『「偏向」侏羅紀』に書き下ろした原稿の註だが、こちらが先でも読めると思う。気になったら本を買って本文を読んでいただけたら嬉しい。XのDMか henkou65@gmail.com にて注文を受付中。メルカリ専用出品か直接郵送(振込)。¥1400 (税込)
Ⅰ
すべて占いの行為の共通の特徴は、いつでも同じもの、いつも妥当するものであり、あらゆる場合に妥当するものとして探り出された規則、法則、類比の徹底した適用である。
真の信仰とは、──しるしに立ち向かい、聴くことをこのようにわたしが呼んで差支えなければ──辞典参照[占いのこと]を止め、辞典なぞ忘れ去ったそのときからはじまる。
「対話」ブーバー(『我と汝・対話』岩波文庫、植田重雄訳)より
引用右左は、そのまま右頁
(『「偏向」侏羅紀』P80)の黒枠の表と、左頁
(同前、P81)の灰枠の表への註である。左の〝真の信仰〟は、字面の仰々しさにまどわされず、子供の生というくらいに取ってよい。
右の表は、二つの使い方がある。一、自分の宿命としての資質がどの軸にあたるか。わかれば捨ててよい。二、すでにある何かを読み解くための参照辞典。冒険としての読みは、これを破棄してはじまる。これは古き世界の元型で、あたらしき世界の創造のために打ち倒さねばならない障壁である。同時に力。
左をよく読めば、ブーバーは辞典参照をはなから拒絶はしてない。聖書学者でもあるこの哲学者からすれば当然であろう。言葉はわたしたちが覚えたときにはつねにすでにそこにあった。旅中なのでgoo辞書から引けば、
しょ-よ【所与】1他から与えられること。また、そのもの。特に、解決されるべき問題の前提として与えられたもの。与件。「—の条件」。「詩占いⅡ」で引用しているエピクロスの言葉を再度ひけば、〝まず第一に、
有らぬものからは何ものも生じない〟
(『侏羅紀』P208)。これも又「Ⅱ」の明治二六年の北村透谷の引用より、〝自然は
吾人に服従を命ずるものなり、「力」としての自然は、吾人を暴圧することを
憚らざるものなり、「誘惑」を向け、「欲情」を向け、「空想」を向け、吾人をして殆ど孤城落日の地位に立たしむるを好むものなり、而して吾人は或る度までは必ず服従せざるべからざる「運命」、然り、悲しき「運命」に包まれてあるなり〟。ここが詩を
よむ人の出発点である。「Ⅰ」「Ⅱ」を書き上げてから、わたしは自らの親世代周辺と、同世代から下世代まで(Z世代)との異和を、もう少し理解したいとおもい、生理的に嫌悪してきたいわゆるポスト・モダン思想の翻訳書と国内知識人のよみくだし本とをひもときはじめたが、ほぼすべてに共通していると思われるのは、この透谷の自らの〝悲しき「運命」〟への覚醒を経ていないことである。いいかえれば、そこに詩がない。「Ⅱ」でいった第一の門上にさえない。かれらに対する詩の貌をブーバー「対話」にさがせば、〝ストラヴィンスキーのバレーの中に、歳末の市の広場の群衆に向かって、移動人形劇団の座長が、人々を驚かせたピエロは、実は衣装をまとった
藁箒にすぎないことを示そうとして、ピエロをバラバラに裂くが、──しかし突如よろよろとよろめいてたおれる。というのは、屋根の上で生きている本物のペトルーシュカが坐っていて、彼のことを高らかに嘲笑するからである〟。つづけてブーバーはいう、〝世界の具体性の真の名は、わたしにとっても、またすべての人々にとっても、信頼をよせている創造ということである。創造の中にこそ語りかけのしるしが、われわれに与えられているのである〟これは第一の門上のせりふである。
第0門下
(「Ⅱ」参照)の言葉を無作為にさがせばこうか。
「真実」は
美くしい人魚、
跳ね且つ踊る。
ぴちぴちと踊る。
わが両手の中で、
わが感激の涙に濡れながら。(…) 與謝野晶子
(『白堊紀』P377-378より重引)
Ⅱ
1
この章は、長く舌で転がしてきた詩人たちの言葉を出たとこ勝負で即興変奏しながら、わたしの思うところを表出した。
〝
太陽は神の光の影にすぎない〟ユーゴー
〝
男性は存在のアマチュア、女性は存在のプロフェッショナル〟土方巽
(きおくによる)
