フィールドワークとして生きる

村上陸人


 鉄製の重たい扉を開く。入口で立ち話をしていた二人の男性が身を寄せて部屋の中へ通してくれる。集金ボックスが目に入る、と同時に受付の女性と目が合う。鞄から財布を取り出して千円を渡す。ドリンクを聞かれ、ハイネケンと答える。「ハイネケンね、うちなくて、ハートランドでいいですか」と女性。そうだ間違えた、この店のビールはハートランドだった。フロアではバンドが今にも演奏を始めそうな雰囲気である。五十代だろうか、おじさんバンドという感じで、見るからに味がある。この酒場に最後に来たのは多分学生のころで、かなり前だが、店の雰囲気はあまり変わっていないようだ。客は互いを見知っている様子で、和気あいあいとしている。二十一時近くだったかと思うが、客入りはいいとはいえない。ステージのないフロアの中央にいるバンドを、十人くらいの観客が囲んでいる。演奏が始まり、みなうねうねと身体を動かす。大音量をあびるのが心地良い。終演のころには演者も観客もかなり酔っぱらっていた。バンドの演奏が終わると、さっきまでフロアでくねくね踊っていたおじいさんがDJ卓に行き、レゲエを流す。バンドのメンバーは観客に混ざって酒を飲む。目新しいのだろう、私に話しかけてくれた人もいる。副流煙のなかで大声を出したせいで、のどが痛い。

 場に適切な身体感覚がある。ここでは、常連が守る暗黙のルールとも異なって、やっている本人も気づいていないような身のこなしを指している。そのような身体感覚は場に通うことで獲得される。通うことを中断すると、場での適切な振る舞いかたを身体が忘れてしまい、身のこなしがぎこちなくなる。しばらく行っていない酒場では、適切にビールを頼めないし、適切に盛り上がって身体をうねうねさせることができない。

 他の例を考えてみる。例えば、電車を乗りこなすのにも、特定の身体感覚が求められる。

 改札にスマホをタッチして通り抜けようとする。モバイルスイカがうまく反応してくれなくて、タッチミス、ピンポーンと改札に通せん坊されてしまう。さがってもう一度タッチをして、エスカレーターを駆け上がるが、ちょうど目の前で電車が行ってしまう。乗換検索をしてみると、どのルートも新幹線の時間ギリギリで焦る。

 改札でのタッチが成功するためには、特定の所作でスイカをかざさなくてはならない。新幹線に無事乗れるかは、ミスなく上手な乗車と乗換ができるかにかかっている。これらの振る舞いが身についていない者は、地図アプリから排除され、想定時刻に到着できない。

 東京から浜松に生活拠点が移って五年近くたつが、だんだんと、東京に足を運ぶことで負う疲労感が増しているように感じる。東京で遭遇する諸々の場には、それぞれ適切な身体感覚を要求しているのだが、東京を離れ時間が経つにつれそれらの身体感覚を失っていっているということなのかもしれない。ぎこちないよそ者になったと言えばそれまでである。だが、よく言えば、馴質異化、当たり前の問い直しが進んだとも言えるだろうか。そういうことにしておく。

目次へ