「考える葦笛」
侏羅紀6月号に1─3章を書いた。その続きを連載してゆきたい。
4では、谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』とそのシリーズが、わが国唯一といえる思想小説埴谷雄高『死霊』(しれい)の後継作であるというところから、カントの「理性的存在者」という謎語にせまってゆきたいが、下準備に時間がかかりそうだ(両作ともに長篇なので)。なので、一旦ブランクとし5から書いてゆく案もある。そこでは、そもそも理性とは何か、ということをプラトン『ソクラテスの弁明』、柳田國男『遠野物語』、賢治童話から考えてゆきたい。これには今年秋に、わたしが花巻、遠野、三陸、白老(北海道)を旅した感想が反映されるとおもわれる、が、書いてみなくてはわからない。
「POETIX」
『「偏向」侏羅紀』に序(未完)を書いた。連載用に、内容は別になるが、もういちど序から書きはじめるつもりである。説明することが至難。詩からこの世のすべてを捉え直す。さきの序に書いたが、太陽は月のひかりの影にすぎない。──すべての詩人は女性である。
この宇宙は母音で出来ている。シリア、パレスチナ、ウクライナ─ロシアetc.戦争は子音しか持たない。詩は不要不朽だが、POETIXは必要必急──そういう気がしてならない……
鳳尻紀でのメイン連載は右の二つとなる。どちらもまとまった一著のような形態となることをめざして書いている。「偏向」叢書のようなかたちで出せればよいなとおもっている。
『涼宮ハルヒ』シリーズに関しては、「考える葦笛」ではなく独立した論をなしたいとの考えもある。ことし令和六年にアニメ第一期が放送された『小市民』シリーズについてもそれなりにまとまった何かを書くかもしれない。岡田麿里論、新海誠論はかなり腰が重い。伊藤計劃論はそれよりはやく着手できる気がする。サブカル論などではない、POETIX 。
「DigItal-AnaLog(ue)──言葉にとって美とはなにか」【以下、「D」】
「(ANIMA)TION──心的活動論」【以下、「あ」】
「バーチャルの果て──共同仮想論」【以下、「バ」】(風の唯物論を共同仮想論にあらためた)
これらは三論として、「偏向」創刊準備6月号(最初の月刊冊子)いらい執筆予告をして来た。「D」のみ既出の文章がある。創刊準備789月号「D(同タイトル)」、白堊紀4月号「書字方向についての執筆メモ」「縦書きについての覚え書Ⅰ」「D」──章分け「筆者は『偏向』でDigItal-AnaLog(ue)を書き、何がしたいのか」「デシタル類推能力批判 Ver.1──喩めぐり」「デジタル類推能力批判 Ver.2──(ANIMA)TIONへの架橋」(*つき二篇は『「偏向」白堊紀』に改稿所収)「DigItal-AnaLog(ue)再開のために必要とされたごたく」──『「偏向」白堊紀』書き下ろし「ヨコ書きについての覚え書Ⅰ」、その他の文章も「D」の視点はつねにある。『侏羅紀』書き下ろしの「詩占いⅡ POETIX 序」は*つきのデジタル類推能力批判と兄弟篇といえるetc.──以下、五論起草の動機と見通しをいまいちど書いてみたい。
まずこの三論「D」「あ」「バ」は、これから書かれる論であるが、すでにわたしのうちにある原理といえばいいか……もうひとつ「Let's go Crazy!」とあわせて、いわばわたしの思想といいたいが、三論のほうは、修行中といおうか、まだ手中に納めているといえないという意味では、やはりこれから書かれる、というより書くことで……これもちとちがう。
わたしには『崖のある街』という第一作品がある。一一一篇の詩で織り上げられた作品である。この詩作・製作のあいだにわたしがなかば無意識に駆使していた三位一体の力を三つに分けてみ、原理化?しようとするのが三論といえばいいか。火を盗んで提供しようというわけだ。だが、言語以前の力そのものを、理論化?できるはずもなく、むしろこの力を詩作以外の領域──哲学、宗教、科学、芸術、文芸・サブカル批評、言語、医療etc.にむけポエティックな批判力として向けようとしている……といおうか、人の活動とはある意味全て言語活動である。