〝
勲し多けれど、人はこの地上に、詩人として住まう〟ヘルダーリン
(この詩のコトバは、ハイデッガーが「ヘルダーリンと詩の本質」で論じている。)
2
前章と同じく事前計画なし、無門から有門へ対句と韻を継ぎ、完全に即興で書かれた。通念としての学問となりうる根拠はない。学説のたぐいでなく一個の
物語として読むのが妥当。
(プラトン『メノン』)
ただ、ユダヤ教の異教神が、古代人に自然の力の化身と考えられた母音の疎外表出のち人格化されたものであるという考えはだいぶ前からあった。
ユダヤ語に、母音を表す
文字がないのも、それが神そのものをあわらすのであるから、ヒトの発明による文字にあらわすのを避けると考えるのが自然。
母音を本体とすれば、文字に起こすのは偶像崇拝、物神化、フェティシズムにあたるのでこの宗教においては避けるという発想は必至。──他に母音を表記しない理由が思い浮かばない。
יהוה HWHY↓の読み方(声にするのは忌避される)にはさまざまな通説があるが、五母音を一息に発した音というのが当面のわたしの考えである。四つの無音読字に対し、イアオウエという母音の列びが妥当性が高い(イア
ウオエと最後まで悩んだが、自らの音感に従った)。声にすることをはばかる、ということは、声にする=
振動させることで、人の手におえぬ異様の力が発揮される、という信をその
背景に考えねばなるまい。この信を根拠としたユダヤ教をおもんみなければ、「まずはじめに言葉があった」というキリスト教の発生、イエスによる神=言葉=人革命を想ってみることはまず不可能である、その嫡子たる
A.D.(主イエスの世紀)のヨーロッパの文明・言語・人間観の重圧の下、もう少しで最後の「ぎゃあっ」という叫びをあげそうになった
(「地獄の季節」)ランボォの詩業にしても、
かれは旧約の昔に人格神として疎外表出された母音を、自らの母語に盗りもどそうとした、そう考えねば「母音」や、見者の手紙における「コトバの合理的狂乱化」というかれの実行理念を理会することはできないだろう。活きた
母音つきの言葉を、かれは
動詞=シノコトバとよんだにちがいない
(「地獄の季節」)。それは自然を創りなおす力もつ未だ人手に負えぬ
ゔぁいぶであろう──これがわたしのいうイの系図の
原罪である。
ホは、古代ギリシア語の
プシュケーや
プリューマの最初の音
Φである。英語のサイキPsycheの語源となるが、fire火にも繋がる音とおもわれる。ニホン語にはないロウソクを強く吹き消すときのような音。
根源の母音イアオウエのあとに、このホΦが挟まり、人語のアオウエと続くのは、原意識の発生が、発語を呼び起こすと考えるからである。原意識の源が、プロメーテウスの盗んだ火(精神)と考える。
折口信夫に「ほ」に言及した草稿があるが、ホΦといっしょくたにするのはまずい。完全に無関係と言い切る根拠もまたない。保留。この「ほ」が火の
ほであるとは後代流であろう。ほのほ(火の穂)ととるのはずっと後代流。物言わぬ神が、現象でその意を発する、そのコトや発現した物自体がそもそもの「ほ」であると折口信夫は考えている。
わが祖先の用ゐた語にしゞまと言ふのがある。後期王朝に到つては、「無言の行」或は寧「沈黙遊戯」言つた内容を持つて来てゐる。此語が、ある時期に於て、神の如何にしても人に託言せぬあり様を表したのではあるまいかと思はれる。神語が行はれる様になつてからの語であらうが、其以前真に神の語らぬ時期にも、用語例を拡充する事が便利である。
神が、原始的のしゞまに於いて、どう言ふ発想法を採つたか。ある時代の後に、ほなる語で表したと思はれる所の、象徴を以て、我々その祖先は神意の表現せられたものと信じてゐた。
