門出によせて

原 凌

 昨年の冬から、『呪術廻戦』をむさぼるように読んでいる。呪術師のなかでは、やっぱり狗巻棘が好き。狗巻は呪言師で、彼の発する言葉には、言霊の呪力がそえられる。故に日常では不用意に言葉を発することができない。「しゃけ」「つなまよ」。

 呪術という言葉にのせられて、思いうかんだ一つの体験について書いてみたい。

 2020年の春、母校での体験だ。コロナが猛威をふるいはじめた春のことで、校舎の中は、ほとんど空っぽだった。その日は新学期の仕事はじめで、気持ち新たまる一日だったことを覚えている。飲み物を買おうと、地下一階へおりた。四月の学園の、活気ない校舎というのも奇妙だな、などと思いつつ、自動販売機で水を買い、来た道を引き返そうとすると、一枚のびらが目に入った。食堂の入口通路付近、その壁になんの工夫もないびら一枚、それも、退屈な字面でこう書いてあった。


「今日ここ、何回通った」


 不意打ちのように、文句が心にしみた。扉のひらく音。ある懐かしさが、胸をすうっと通って、過ぎ去っていった。


 中学生になりたてのころ、学生食堂、通称「地下食」が大好きだった。小学校のちんけな禁制から解き放たれたのだ。学校で、ジュースも揚げパンも、それにアイスまで食べられる。リプトンミルクティーがびっしり並んでいるのを見るだけで、嬉しかった。

 地下食は不思議な空間だった。見知らぬ同級生とも、一緒に地下食に行くだけで、友達になったような感覚をもった。地下食に一緒にいくことが、友だちとのはじまりだったみたいなこともある。誘われれば、何も買う予定もないのに、ぷらぷらと地下食について行く。そういう連中がいっぱいいた。地下食の住人と呼ばれる人種もいた。地下食のおばちゃん(通称とめ)の顔は今でも鮮明に覚えている。生徒に甘く、フライドポテトのタイムセールでは悪徳バイヤーに搾り取られているのにも気づかず、楽しそうだった。買うものがなくたって、何度だって行く。どうしようもない油売りたちが知っている、磁場がそこにあった。

 同じ場所に戻ったからといって、あの磁場を肌身で感じることは、もうできない。それはきっと、心で摑んでいたものだから。それでも、一枚のびらは、大切な何かをぼくに教えてくれた。それはたしかに存在していたのだ、もう、そうやって人と触れ合うのを、ぼくが忘れ始めていただけなのだ。

 人と人とが交わる。その営みの根っこにある声が、遠くから、ぼくを呼んでいたように感じた。

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