言葉を発さずにからだを動かす、ねかす、眠る、夢をみる……そしてその人が関わるこの世界もまた言葉で出来ている。万物の根源をかんがえた古代の自然学者たちに習えば、それは「言葉」、もっといえば「母音」というのがわたしの考えだ。ここから三つをわけるのでなく詩という一点より全てを捉え直そうという「POETIX」の発想が出てきた。詩の底には狂気がある。ランボォは「コトバの合理的狂乱化」というが、合理的言語の印欧語族のフランス語においてのことだ。ニホン語は、そもそもあちらからすれば不合理的言語といえないか。そもそも合理の理、理性とは何だろうか、というところに「考える葦笛」という発想がでてくる。人間は考える葦といったのはパスカルだが、ここでいう「人間」はヨーロッパ的人間──これもまたニホンにおいて理解されているとはいえないし、あちらでも「人間」は自分たちを基準にしか考えていない──を指す。
アジアの感性においては、考える葦笛が人なのである。あちらでは古代すでにプラトンがその理想とする国家から詩人を排除しており(『国家』)、「勲し多けれど、人はこの地上に詩人として住まう」というには近代におけるヘルダーリンの発狂をまたねばならなかった。ゴッホが弟テオへの手紙にかいている、「日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出合う。彼は歳月をどう過しているのだろう。地球と月との距離を研究しているのか、いやそうではない。ビスマルクの政策を研究しているのか、いやそうでもない。彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。/ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、つぎには季節を、田園の広々とした風景を、さらには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。」(『「偏向」白堊紀』P213より孫引)。
『白堊紀』所収の同人・原凌の論文「情緒と教育──小林秀雄の教育観について」でも触れられているが、「かんがえる(かむかふ)」というニホン語を本居宣長は「か(整調の接頭辞)対へる」といった。『本居宣長』をライフワークとした小林秀雄はこれに共感をよせ、対ふの「『む』は『身』すなわち自分の身です。『かふ』は『交わる』という意味です。だから、考えるという事は、自分が身を以って相手と交わるという事です。宣長の言によると、『考える』とはつきあうという意味です。ある対象を向こうに離して、こちらで観察するという意味ではありません。考えるとは、対象と、私とが、ある親密な関係へ入り込むことなのです。」(『白堊紀』P142)という。まだここには生活安定者のゆとりがかんじられる。「女の抱き方を知らん労働者は、本質に於て労働者をしめ殺しよる。それをかくして何が家族ぐるみね」(『非所有の所有──性と階級覚え書』より)パートナーの谷川雁が指導していた三池炭鉱闘争の間におきた仲間内での強姦殺人事件を、〝大事の前の小事〟として内密に処理されそうになったときの詩人思想家・森崎和江の訴え。これも「Ⅱ」に引いたマルクスの言葉〝自然において人間の自然にたいするの関係は、直接に、人間において男性の女性にたいするの関係〟、逆もまたしかりという。わたしたちの現代にひきよせてみれば、いかに地球温暖化「問題」や原発の放射性廃棄物「問題」について論じようとも、〝一茎の草の芽〟の描き方も知らないようでは存在に於て人間を、そして自然を〝絞め殺しよる〟ということだろう。ちなみにマルクスの言う「男性」と「女性」とは、セックスでもジェンダーでもない関係語である。『母型論』(1995)や「心的現象論」においてこちらも詩人思想家の吉本隆明は、乳児とその世話役はつねに女性と男性という関係をとるという。森崎和江のいう〝女の抱き方〟は、「赤子のあやし方」といいなおしてもいい(女性が赤子同然といっているのではない)。同人村上が「フィールドワークとして生きる」で書いている、「抱っこで息子をあやしながら、他者と共に生きることを考える。彼はまだ、言葉を発さない。泣くことで空腹や心地悪さを伝えてくる。