この一ヶ月色々なことがあった。そのひとつひとつにより、これまでにいつか書こうと思っていたことを書く契機を与えられ、今月はそれをまとめあげることに失敗し通した。生活上にあらわれる、たぶん多くのひとにとってそこまで気にならないことが、わたしにおいては、人類史上の難題を巻き込むかたちで、あの世には持っていけない宿題となって、けっきょくは、わたし自身の過去の傷をよみがえらせる。納得が行かなかったことが時間によって解決されるということを、わたしにはおよそ信じることができない。いつも直観が裏切られることがないという地獄がわたしの棲家なのだろうか。ほうっておいたことはそのままに、直観通りの結果となって、わたしを裏切らないことによって、裏切ったほうのわたしに帰ってくる。それはわたし自身が帰り道を歩いてくるのではない。「そら、みたことか」こう言われるほうがいいのだ、それはわたし自身が歩いて帰って来たことの証だ。
あるところに行ってがっかりしてきた帰り、夜の横浜駅西口で、日蓮宗系の宗教団体のおっさん二人組に声を掛けられた。「きみ、どこかであったことあるよね」。知らない人とどこかであったことがある感覚。ええやんね。それできさくに話しかけてきた。うれしいことではないか。話を聞いているうちに教団の勧誘に移行している。わたしは活動ということを差別しないし、昔は自分も、高校で文化祭の活動の勧誘をしてたりしたからわかる。あるところで、じゃあこれからご本尊さまのとこに南妙法蓮華経をしに行こうと言うので、それは断った。瞬間、片方ののっぽの方が、ぷいっと挨拶もなしに立ち去る。間髪入れず、わたしは激昂している自らの声をきく。「宗教っていうのは人間性だろ。こっちは宗教団体だろうとなんだろうと差別してない。声をかけられたから話を聞いていた。勧誘のノルマだかなんだかあるんだろうが、それで数に入らないとわかるやいなや挨拶なしに立ち去るやつがどこにいる。日蓮の名前で勧誘するなら、日蓮に申し訳立たねえ振る舞いすんなよ! 南妙法蓮華経するまえにオメエにはやるべきことがあんじゃねえのか。仏に怒られろ!」。もうひとりのタクシー運転手の仕事終わりに勧誘活動をしているというほうのおっさんがニコニコしながら「まあまあ、あのひとはああいうひとだからさ、ゆるしてやってくれ」となだめてくれている。たぶんこの場で、ぎりぎり人間性があるのはこの人だったと思う。が、コイツは止まってられない。「あんたも(おれの友達に『きみも会ったことあるよね、横浜線で』とか言って、)噓つくなよ。そういう感覚は否定しないし、みんながそんなこと思い合うような世界になったらいいとおもってる。なのにあんたはそれをはなから勧誘のやりくちにして信じてないこと言ってる。てめえでてめえの宗教裏切ってんじゃんか!」。去りかけていたのっぽの方が、いたづらして怒られた小学生男子みたいに、ニラニラ笑いをしながら相方の脱出をうかがっている。ガキなんだ。道端で宗教勧誘なんかできる幼さに、コイツはちょち妬いたのかもしれない……。「外れてるし。おれの友達は横浜線なんかもうずっと乗ってない。霊力が低いんだよ」ボサボサいってるうちになんとなくかれがれになっていった。大井町までの帰りの電車、一緒にいた友達に、どう思う? と尋ねると、「横浜線かって。そればかりを。次は横須賀線っていわれるようになっていたいですね」。友達は東海道線沿線に住んでいる。
いろいろ間が悪いのだ。ちょうど名前をつかわれるようなことがあって、仔細は省くが、少年たちがわたしの影響を受けたという噓で、わたしにしょうもないことをなすりつけたので、大人になれなかった大人たちが、伝令を通じて、わたしに彼らに接触するなという禁止令を発布してくるということがあった。もし本当に少年たちがわたしの影響を受けたのならわたしは喜ぶだろう、そのまま腐った大人未満を蹴散らし、十代をお爆発してくれ。そんなやつはいまのところぜんぜんいないのである。遊ばれたのさ、SNSストーカーに。少年たちのことは、許そう。だが大人たちは許すことができない。