかたのごと春の近づいても来る。」

 アサクラカイが来ていた。

「兄さん。ヨさんが具合わるいって、」

「だって?」

「機械がこわれてるんじゃないかって。」

「妖精さん、魔法をかけてやってきてよ。」

 そうしてわたしは、りびんぐにいるヨシダヨウというおんなと〈密接〉するはこびとなっているのであった。このようなときの彼女というのは口のきけないことはなはだらしく、さいごに口唇のかたちで「イクラちゃんどうも。」というのも、わたしたちはウニのほうがいくらかまだ好きなのだけれど、まだこの家にやってきたばかりのころ、こちらがいくら尋ねようとも「十九歳」としか答がかえってこなかったからである。「あなたは何円 いくら ?」「じゅうきゅうさい。」そして、家主の弟でもあるアサクラカイはといえば〈密接〉のあいだ、りびんぐと家主の部屋とをつなぐ廊下で、天井から垂れた釣り針にあごをひっつけられたうお のごと両手をうしろにして汗ばみをしていたのであとからきいたところによると、「こうしていれば溺れることもない。」けれども、わたしにしてもシダヨウさんにしてもその陰画ネガチブ を見ながらでないと、互いにうまくつとまらないようすで、この家ではさしずめそれをさし『イワシながらの絵』と呼びならわしていた。絵と呼ぶからには、いつかは描かねばイワシにもすまないとおもう。ようするにかつてこの家に三密というものがあって、気安く言いふらしてはいけないのだけれど、やはり終わったことなので、登場人物たちにもいまさら興味のない事柄だろうゆえ、ただ名残惜しさからここへしるしておこうとするのである。それらは〈密閉〉・〈密集〉・〈密接〉といい、「あくまで〈密接〉に」とか「〈密閉〉せねばな」とか、それはそれは丁重にあつかわれてきたれきしを有つのだ。なにより、三つ揃っているというのがふさわしく、この家の二階にある第三応接室は(第二と第一はとうの昔につぶれてしまったらしい)、その三つがどうじに叶っているという喜びをこめ、或る時期にはサンオウと呼ばれもした、まことにべんりで小さな愛しき匣なのであった。


〈未完〉

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