ける高貴にして深みをおびた種の感情、沈黙の中で高まってゆく愛情の進展、こうしたものを極度に抑制し自分自身にとっても不確かなままそれを保つ技。こうしたものに魅惑され、本を繰り返し手にとってしまったのだった。表現し難いこうした特質によって、奥底から心動かされたのには、僕なりのわけがあろう。とはいえ、そもそも、自分自身、驚いていたわけだ。というのも、それまでに経験したことがなかったから。僕に特有の愛着なのか、作者の技術によってもたらされた愛着なのか、はっきりと区別ができなくなる程に、書かれたものによって錯覚を引き起こされる経験などというものはなかったのだし、今もそれは変わっていない。僕にはペンが見えるし、それを執る者も見える。心配することとてなく、作者の感情なるものも要らない。ただひとつ、作者に求めていること。それは彼自身の内的方法を僕に示すこと、これである。それでも『ルシアン·ルーヴェン』は、忌み嫌っていた混乱を、僕の中にひきおこしたのだった。

田舎や巴里、軍隊や政治、議会や選挙にかかわる生活の描写、ルイ·フィリップ王政初期の魅力的な戯画、溌剌とした輝やかしい喜劇、時に軽喜劇まがいの代物、こうしたものについていうと、『パルムの僧院』が、しばしば歌劇を思わせるようにそれらは辛辣さとその着想によって彩られた歓びを、僕に与えた。

心温まると同時に、溌剌たるもの。これが『ルーヴェン』に初めて抱いた印象だ。気の毒なミティの亡霊に対し、どうしてわずかばかりでも感謝を示さないことがあろうか。魅惑されっぱなしの時間こそ、彼のお陰であるというのに。彼から譲りうけた、荒削りで不完全な『ルーヴェン』。それに歓び、心を動かされたのだ。彼が生み出した初版本を読むこ