伝令をわたしは知っているが、この伝令を利用して禁止令を発布してきた小さな村のなかの顔のない大人たちは。だれがいったんですか、直接話します、といっても、それは難しいという。この顔のないお城のモゾモゾたちは、可哀想に、小さな村の掟が外にも通じると勘違いしているらしい。わたしは少年におべっかをつかってすぐに「信じる」という大人になれなかった大人たちは論外として、その「信じる」に甘えて、それどころでなく依存し、大人未満にデレデレしているような、画面の向うの、大人になれなかった大人たちといっしょののっぺら少年どもにも興味がない。接触禁止令もよくわからないが、べつに何も困らない。が、小さな村の掟を、それがどんな内容だろうと伝令をつうじて押し付けられることは容認することができない。小さな村のなかで顔を失くしているうち彼らは自らを国家とおもいなすとこまで舞い上がってしまったのだろう。国家、つまりわたしの場合その国土に居住している日本国の法がわたしに禁止として適応され、それを破ったことで拘束なり監禁なり裁判の結果としての懲役罰や死刑なりを受けるとしても、わたしはたれかにわたしの思いを規制されることと戦う、負け確でも。裏道もいくらでも利用する。ときには幽霊になってでも。とりわけ呪術をつかう。わたしは詩を現実使用できるとおもい行使したかどで詩人を失格した。ところがかつて、詩を現実使用あたわぬとおもい控えたことで、詩人志望を失格したこともある。一度目は人から、二度目は自ら失格を下した。だが一度目にわたしに失格を下した人は、わたしの二度目の失格をどう思うだろうか。彼は同じ失格をしたからこそ、一度目の失格をわたしに下したのではなかったか。そして、詩人を失格し死亡した呪縛霊にもまた、失格ということがあるだろうか。
母上のお胎のなかにいるときと、幼稚園卒園までと、高校二年の冬までとわたしは呑川という目黒区から大田区に流れ出す、多くは暗渠となっている小川を遡行するように引越している。すでに亡くなった父方の祖父母の家もこの呑川沿いにあった。十七歳までこの小川とともに生きて来た。この呑川は、日蓮が最後に渡った川なのだ。いまは池上本門寺となっているところに渡った。呑川ちかくに住んでいると、日蓮の命日ちかくに御会式という、山車を出してのお祭りに出くわさないことがない、そのヤンキーエナジイに。日蓮と会ったことはなくても、日蓮の持っていた精神エネルギイに触れるのにはたやすいのだ。
わたしの母上は宗教二世として苦しんだ。学校に行くことよりも、宗教組織の勉強会に出て法華経を写経したり暗唱できるようになることをその母上から強いられた。抜け出すために、英語を勉強し、高校を卒業して、東京の専門に通った後四年間アメリカの大学へ行った。そこで個人主義を身につけて帰ってきて、就職、父と出会い結婚しやがてわたしをみごもった。すでに宗教団体から籍を脱していたので、わたしは宗教三世をまぬかれた。その宗教団体も日蓮を本尊としている。わたしはやっぱり日蓮の終焉からはじまっている。
宮沢賢治は、二四歳で国柱会という「純正日蓮主義」をスローガンに掲げる宗教団体に入信している。二五歳で初の家出をして上京したときも、一ヶ月に約三千枚の童話草稿を書きながら、夜はこの団体の講和を聞きに行き、昼の街頭布教にも加わっている。妹トシが亡くなった後、しばらく自ら携えていた遺骨ものちに国柱会本部に納めるなどしている。わたしの生れた一九九五年の地下鉄サリン事件以後、わたしたちは宗教団体やその活動にたいしてあやまった先入見を持つようになったと思う。わたしは風変わりな文化祭の活動に思春期いっぱい身を捧げていたこともあり、またそこで発狂に追い込まれたりしたこともあるので、いわば内実のようなところは、それなりに知悉しているつもりである。自分たちの代のときには、絶景に至ったとおもう。が、次の代でこの組織?は解体されることとなり、その解体の過程にも無関係でない。三ヶ月にわたり出席停止と事情聴取を受けた。この活動は、わたしの内心の自由としては残ったが、地上にあるかたちとしては消滅した。