泣き方には色々あるが、どの泣き方がどのような訴えかけに対応しているのか、僕はまだ読み取り切れない。しかし、意味はわからなくても存在の重みは伝わる。ワンオペの時間は、否応なく対峙する他者と、言葉に依らず共に生きる時間に他ならない」(『侏羅紀』P16)。これは、世話役が赤子を抱きながら、同時に赤子によって世話役が抱かれている画である。自然の手解きをうけているといおうか。ここには「意味」の伝達による言葉のやりとりはないが、対話がある。〝僕はまだ読み取り切れない〟この記述一つ、村上が対話の中にいることを示している。書けるようで書けない一文とおもう。同連載に彼がお産に立ち会ったときの文章もある。当時はまだめずらしかったパートナー立ち会いのラマーズお産のあと森崎和江は書いている、「一個の生命が、存在としてわたしの目のまえにあらわれた事実に打撃をうけました。それは一瞬のうちにわたしを、単独な存在へと放ったんです。わたしはいいようもない感動でいました。夫とその瞬間まで持ちあおうとしていた連続性──その架空な共有の世界と、その生まれでた生命は全く無縁な孤独さでわたしたちのまえにありました」(『第三の性──はるかなるエロス』(1965)より)。村上は書く、「胎児および新生児が紡ぐ関係はさらに不思議である。胎児が母体を出て医師の手で取り上られる姿は、身体と身体が分離していく姿である、一なるものが二に向かう姿だった。自ら呼吸をはじめた新生児は、周囲と分かたれた個のように見える。一方で、胎児も新生児も生をその周りに依存しており、身体の分かれ目をはみ出している。妻の身体から赤ちゃんが産まれたとき、新しい生命のはじまり、新しい個人の登場を感じ、得も言われぬ感動を覚えた。しかし、その生命、その個人は、その周りと分かれていない。つい数秒前までは母体のなかにいて、一つの身体だったし、これからも他の身体と繋がり続ける。当たり前のように身体の分かれ目を乗り越える自分の子に、自分がいかに個人の観念に囚われているか気づかされる」。森崎と村上の双方の記述には、微妙なズレがある。しかし、森崎は村上の文章を読んで喜んでいるだろうとおもう。お産について、『道草』の漱石の小説記述から、村上の目でお産が書かれるまで百年以上かかった。母子だけでなく、異性間の対話をもとめつづけた森崎からは暦ひと還ぐり。村上の「フィールドワーク」の本気を感じる。森崎では分離が強調されてい、村上では連続にウェイトがある。村上は分離と連続の両方にめくばせをしているが、森崎は〝全く無縁な孤独さ〟とまで突き放す。この二人の時空を越えて生んだ対話の空間でこそ森崎の個の声は異性の〝分かれ目を乗り越える〟だろう。「わたしは子供を生むときのこの上ない快感を占有している事実がおそろしく、そのことにふくまれる女の性の心理の傲慢さに直面することをおそれて、夫を分娩の場によびました。わたしは十分に知っているんです。分娩の快感を。肉体をしぼる苦痛にも似た快楽を。それが生命の生産であるとともに、死へすれすれになっていくところの性の自己消費的な自己性愛の高潮であることを」。この自省が、分離を強調し、次のような詩の言葉となって、乳児に(同時に在りし日に乳児であった自分自身に)語りかけられる、
あなたは誰のものでもない
あなたは ただ あなたのもの
春の光があなたにふれて
あなたをのばす
村上は〝つい数秒前までは母体のなかにいて、一つの身体だった〟と書いたが、九〇年代における家族社会学者・落合恵美子の調査によれば当時の「若い妊婦は、妊娠の早い時期から胎児に名前を与え、あたかも人格であるかのように人称化して対話する傾向が知られるようになった。妊婦と胎児との人格としての「分離」の感覚は、出産以前にさかのぼるようになった」(『〈おんな〉の思想 私たちは、あなたを忘れない』2016,上野千鶴子より──森崎の引用も旅中で手持ちのこの文庫本によった。上野は森崎没年2022の「現代思想」11月臨時増刊号の森崎和江総特集に故人森崎に宛てた「わたしたちはあなたを忘れない」を寄稿しており、出発点から森崎を重く受け止めてきたことみてとれ、わたしがもっていた悪しきフェミストという先入見はやぶられた)。身体の分離と人格の分離とははなしがちがう。ここにもまたズレがある。だがまるっきり断絶してはいない。このズレと連続をいいあらわすニホン語は、森崎の時代にはなかった。村上の勇気ある「フィールドワーク」の記述が、少なくともこの「偏向」の上に、対話の場、森崎の意思をひきつげば、まだない?(対、産、いのちetc.)の思想の〝分娩の場〟を、産小屋を開きはじめてくれたようにおもう。このはなしは所帯持ちかどうかは関係がない。
