際、加持祈祷·施術·導引なども行われ、それを求めて、近郷の女性たちが祢津の地を訪れたのではないか」と考えており、江戸時代、この地にノノウが寄り集まった、一つの歴史的背景として捉えている。ここまで、芸能、盲人、宇治という言葉が登場したが、これも不思議な縁。これまでにまた別筋で関心を寄せていたもの同士が、また結びつきはじめている。もう少しこの話をすすめたい。
旅より前に、禰津村の資料を確認した際、すっかり読み落としていたことがある。それは、貞保親王の没した地が、海野の里であった、という記述だ。海野という地名や海野氏の歴史をよく知らなったこともあり、読み飛ばしてしまっていたのである。『シンフォニック·エッセイ』を執筆するにあたり、再び本書を熟読していた際に、貞保親王と海野とを、全く結び付けぬまま旅をしていた自分に、改めて驚いた。
海野宿を知ったのは、たしかに偶然だった。禰津村、田中駅周辺の宿を探していた時に、海野宿という地域に旅館が多数あることを知り、そのうちのひとつ、古民家を修繕した旅館に一泊することに決めた。ここに、この旅と海野とのつながりが生まれた。禰津村から田中の駅まで帰還し、千曲川沿いに西方へ歩くこと三十分ほど。線路と平行に歩き、踏切を超えると、向こう側に鬱蒼と生い茂る樹木が見えてくる。海野宿と千曲川にはさまれた、白鳥神社境内だ。この白鳥神社を玄関として、旧時代に彷徨う道がはじまる。視界に収まらぬところまで、まっすぐにのびる街道。街道の両側には、江戸時代の面影を残す旅籠屋式の木造家屋がずらっと並び、道の脇には小川に枝垂れ柳、アニメの世界である。
鎮守白鳥神社に守られている海野宿は、寛永二年に北国街道の宿駅とし