十三という数字は不吉だとされることがある。西洋では最後の晩餐に十三人いたことから忌避される。しかし暦には十二月までしかないのだから、十三月号というのは存在しない月、架空の月ということになる。存在しない月の号を出すというのは、どういうことだろう。
思えば「偏向」という誌名からして、まっすぐでないことを標榜している。まっすぐでない雑誌が、存在しない月の号を出す。これはもう、存在しないことを存在させるという、ほとんど詩的な行為ではないか。いや、詩こそが、存在しないものを言葉によって存在させる営みなのだから、十三月号を出すことは、きわめて詩誌らしい行為なのかもしれない。
今号には、いくつかの連載と、自由投稿と、新しい試みとが混在している。連載は続いているが、同時に常に変化している。執筆者たちは、同じテーマについて書き続けながら、少しずつ違う角度から見ている。それは、同じ場所に何度も立ちながら、その都度違う風景を見るようなものだ。
今号のテーマは、あえて言えば「透明性」だろうか。無線の電波、子どもの視線、語りと文字、影と光、水と呼吸、時間の重なり。どれも、目に見えないものを扱っている。しかし、目に見えないからといって、存在しないわけではない。むしろ、見えないものこそが、世界を支えているのかもしれない。
十三月という存在しない月に、目に見えないものについて書く。これは、ある種の信仰に近い行為だろう。しかし、わたしたちはそれを続ける。存在しないものを信じ、見えないものを見ようとする。それが、詩を書くということであり、また生きるということでもあるのだから。