あの震災一年後を最後に。あのころから令和七年現在まで生き残っている人へなら、その後の社会モードの移り行きは語るまでもなかろう。しかし、震災前にすでにわたしと同い年の友人のなんにんかは、時代が変わること、十代の爆発を封じられる世の来ることを、わかりたくない直観で感じていた……はずだ。「時代に叛逆する」、わたしは憑かれたようにそう繰り返ししだいに孤立していった。震災が起きた後、じっさいに今日まで続く抑圧の時代を経ても、あのときわたしが「時代に叛逆する」をやっていたことを理解してくれた友はいない。わたしは彼を抱きしめる。お前がおもっていた通りになったな。けど、あのあとお前は帰ってきて、あれを仲間と成し遂げたじゃんか。それでもこうなったんだから、どうしようもなかったんだ。そしておまえの火は、いまのわたしが受け取る。──宗教団体をやがて個人は超えていく。そして団体は会社に過ぎず、会社が個人を追い込むのは、宗教団体に限ったことではないし、個人主義の根づかないところにおいては、会社はつねに宗教団体と化すし、非正規雇用だろうと関係がない。わたしは二年間無職でアルバイト漬けの生活をしていたことがあるが、有名喫茶チェーンの一店舗のなかにも小さなカルト教団はある。出自が出自だから、わたしはそこに深く呑み込まれてゆき、背叛した。個人主義を身につけて帰ってきた母の家庭に育ちながら、わたしのうちに深く沁み込んでいるアジア的後進性──背叛において役立ったのも、じつは個人主義ではなくこの後進性だったかもしれぬといまは思う。蛙にはかえる。わたしはそこでまた小さな発狂をやった。
元内閣総理大臣の安倍晋三が、統一教会の金銭問題から宗教二世の山上徹也さんに殺害されたので、ふたたび宗教団体はひとびとから遠ざけられた。それがこわい。わたしには、そこらじゅうが宗教団体に映るからだ。宗教をきもちわるがるひとたちが宗教にどっぷりつかって生きている。周囲がどんびきするような十代の文化祭カルトに身を捧げたわたしのほうが、いまは宗教から自由であること。宗教を団体に預けてはならないのだ。それはわたしたちひとりひとりの心のなかに刻まれている古代の約束であり、いつでもぶり返す。大学の研究室にも、アルバイト先にも、会社の部署にも、英会話教室にも、どこにだって明日の麻原彰晃はいるし、それはわたし自身かもしれない。宗教から自由であると書いたが、自身に巣食うの後進性でやらかした自覚があるというだけの相対論で、宗教から絶対に自由であることは、人間にはおよそ出来まいとおもう。個人主義といっていることからしてそうだ。全きインディヴィデュアルというのはこれからわたしが描いていく夢である。Let's go Crazy!は十代のわたしが、発狂の空から受け取った、全き個体の宗教の産声なのだ。こいつの感染力はコロナウイルスより強かった。が、十年後、罹らないとおもってたこのウイルスにわたしは罹り、薬を呑まずに十日間の高熱のゆえに壊した体が元にもどらない。負けた。Let's go Crazy!でなかったのだ。老いた。何度も自己処罰を考えた。どうか堪えた。ほんとうの十代は、もちろん年齢のことではないから、これからもう一度十代になるための修行だ。わたしが自殺したら、Let's go Crazy!は噓ということが確定する、それで安心だ。
わたしはここまでに嘘を二つも書いた。一つは、文化祭カルトという言葉。カルト宗教というのは、教祖のまだ生身で生きている宗教のことだ。教祖のすでに生身で死んでいるキリスト教や仏教はカルトではない。が、ローマ教皇やダライラマ十四世のような世俗の長がいるので、カルトといえばカルトである。幸福の科学は、教祖の大川隆法が近年死亡したので、カルト宗教というのにはあてはまらない。わたしが身を捧げた文化祭には教祖はいなかった。ただいくつかの文化があった。組織?が解体された後の、形骸組織?には、かつての伝統というのが残っているようだが、伝統はない。なぜなら解体前にあった伝統は、伝統を破壊するという伝統だけだったからだ。