上野 〔…〕「産」の思想というものが無い、無いとすれば誰かが作る必要がある、それを作るのは誰だろうか、私もその一翼を担うのだろうか、と思ったこともあるけど。
森崎 ええ、担うべきでしょうね。
上野 でも、現にわたしは産まない女になって……。(上野編 1990 : 48[『性愛論──対話編』「見果てぬ夢──対幻想をめぐって」1994 河出文庫所収の対話])
と言ったときのことだ。森崎さんは突然激してこう返したのだ。
森崎 そんなの関係ないでしょう! 私、そういうこと言ってるのと違いますもの、ね。そう言ってしまえば、男はみんな同じことを言って逃げますよ。そんなことと違うんだよ。ねえ。そうじゃなくて。そりゃ、男と一緒にやりたいことって対しかないですよ、対幻想がどこに依拠しているかと言うと、そういうふうにして、対であることによって新しい生命──次の時代──に具体的につながる行為が持てるってことでしょ。産まんかったら対の思想化を感じなくていいって言ったら、私怒っちゃう。泣く。そういうことと違う。(上野 1990 : 48-49)
そのときの森崎さんの口ぶりを、わたしは今でも覚えている。
(「わたしたちはあなたを忘れない」より)
「対幻想」という耳慣れない方も多いであろう捏-造語が出てきたので同じ文章から、
対談のテーマは「対幻想をめぐって」だった。吉本隆明が『共同幻想論』(吉本 1968)で提示した「対幻想」という概念について、「性が政治に匹敵すべき問題だというのが「対幻想」という概念が提起した衝撃」だったと対談のなかでわたしは語っている。森崎さんは吉本が「対幻想」ということばを生み出したことを「ありがたいこと」と述べて、「女性解放は対の解放だというところへ私自身が入り込んで」行ったという。「対の解放」とは、いまのことばでいえば、「男と女の関係の解放」というべきだろう。そして「対を生きてくれ」と男に要求するのは「男の戦列から脱落してくれという要求と同じだった」と言う。/対談には「見果てぬ夢」というタイトルがついていた。わたしはようやく夢から覚めようとしていた。それは見果てぬ夢、不可能な夢だったかもしれない……と述懐するわたしを森崎さんは肯定してこう言ったのだ。
森崎 自由になりたくて、対はその方便だったかもしれませんよ、私にとっては。
命がけで対の思想を生きようとしたひとのこの言葉を聞いてわたしは衝撃を受けた(…)
さきの文庫本の方で上野はこう述懐する「ことばこそ使わなかったが、森崎は対幻想を生きていた。そして思想とは幻想の別名のことだ。のちに吉本隆明が『共同幻想論』
(1968)を刊行したとき、わたしはそれにふかい衝撃を受けたが、彼の「対幻想」という概念を、わたしはとっくに森崎を通じて受けとっていた。今だから正直に告白するが、わたしは森崎の読書体験を通じて吉本を読んだのだと思う」。さてこれらの引用では「対幻想」が何だかはわからないとおもう。ヨーロッパの分析哲学などに慣れた読者がいれば、用語の定義をせよとイラついておられもしよう。極論からいえば、吉本のいう「対幻想」とはそれがかたられる(たとえば右の森崎と上野の対談のように)とき、そこにただようまぼろしのような何か、強いていえばアトモスフィア、である。「あなたを忘れない」、そういわれるときに、その語を成り立たせている背景である。この背景の記憶は、一対の男女関係からしか生まれ得ない。それは片方の「忘れ」るという恣意によってなかったことにできない。対幻想でないからこそ上野は森崎に、「あなたを忘れない」と
言う。「個人と個人との心の相互規定性では、一方の個人がじぶんにとってじぶんを〈他者〉におしやることで、他方の個人と関係づけられる点に本質がある」と吉本は『共同幻想論』に書いている。だから「恣意的にじぶんの記憶からじぶんの行為を消し去ることができる」。「一方の個人が他方の個人にとってよそよそしい〈他者〉ではなく、勝手に消し去ることができない綜合的存在としてあらわれる心の相互規定性は、一対の男女の〈性〉的関係にあらわれる対幻想においてだけである」。これが対の
