続きで私は、似たような瞬間の数々について語るだろうが、そこではおそらく、幸福の基盤はより実体的なものだろう。しかし感覚そのものは同じくらいいきいきとしたものだっただろうか?幸福による恍惚感は同じくらい完全なものだったろうか?
こうした瞬間について、誤ったことを述べてしまうこともなく、作り事に陥ってしまうこともなく、いかにして語り得るだろうか?生涯において長く意味を持つかけがえのない記憶が、分かりやすい「実体的な」基盤
社会的な成功経験といったとはかけ離れた、他人から見ればなんということもない、ささやかで内密な出来事の思い出と結びついて存在することがある。そんな思い出の美しさを他人に伝えるのは難しい。記憶は、言葉は、いつだってそれを捉えそこない、「実体的な」事実は逃れ去ってしまう。『アンリ·ブリュラール』は自伝的作品とはいいながら、波乱万丈のライフ·ストーリーが展開されるわけでもなければ、小説家としての創作の舞台裏や著名な同時代人との交友関係が明かされるわけでもない。スタンダールはただ様々な、あえて言えば雑多で他愛ない思い出を、多様な省察を交えながら唐突かつ断片的に書き連ねてゆくだけであり、その過程で時として回想記を書き記すことの困難に戸惑い、はにかみ、口ごもり、同時に幸福な思い出を綴る行為それ自体に対して心からの幸福感を覚える作者自身の姿が仄見える。本書の特異な魅力の一つは、それが一個人の回想記という形式を通じて、書くという営み、思い出すという営みそのものの意味をも浮かび上がらせる、いきいきとしたドキュメントをなしている点にこそあるのかもしれない。