現象を以て神意の象徴せられたものと考へ、気分的に会得すべき象徴を、合理的に解決しようと努める様になつて、ほは神語の比喩表現と解釈せられる事となつた。かう言ふ現象の起るのは、神が如何なる意思からするのであらうと言ふ考へ方が一転して、此問題に対して、神はかうした現象を示した、此現象の示す所は、どうであるかと考へる様になる。第一歩は原因を考へるのであるが、此に到つて結果を問ふ形になる。此まではまだ象徴であるが、次には現象のみならずある物体が不意に出現し、或はある変化が個物の上に起ることがあると其処に、神意の寓つてゐる事を信じる。此時期に居ると、象徴観の外に、比喩解釈法を採る事になる。厳密に言へば、象徴時代のなごりがむたで、比喩時代に入つてほと言ふ語が出来たのではないかと思ふ。
「「しゞま」から「ことゝひ」へ」大正十三年(1924)推定(『折口信夫全集』4、中央公論社、一九九五年)より
(囲み線は、傍線であらわした。)
ここで折口信夫はニホン語のアニミズム時代の出口附近とおぼわしきあたりの言語想起をしている。アニミズムは現在のわたしたちの感性や言語(オノマトペなどがそのさいたる)にも残存しているので、ここでいうアニミズム時代とは、言語意識の先端がそこに含まれている時代というくらいの意味である。同じ文章中あとの箇所に、わたしのケチな先入見にとってはおどろくべき洞察がある。
(…)時としては却て逆に、古い世にこそ、庶物の精霊が神言をなしたものとすら考へる様になつた。「磐ね」「木ねだち」「草のかき葉」も神言を表する能力があつたとする考へが是である。我が古代の言語伝承に従へば、之をことゝふ或はことゝひすると称へてゐた。併しながら「ことゝふ」なる語の原義に近いものは、唯発言する事ではなかつた。「しゞま」を守るべき庶物の精霊が「ことゝふ」時は、常に此等の上にあるべき神の力が及ばぬ様になつてゐる事を示してゐる。即神の留守と言ふた時である。其時に当り、庶物皆大いなる神の如くふるまふ状態を表すのである。だから、巌石・樹木・草木の神語を発するのは第二次の考へ方で、此等皆緘黙するものとしたのが、古い信仰だつたのである。事実庶物の精霊の発語することは、後代却て不思議とせぬ所である。伝襲を役としてゐる律文類では、枕詞一類修辞法の様に「言とはぬ木すら」など言ふが、其根本必しも岩石草木に限らず、地上の庶物を斥す事を考へれば、又草木岩石も物を言ひ人に化したりしてゐる事を考へれば、此成語の本来の意義は知れる訣だ。
つい先日(令和六年十一月二十四日現在より)、出た『宝石の国』(市川春子)の第
13巻では(最終巻)では、石が言葉を話し、人類滅亡のずっと後の世界の神となった主人公と対話したり、歌をつくったりするところが描かれている(石は非常に長い時をかけて独自の言語をもつにいたり、主人公がその振動を人語に翻訳している)。特装版の付録には登場
物のミョウケンによって収集翻訳された石語の詩集もついている。その「はじめに」にはこうある。「(…)そんなことより自然が作り出したあらゆる意思表明の最初に生まれ、最後に残るのは芸術で、特に詩だと思っている。/昔、『無機物の意思受容』という実験をした。ママの友達の石収集家からサンプルを借りて、石の意思(ジョークではなく)を読み取り、解析し、翻訳する実験というより遊びだ。楽しかった。誤解ないように言っておくとママは占いが大の苦手。そんなママの期待に応えるべく、ほんの少し(たった九割ほど)創作を交えながら訳した。気遣いって大切だよね。まあそれがきっかけで詩が好きになったから、石の簡単なスケッチを添えて思い出に残したくなったんだ。(…)」。本篇第百話では、ひとつの石が地面に模様を描いており、主人公が解読すると「遠い夜/古い光//星より/削れて/産まれた//すべての/破片に/等しく降る」というテキストになっている。それをもうひとつの石が、「とーおいー/よーるー//ふー/るいー//ひー/かりー//ほーしー/よりー//けー/ずれー/てー//うまー/れー/たー//すべーてーの/はーへんにー/ひとーしー/ くー/ふー / るー」と母韻をのばして歌うと、幸福のあまり主人公が溶けてみえなくなる。これは折口信夫によれば神の留守に庶物が神語を発する時にあたる。主人公は神と表現されているが、人間(滅亡した)と庶物の「橋」(作中の表現)というがふさわしい存在である。リルケならばこれを詩人といったかもしれぬ。折口信夫はこれより前に庶物皆緘黙した時代を想定している。アニミズム以前といおうか。わたしはさきにホΦと「ほ」は同じでないといったが、やはり人語のアオウエより先に、ホΦがくるというのは、この庶物緘黙時代と、どうにも関係なしとはいえない。わたしはこれを夢から採ってきたので、現在のところ翻訳することができない。