幻想とよばれていることには再三注意していい。これは夢としていわれている。この対関係の崩壊(それ以前にそもそも関係を結べていないことの方が多いかもしれない)、それにともなう家庭崩壊などは、むしろ令和現在の平均値といってよいだろう。森崎にもそうであった。「出産後、『それからのわたしはまたくりかえし夫に対話をせがんで、くだびれている夫を困らせた』という。『彼個体の基準となっている概念的単独性と、孤独な魂としてあらわれた個体と、わたしが子供を生んだあとに感じているもはや性を卒業したものとしての単独志向』
(森崎1965 : 63)について語り合うためである」
(上野、同前文庫本)。森崎自身が、いわゆる「家の女」とされることを拒絶する根っからの単独志向者である。その単独者がいう、性とは「単独者の実体ばかりではなくその影まで崩壊させんとする相互の傾斜」と
(『第三の性』1965)。ここが対幻想の生まれる現場である。そして一度ちぎりあった対幻想がつづくかつづかないかは、大小様々の共同体や共同性が崩壊しつつある現在では、この個人と個人のむすびあう努力にしかまったく寄る辺がなくなってきており、崩壊しながらつづいているか、離縁のあともかろうじてつながっているか、まったく絶たれてしまっているかがむしろ常態となりつつあるのではないだろうか。
性も産も、女ひとりでなしとげることはできない。ならば性の思想と産の思想とを、一対の男女のいのちとことばを賭けて、対峙するなかから生み出せないか……その相手に森崎は詩人・谷川雁を選んだ。最初に谷川が森崎を選んだが、森崎はそれに応じた。ことばと身体とで互角に闘える相手として、不足はない、というべきだったろうか。
(…)すでに夫も子どももいた彼女は家を出るときのいきさつを『第三の性』のなかで赤裸々に描いている。「彼と結婚したい……」と切り出したとき、思想と暮らしを他の異性と共同することを、「結婚」という稚拙な語彙でしか表現できなかった妻に、夫はこう告げる。
沙枝[森崎自身をモデルとするとおぼわしき創作内の人物─白石註]がやりたいと考えていることの相手として[そのお相手は]不服でない。こいつはだめだと感ずるなら、沙枝がどういっても止める。(中略)沙枝が浮気をしたとは考えていない。そういうことをゆるしたりみとめたりするのではないよ。またほかの男にうばわれたというふうにも考えていない。今後は沙枝か相手かどちらかが一瞬でも自分の動揺をゆるしたら、共にだめになるよ。くたばらぬようにしなさい。駄目になるような沙枝なら、自分の妻として一日も一緒にくらしたりはしなかったろうという気持がある。言葉を生きることの軸にする資質を自分がもっていたとしたら、決してこうはさせなかった。
そして子どもの父としてこうつけ加える。
子供たちは最後まで責任をもって共同で育てていこう……
ここにはもちろん書くうえでの森崎自身による理想化はある(まっとうな詩人において書くことはまず現実においつめられた自己への配慮であるからだ)。じっさいそうとおくない生活史の事実はあったとおもわれるが、これは森崎自身がかろうじてつなごうとしていた対の幻想のぎりぎりの姿だととりたい。「わたしは夫を知ったこと、彼の子供を生んだことを、一切をぬきにしてその人格への感謝のようなものとして心あたたかくおもいおこすんです」
(同前。)『第三の性』からもう約十年ほどたっての詩集『かりうどの朝』のあとがきには、虚構をかいさないもう少し生々しい回想がある。これを読むとさきの「夫」の少々いさぎよすぎる言葉の出てくる現場には、濃厚な死の匂いがたちこめていたことがわかる。
あるとき、谷川雁から手紙がとどいた。「母音」[同人詩誌]に発表した「冬の放火」を評価してくれて、[森崎の]肺臓手術のまえに逢いたい、とあった。すぐれた詩人として人々の意識にのぼっている谷川雁の作品を、私は好まなかった。というよりも、詩的完結というものを、決然たるモノローグと勘ちがいしているようなその発想を、敵視していた感がある。ちょうど性愛の様式化が、家父長的一夫一婦制へとデモクラティックな変貌をきたしつつ、その実はまるきり内容不明なあいまいさであるように、彼の詩は、みずからの性に対する不問の態度以外でないなあと感じていたのであった。私は、詩とは、本来、他者とのダイアローグであると考えていた。自分以外の、自然や人々との。
