護をこころみたい。僕らは、ステファン·マラルメ邸で出逢ったのだ。しばしば彼がやってきたのは火曜で、実りあるこの夕方が過ぎ去るころ、幾度となく共に帰路についた。暮れなずむ、ロオマ通りをずっと、煌煌たる巴里中心街へともどるまで、好んでナポレオンやスタンダアルのことを語らいながら。

当時の僕は、『アンリ·ブリュラールの生涯』やら『エゴチスム回想録』やらを、むさぼるように読んでいた。著名な作品である、『赤と黒』、『パルムの僧院』とさえ比べてみても、これらの作品が気に入っていたのだ。小説の筋、諸々の事件といったものには何ら興味を抱き得なかった。興味を寄せていたもの、それは生き生きとした内的方法、ただそれだけ。その方法において、すべての出来事は関連しあう。その人間を構成するもの、その人の反応、それから策略、内的な策略、こうしたものすべて。ミティは当時『ルシアン·ルーヴェン』の小冊子を準備していて都合よく整理して、そういいたけば、そういうがいい、ダンテュ社で発行されるやいなや、この小冊子を僕に贈ってくれたのだ。この本は、言い知れぬ歓びを僕に与えた。そんな僕は、この書物を初めて読んだ者のひとりであり、至る所で、この本を称賛したのだった。

それまで、恋愛にまつわる作品を読むことは全くなかった。それは随分と退屈するもので、馬鹿馬鹿しく、無価値なものに思われた。僕の青春時代といえば、恋愛を過度に崇めるかと思えば、過度に貶めもした。それゆえ僕は、著名な作品においても、見出したことがなかったのだ。充分に力強く、真実であり、激しく、そして甘美なものを。しかし、『ルーヴェン』におけるや、シャスレイ夫人の造形にかんする驚くべき繊細さ、英雄たちにお