影を踏む

原凌

 最近、階段を降りるときに、自分の足の動きに意識が向くようになった。右足を出して、左足を出して、という動作を、一歩ずつ確認しながら降りている。

 きっかけは、とあるビルの階段で足を踏み外しかけたことだった。三階から二階へ降りる途中、スマホを見ながら歩いていて、あと二段残っているのに、もう着いたと錯覚した。右足を踏み出したとき、床がない。一瞬、宙に浮いた感覚があって、慌てて手すりにつかまった。大事には至らなかったが、心臓がドキドキした。

 それ以来、階段を降りるときは、必ず足元を見るようにしている。そして気づいた。ぼくは、階段を降りるとき、足の裏の感覚で、次の段の高さを確かめていたのだ。

 右足を出す。足裏が空中を滑っていく。やがて、つま先が段の角に触れる。その瞬間、足裏は段の高さを測る。そして、ちょうどいい角度で足を降ろす。左足も同じように出す。この一連の動作を、無意識のうちに繰り返している。

 普段、ぼくたちは階段を降りるとき、いちいち考えたりしない。足が勝手に動く。しかし、その「勝手に動く」の中には、実は繊細な身体の知覚が働いている。足裏の感覚、膝の曲がり具合、重心の移動。そうしたすべてが連動して、階段を降りるという動作が成り立っている。

 試しに、階段を一段ずつ、意識的にゆっくり降りてみた。右足を出す。足裏が段に触れる感覚を確かめる。体重を移す。左足を出す。また触れる感覚を確かめる。こんなふうに丁寧に降りたことは、たぶん、小さい頃以来だ。

 不思議なことに、ゆっくり降りると、階段が違って見える。普段は気にもとめない段差の高さや、手すりの質感、壁の色までが、くっきりと見えてくる。速く降りているときには見えなかったものが、見えるようになる。

 これは、歩くときも同じかもしれない。急いで歩いているとき、ぼくたちは周りの景色をほとんど見ていない。目的地に向かうことだけに意識が向いていて、途中の道は、ただの通過点にすぎない。しかし、ゆっくり歩いてみると、いつもの道が違って見える。道端の草、建物の壁、空の雲。それらが、急に存在感を持って迫ってくる。

 速度と知覚は、深く関係している。速く動けば、世界は流れ去る。ゆっくり動けば、世界は立ち止まる。そして、立ち止まった世界の中で、ぼくたちは初めて、細部を見ることができる。

 階段を降りる、という何気ない動作の中に、こんなにも多くの感覚が詰まっていたことに、足を踏み外しかけて初めて気づいた。普段、無意識にやっていることを、意識的にやってみる。そうすると、当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではないことがわかる。

 ぼくたちの身体は、驚くほど精密にできている。足裏の感覚一つとっても、段差の高さを瞬時に測り、適切な角度で足を降ろす。この繊細な調整を、無意識のうちにやっている。しかし、その無意識の働きを意識してみると、身体という存在の不思議さに気づく。

 最近、階段を降りるのが、少し楽しくなった。一歩一歩、足裏の感覚を確かめながら降りる。段に触れる瞬間の、あの微かな衝撃。体重が移るときの、バランスの変化。そうした感覚に注意を向けることで、ぼくは今、ここにいることを確かめている。

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