手術後たずねて来てくれた谷川雁に、私は逢わないままで、夫に応対したもらった。父の死の直後であった。その父の死の半年後に、弟・健一が命を絶った。早稲田大学二年。死の数日まえ、私をたずねてきた。共産党の五十年分裂ののちの東京での心重い生活を、彼は語ること少なく、ただ「しばらく甲羅を干させてくれないか」といった。「そうさせたいのに、わたしには一寸の土地もない」と私はいった。夜ふけまで無言で、どちらとも体が裂かれるようにつらくて、無力であった。
健一とあのような別れをしなかったならば、谷川雁が私のまだ生まれぬ論理へ自分の破壊すら注ぎこむと、抱きこんでくれていても、日常のくらしを共にすることはなかったろう。私は、一緒にたたかいたいけれど一緒にくらしたくない、とさからってきた。「日本がきらいだから……」と。
こうした私の感性を論理化するために、谷川雁が努力してくれた無数の対話。それはことばの対話は破片にすぎない。性愛すら微塵であり、まさに、ふたつの死を重ねた。
(『森崎和江詩集』現代詩文庫、思潮社より)
『共同幻想論』において吉本はこういっている、「ヘーゲルが鋭く洞察しているように家族の〈対なる幻想〉のうち〈空間〉的な拡大に耐えられるのは兄弟と姉妹との関係だけである。兄と妹、姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれほど隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質を保つことができる。それは〈兄弟〉と〈姉妹〉が自然的な〈性〉行為をともなわずに、男性または女性としての人間でありうるからである。いいかえれば〈性〉としての人間の関係が、そのまま人間としての人間の関係でありうるからである」。
これは原理論(主観的な意見や確信でない)だが、わたしの文学的想像にも合致してる。引用した森崎の文章に漂っているアトモスフィアが次なる想像をわたしに与えずにおかない。森崎姉弟の母は、森崎が朝鮮から博多へ引き上げてくる一年前の一九四三年に亡くなっている。引用文にあるように弟・健一が命を絶った一九五三年五月(三月に森崎は出産)の半年前には父が他界。和江の三つ下に次女の節子がいる。健一はその二つ下の長男。四月末、健一が和江宅に訪れた最後の夜、居候の次女節子もそこで寝ていたという。夫も寝ていた。この家がすでに健一の甲羅を干せるところでないということは、健一自身訪ねる前からすでにわかっていたろう。吉本の語でいえば彼は〈対なる幻想〉を求めてやってきた。それを姉・和江から拒絶されるとももに、健一の〈幻想〉はこの世から消滅した。卑怯な書き方かもしれないが、吉本の原理論によれば〝姉と弟の関係だけは〈空間〉的にどれほど隔たってもほとんど無傷で〈対なる幻想〉としての本質を保つことができる〟。なぜなら姉と弟は〝自然的な〈性〉行為をともなわずに、男性または女性としての人間でありうるから〟。これはアトモスフィアのはなしで、じっさいに二人のあいだには〝夜ふけまで無言で、どちらとも体が裂かれるようにつらくて、無力〟な時間があったにすぎないのだろう。しかし、姉と弟、あるいは兄と妹の(和江は健一を「弟というより、なんか兄貴のよう」
(『日本断層論 社会の矛盾を生きるために』2011 より)ともいっている)どんなに空間を隔てても「永続する」
(同前、吉本)はずの〈対なる幻想〉、ヘーゲル曰く「混じり気のない関係は兄と妹の間に在る。両者は同じ血縁であるが、この血縁は両者において
安定し、
均衡を得ている。だから両者は互いに情欲をもち合うこともない」
(『共同幻想論』より重引)純粋幻想がよろめくのは、互いの血縁が
不安定で均衡を欠いているときしか起こり得ない。これは健一が命を絶たなかったとしたら、和江が、という絶体絶命の状況であったと推定できる。