その伝統は残っていない。というより、あの毎年構成員と運営する代が変わるあの組織?はさきもいったが地上から消滅している。残ったのは、あそこにいた十代どものあの組織?が下支えして作り上げた文化祭の数々のおのおのの体験の肌感だけだ。各代にカリスマはいたが、教祖であった人はいない。無論、いってしまえばただの都内の私立中高一貫校の学校行事にすぎぬ。すぎぬのに大人はそれを恐れて解体のテコ入れまでした。大人の目にはそれはカルトと変わりなかっただろうし、「先輩」と呼ばれる存在は、小さな麻原彰晃たちに見えもしただろう。ただ中では、かたちのない何かに青春を捧げていただけだ。わたしの場合は、最後の年、それはLet's go Crazy!という自ら摑んだ言葉であった。
もうひとつの噓は、〝あのときわたしが「時代に叛逆する」をやっていたことを理解してくれた友はいない〟という一行。震災の年の秋、ひとりの友が、東京に帰ってきたわたしのLet's go Crazy!を真に受けてくれて、はみだしものを祭のまんなかに連れて行ってくれた。それがわたしの代の文化祭委員長となる男なのだが、学年でも顔と名を覚えている生徒が少なく、文化祭委員長を決める学内選挙に出たときの反応でいちばん多かったのは「誰」だった。そして、すでに世間の自粛モードにひたされていたあの時に、かくのような騒ぎを巻き起こしそうな得たいの知れない連中が学内選挙に勝てるはずもなく、わたしたちは、かねてから、かつてのわたしの心友が準備していた裏工作により、選挙の票を半数以上!書き換え、文化祭実行権を盗み取ることに成功した(「自治は死んだ、おれらが殺した」)。きらわれものとはみだしものどもの地獄の季節がやって来る。そしてらんちき騒ぎを極め、意味不明のキラキラを信じたために、倫理はみんな涙と笑いにすげかえられた。あんなにツラかった半年はこれまでにないが、青春の定義は「もう二度とやりたくないこと」なので、あんなに楽しかった半年もかつてない。そして、あれをもっとデカイ規模で、塀の外で、「もういっかい!」と言うからには、それでもわたしには足りなかったのであろう。全宇宙が涙と笑いに満たされない限り、わたしは幸せになれぬ。今日、このキチガイの夢を、もっとでっかい仲間の夢にしてくれたあの男、いや変態は、異常なまでに「ただの人」になっている。あの変態を「ただの人」にしたあの文化祭は、ほんとうの宗教だったと思う。あの男が祭のあとでやけどの残るからだで書いた文化祭文集には、いま手元にはないので記憶で引くが、「気持ちよかったよおぉ〜〜〜〜〜!」と書いてある。この男がまるで教祖ではなかったのは、大方の教祖というのは、いつも自分自身の愛の欠落を、他の人からの愛(じっさいはどこも愛でない)によって埋めようとするかなしきさがの持ち主なのだが(それは宗教団体ではなくそこらじゅうにいる)、この男には愛しかなかった。それをわたしたち仲間の多くははじめ疑った。だが、活動していくうち、おのおのが、どうやってもこの男の内部には、おれたちへのきしょくわるいほどの愛しかないと気づいていった。おまえがやりたいならやんなきゃダメでしょ。レッツゴオクレイジーにやんなきゃでしょ。足んないっしょ。やっちゃえよ、やるなら全力の全力でやれ。おまえならできる。おまえがやんなきゃだれがやんの。あとから聞いた話では、ほかの仲間は不祥事でつぶさせないためガミガミやられてたらしいが、わたしはいちどもやられた覚えがなく、ただ、ふつうじゃね。おまえはもっとキチガイだろ。このままでいいの? おまえが始めたレッツゴオクレイジーだろ、と鼓舞されるだけだった。わたしはこの男の以前にも以後にも、あれやんな、これやんな、自嘲しろ、やべえよ、まずいよと言われるか、そっと無視されるかなので、ただひとりこの男だけが、わたしが常識人の弱虫なことを見抜いていたのだと思う。あのレッツゴオのゴオのきもちわるさがいまも耳から離れない。地獄の住人も、あのゴオにはかんべんしてくれと泣きだす。愛にとって狂気などはてめえの鼻くそより清潔なのだ。