三年程前、友人の紹介で、『アフリカの日々』を手にとった。作家はもちろん、この本のことも、何も知らなかった。三年のうち、一体幾度、手にとったことだろう。振り返ってみると、仕事が忙しくなる頃の、自由に遊ぶ時間が限られ、色々なことに対応する頭がぶんぶんとまわって疲れている時期に、この本にすがりつくことが多かったように思う。
すがりつくように、本能的に。アフリカの大地、そこに生きる人々、そのエネルギイ。文章を通じて、心がそれを、吸い取っている。ごくごくと潤されるものがある。
ンゴングの丘、「メンサヒブ」、「私たちを忘れられるあなたではないはず」。キナンジュイ。プーランシングの鍛冶場に響く鉄槌の音楽。「木に雷が落ちたソース」、サファリの夜と星、イナゴの大群、「ナタカ・クファ」死にたがってる。「もっと言ってみて下さいよ。雨みたいに言葉を出してください」詩の雨。
たった一つ選ぶとしたら、どの話を選ぶか。自分が選ぶのは、第四部「手帖から」より「カロメニア」の物語。
カロメニアは9歳の少年で、ディーネセンの農地で働いていた。「とても黒い肌で、濃く長いまつげのある、美しくうるんだ目をしていた。全体の印象は、この土地産の黒い雄牛の仔によく似ていた。」この子は耳が聴こえず、声をだすことができなかった。出すことの出来る声は、吠え声のような荒々しい、異様な音だけだった。言葉という架け橋、世界と自らをつなぐ架け橋をたたれているカロメニアは、「自分の存在を主張するのは喧嘩にたよるほかなかった」。
ある日、ディーネセンは、カロメニアに呼び笛を与える。それは、犬を呼び戻すための、呼び笛だ。カロメニアは、はじめ、興味を示さない。力が強く活発な彼が、長いあいだ欲していたのは、ナイフだったのだから。
カロメニアは、ディーネセンの示すまま、呼び笛に、息を吹き込む。
どうしたことか。犬たちが、自分の周りに、駆け寄ってくる。
顔がひきつる。驚きとともに。信じることはできない。何が起こったのか。
もう一度、呼び笛に、息を吹き込む。
ふたたび、犬たちは、駆け寄ってきた。
「カロメニアは私の顔を見た。強いよろこびに輝く目だった」
その日以来、カロメニアは犬を愛し、笛を首にかけて、散歩にでかけるのだった。
平原の奥の、人知れぬ場所で
生の新しい展開と、着想にひたりきり
われも忘れて
ある日、カロメニアの首にかかる皮ひもには、呼び笛がかかっていなかった。
彼が二つ目の呼び笛をもとめることは、決してなかった。
(引用:イサク・ディーネセン、横山貞子訳、『アフリカの日々』、河出文庫、2018年。)