岡田麿里脚本のテレビアニメ『true tears』では、そのケースが描かれている。ヒロインのひとり石動乃絵は、両親不在の家に兄と二人暮らしで、仲睦まじかった。愛する祖母の死いらい、泣くことができなくなっていた乃絵は、ある日高校の同級生の主人公仲上眞一郎と恋仲になる。しかし眞一郎の心中にはもうひとり幼馴染で、両親を亡くし、その両親と縁があった仲上家に引き取られ、一つ屋根の下で暮らしている湯浅比呂美が居た。彼女は彼女の母と自らの夫の浮気を疑っていた眞一郎の母から、実は眞一郎と比呂美が胎違いの兄妹(もしくは姉弟)であると吹き込まれており、幼少時からの想いをおさえこんでいた。乃絵と付き合うことになった眞一郎だが、ひともんちゃくののち彼の母の思い込みがとけ、比呂美とのあいだに血縁がないことがわかる(眞一郎はもんちゃくの前に比呂美からきかされていた)。三角関係にやぶれた乃絵に、今度は妹の自立のため比呂美と付き合っているふりをしていた兄・純から──眞一郎に血縁の秘密を告白したのちの比呂美の願いで雪の日に純がバイクを出し、横転したが助かった──想いを告げられる。それは家族としての愛でなく、一人の異性としてである…と。すなわち〝互いの血縁が
不安定で均衡を欠いているとき〟であった。ここでは乃絵が学校の木の上から飛び降りた(積った雪のため片足骨折で済んだ)のち、兄は単身上京し乃絵との共同生活を解消する。ここでの気分を持ち越しながらでなければ吉本の捻-出した「対幻想」という思想は感取できないようにおもえる。
〈性〉としての人間はすべて、男であるか女であるかいずれかである。だがこの分化の起源は、おおくの学者がいうように、動物生の時期にあるのではない。すべての〈性〉的な行為が〈対なる幻想〉を生みだしたとき、はじめて人間は〈性〉としての人間という範疇をもつようになった。〈対なる幻想〉が生みだされたことは、人間の〈性〉を、社会の共同性と個人性のはざまに投げだす作用をおよぼした。そのために人間は〈性〉としては男か女であるのに、夫婦とか、親子とか、兄弟姉妹とか、親族とかよばれる系列のなかにおかれることになった。いいかえれば〈家族〉が生みだされたのである。だから〈家族〉は、時代にとってどんな形態上の変化をこうむり、地域や種族でどんな異った関係におかれても、人間の〈対なる幻想〉にもとづく関係という点では共通している。そしてまたこれだけが、とりだせる唯一の共通性でもある。わたしたちはさしあたって〈対なる幻想〉という概念を、社会の共同幻想とも個人のもつ幻想ともちがって、いつも異性の意識でしか存在しえない幻想性の領域をさすとかんがえておこう。
〈家族〉のなかで〈対〉幻想の根幹をなすのは、ヘーゲルがただしくいいあてているように、一対の男女としての夫婦である。そしてこの関係にもっとも如実に〈対〉幻想の本質があらわれるものとすれば、ヘーゲルのいうように自然的な〈性〉関係にもとづきながら、けっして「自己還帰」しえないで、「一方の意識が他方の意識のうちに、自分を直接認める」幻想関係であるといえる。もちろん親子の関係も根幹的な〈対〉幻想につつみこまれる。ただこの場合は〈親〉は自己の死滅によってはじめて〈対〉幻想の対象になってゆくものを〈子〉にみているし、〈子〉は〈親〉のなかに自己の生成と逆比例して死滅してゆく〈対〉幻想の対象をみているというちがいがある。いわば〈時間〉が導入された〈対〉幻想をさして親子と呼ぶべきである。そして、兄弟や姉妹[同士]は〈親〉が死滅したとき同時に、死滅する〈対〉幻想を意味している。最後にヘーゲルがするどく指摘しているように兄弟と姉妹との関係は、はじめから仮構の異性という基盤にたちながら、かえって(あるいはそのために)永続する〈対〉幻想の関係にあるということができよう。
(『改訂新版 共同幻想論』角川ソフィア文庫より)
〈
対〉幻想の崩壊を身を持って体験しきった(生まれの家族、新しい家庭、闘争とエロス)森崎は、同時にいつも〈
対〉話ということに重きをおいてきた。これは可塑的で永続性もないが、幻想性そのものが死滅しつつある、というより死滅
したAfter1995の世界において、ほんのかすかな、わずかな、塵のごとき逃げ道をのこしているように思える。どこへの?
