地字名であろうと思われます。歩き巫女ノノウが禰津村に住むようになった背景には、必ずやこの村の風土とかかわりがあったに違いない。その歴史的背景を考察するに及び、祢津氏の家系には、諏訪社と深いつながりをもつ者がいたことを、石川氏は紹介している。『諏方大明神神画詞』という、諏訪信仰の聖典といわれる書物の中に、祢津の名前が登場する。祢津神平貞直である。滋野氏の出身で、鷹匠として名を馳せた。貞直は、母の胎内にいた頃、お告げによって、諏訪の上社の宮司の貞光の子となり、神平を名乗るようになったらしい。保元·平治の乱に出陣し、戦の強者にして、東国に双びなき鷹匠であった。
祢津神平は、夫婦揃って鷹を自由に操れる技能を身に付けていた。貞直の義父の名をくんで、祢津の鷹飼いは、「斉頼派」といわれている。鷹匠の技能も、元を辿ると巫術とのかかわりが深い。歴史的にみても、この話は、禰津村がノノウを呼び寄せる歴史的背景といえるのではないか。石川氏はそう語る。ちなみに、「諏訪大明神画詞」には、狩りで得た鷹を、諏訪社に寄贈しなかったばかりに、盲人となってしまった者の話もあるようで、ここにもまた、盲人の話がかかわっている。
禰津村の「御射山」と「御射山神事」に話をもどそう。「この神事は旧暦七月二十六日から三十日まで神の狩場である御射山に出向いて狩りを行う祭りのことです。その狩場であった御射山に仮神殿、その他にもいくつかの仮屋を設け、巻狩りのあと、神と人びとが一体になって祭りや祝祭を催しました。その祭りの際に神に供える供物
をとらえるときに活躍するのが鷹です。」