とは、今後二度とあるまい。これもまた、充分な理由になる。初版本と出版人へ、親愛なるはなむけの言葉をおくる、その理由に。

軽喜劇とか歌劇とかいった名を(ほんの少し上に)書き留めるや否や、読者が衝撃を受ける様を予感する。文学における階級をこんな風にごちゃまぜにされることを、読者は恐らく好まないだろう。スタンダアル。ニイチェやテエヌによって崇められた人物。スタンダアル。それはほとんど哲学者にして、才気ばかりの単純な男たちのそばに置かれたとしたら、驚かせてしまいかねない人物。しかし真実と人生、これらは無秩序なのだ。驚くべきところのないような類縁関係、親縁関係といったものなど、現実的なものとはいえない…。

それ故、ある確かな道筋がみえる。スタンダアルからメリメ、『ファンタジオ』のミュッセを経て、第二帝政の小劇へ、メイラックやアレヴィの小劇に登場する皇族やら策略家にまで至る道のりが見える。この気まぐれの道筋がやってくる源は、ずっと遠くにあるかもしれない。(とはいえ、精神の領域におけるや、あらゆるものは、すべてのものより出でて、どこにでも向かってゆくのだ。)

スタンダアル。喜歌劇の愛好者。彼は、迅速さ、溌剌さ、素晴らしいファンタジーという点で驚異的だったヴォルテールの短編に夢中だったにちがいない。悪魔的な傾向、ルイ十五世の統治末期の、乱痴気騒ぎ的な歓びをもたらす寓話にかこつけて、軽妙で残酷なヴォルテールの作品においては、風刺文学、歌劇、舞踏、政治風刺文、思想体系、こうしたものが渾然一体となっていたのだ。ものごとをありのまま見る精神ならば、どうして考え