むかしのその詩集のあとがき[前出、『かりうどの朝』]に「私は、詩とは、本来、他者とのダイアローグであると考えていた。自分以外の、自然と人々との」と書いています。この思いはいまもかわりません。
しかしダイアローグということばは不十分です。私は、子どもの頃から鉛筆やクレパスをおもちゃにして一人遊びをしていました。そして、いつしか、心やからだに響いてくる自然や人や生きものとの、共振ともいえる世界を感じていたようです。それはかつての朝鮮で生まれ育った私が、話しことばのちがう人びと──朝鮮や中国やロシアやヨーロッパの人たちもいました──の、大人たちをも、ちいさくちいさく思わせるほどの美しさと広さで、朝や夕方の空が色調を変えることに心打たれ、ぽろぽろ涙をこぼしていたことなどと関連していると思います。小学校入学前後から、しばしば、そうした体験をくりかえしました。
その、自然界といのちのシンフォニーへの愛をはぐくんでくれたのが、「日帝時代」の大地であったこと、また、その大地に響きわたっていた歌とリズムであったことが、つらくて、幾度どなく崩れました。それでも類似する苦悩は地球上に満ち、歴史に刻まれ、姿をかえてつづきます。
それでも、表現とは、自分と外界との響きあいを、ことばや音や色や形へと対象化させることだと思いつづけてきました。というよりも、生きることとは本来そういうものなのだと考えるようになってきました。そして、いくらか具体化させつつ今日の社会や文明と対応してきた思いがしています。
(『地球の祈り』1998 あとがき、現代詩文庫同前。)
のちに森崎は弟・健一が命を絶ち、自らは生き残ったことの理由をなんども考え直しているが、それは夫の支えや、子をもったことや、谷川雁との対話etc.というより、彼女にはこのダイアローグといっても不十分な、詩を書くという行為、吉本隆明の言葉でいえば「自己慰安」、あるいは「固有時との対話」があったからとおもう。それが上野千鶴子との対談で語った、対を方便とした〝自由になりたくて〟の「自己への配慮」でなかったか。
身体の分離と人格の分離と。話は戻るが、この個体の内部における二つの分離のズレは、お産でなくとも、だれしもが(おとこでもおんなでもそれ以外でも)体験しうる思春期や心の病の場でもかんがえられる。これと真正面に取り組んだのは吉本隆明の「心的現象論」と、もしかしたらフランス現代思想家のドゥルーズもそうといえるかもしれない。しかし、後者においては、七〇年代に蓮實重彦による翻訳と紹介、八〇年代の浅田彰『逃走論』とそこからのブーム(同時期、渡仏しドゥルーズに直接師事、アルトーを研究した宇野邦一もいる)、そして近著に『センスの哲学』がある令和現在でも若い世代のフォロワーも多い千葉雅也『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』
(2011 博士論文、2013 改稿単行本)など、東大京大出身の大学人による啓蒙がつづいているが、わたしからは森崎との対話に接続できそうなところ、七〇年安保闘争の挫折ののち、体制からの「逃走」をかたりながら、その実、〈
対〉との対話(あるいは
愛の現場)からの逃走という、体制
への遁走をしつづけているように思えてならない。そんなことをいっても、フロイト─ラカン的なエディプス三角形(家族論)への
偏執病的お里返りといわれて了いだろうが。
さきに身体の分離と人格の分離について、〝このズレと連続をいいあらわすニホン語は、森崎の時代にはなかった〟と書いたが、これがそのまま吉本隆明の『心的現象論序説』の非常な難解を説明しているとおもう。そこでは
「原生的疎外」と「純粋疎外」のベクトル変容というふうに表現されている。そこから約三十年
(-1997.12)、のちに『心的現象論・本論』にまとまる連載が「試行」にて続けられた。この問題につき、吉本はわたしたちになんらかの解答を与えているわけではない(他のことについてもしかり)。ひたすら考えるための端緒をひらくためのライフワークであった。「本論 まえがき」のさいごに「兎にも角にも夢中になってやった/
(二〇〇八年七月)」とある。これは大前提としてさいごまで「自己慰安」を貫いたといっているのと変わらない。さきの〈対〉話をさして〝逃げ道〟とわたしはかいたが、それは七〇年安保闘争の挫折以降のおとこたちのスキゾ的「逃走」かゆるらかな保守化かという浅田彰的逃げの二者択一からの逃げ道というふうにもいえる。なぜなら逃げることはつねに追われつづけることであり、逃げ道は、逃げることをやめる一択しかないからだ。むろん異性や同性や無性と議論をするなどということでない。〝恣意的にじぶんの記憶からじぶんの行為を消し去る〟のをよすというごくかんたんな話である。わたしはデジタルとアナログをダイアローグでつなぐさまとしてこれを
DigItal-AnaLog(ue)とよんでいる。声変りや初潮精通近辺の少年少女と、人間と自然、声・文字の思想である。〈
対〉はごはさんさんでここまで来た、対話も壊しきりの事故物件による「自己への」……。
「あ」と「バ」については今回書けなかった。ずいぶんさきのはなしにおもえる。簡単にいえば、「あ」は〈対〉話から、〈対〉の深淵に降りてゆく危険な旅である。POETIXの「火の唯心論」「水の唯名論」(「詩占いⅡ」参照)とも重なる。「バ」は「空の実在論」「風の唯物論」との架け橋、「D」は「土の経験論」と「空の実在論」の対話といったところか。吉本隆明『母型論』(1995)をひきつげれば……。(了)