て開設された。北国街道は、佐渡で採れた金の輸送や、北陸諸大名が参勤交代で通った道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、たいへんな賑わいを呈した。

明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕·蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治·大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。

そして、昭和六十一年に「日本の道百選」、続いて昭和六十二年には、「重要伝統的建築物保存地区」の選定をうけた。海野宿が開かれる前から、この地を守っていたのが、白鳥神社なのである。千曲川を視界に収めた、この神社の歴史についても簡単に触れておきたい。

白鳥神社は、平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。それは、「源平盛衰記」に記される木曽義仲挙兵のくだりによる。義仲は、治承五年海野氏を中心に白鳥河原で兵を挙げた。この白鳥こそ白鳥大明神である。これが史書の(一一八一年)初出であるが、白鳥神社の創建が、いつであるかは、明確ではない。しかし、海野の地は、奈良時代に海野郷と称し、この地から献上されていた品が、正倉院御物として残っている。そんな事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと推測できる。