(後註)庶物緘黙時代につき、ヒントとなる記述をみつけた。
石牟礼 共同体というのは、万物が呼吸しあっている世界だと思ってきました。
母は百姓で、畑に麦を蒔きにいっていましたが、私はよく、母が麦を蒔くその後ろからついていっていました。母は麦を蒔きながら、踊るように歌うのです。
「だんごになってもらうとぞ もちになってもらうとぞ ねずみ女にひかすんな からす女にもっていかるんな」って。そういう母の姿を見ていたからでしょうか、麦という言葉は、その言葉を吐いた途端、私には何か鮮烈な感覚が伴います。
ねずみ、からすって言わないんですね。ねずみ女、からす女って言う。ミミズのことは、めめんちょろって言っていました。めめんちょろって言えばかわいいでしょ。
田中 かわいいですね。だんごになってもらうとぞっていうのも、かわいいです。
石牟礼 小豆も豆も麦も「だんごになってもらうとぞ」って。行く道々、草にもものを言っていました。
田中 麦にも草にも、ものを言うのですね。
石牟礼 はい。「おまえどもは、二、三日来んだったら、太うなったねえ」って。母が病気になって畑に行かれないとき、寄ってくれた近所の人が、「きょうは畑に行きますばってん、ハルノさん、なにか言伝はありませんか」って聞くんです。すると母は病床から、「草によろしく言うてくださいませ」って返事するんです。
母の言伝を預かったその人は、草によろしう言いに行かねばならない。日頃から、よろしう言わなければならないものが、身の回りにたくさんある。そういうものたちで世界は成り立っていると思いこんでいたし、今もそう思っています。
『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』田中優子(集英社新書)
このきおくは石牟礼の幼年時代、一九三〇年代の水俣の光景で、〈時代〉は遡行的にでなく、空間的にかさなりあって現在にあるとしても(たとえばわたしはいま壹岐の人工物のない岬から海をみている、ここはすぐそばの太古といえる、けっして三千年一万年前にしか縄文や海の時代がないわけではない)、定住耕作の場面であり、アニミズム以前、すくなくともわが国縄文中期以前にあたるとおもわれる庶物緘黙時代が、こんなにもすぐちかくにあるだろうか。「言伝を預かったその人は、草によろしう言いに
行かねばならない」、
行かなければどうなるのだろうか。とたん、草が話しはじめるのだ。石牟礼道子の母たちの生活はこの庶物(万物)との関係の緊張の上にある。
都会人からしてみれば、つねに発狂の一歩手前にあるといえようか。そうではないのだ、都会人こそが発狂のずうっと以後にあるのだろう。
———
ユダヤの異教神について書いたので、ここで「日ユ同祖論」についてのわたしの考えを述べておけば、これはさきの敗戦による一神教コンプレックスを語っているとしか思えない(提唱は明治にさかのぼり、スコットランド人宣教師によるが、本格ブームは戦後。文明開化後の近代化のかてい、知識人層の一部にも一神教コンプレックスはあったとはいえ、その裏返しの〝近代の超克〟からの敗戦という決定打に欠ける)。四方を海で囲まれた島嶼国においては、古今東西いかなる民族も漂着することはありうるだろうし、その中には当然ユダヤ人がおってもおかしくなく、またそれなりにまとまった氏族集団単位での渡来・定住・文化交流などもあったことだろう。外見からして、マレビトのような扱いを受けたこともあったにちがいない、しかし、それと同祖とはつながらない。この島嶼国には現在に至るまで非常に多くの混血がある。それも四方が海であり、鎖国政策などはあれ、地理的には開かれていることによる。非常な多民族国家と言ってよい、弥生時代以降から今日までの非常に短い期間に、政治・文化的に稲作民とそのイデオロギーが支配的であったというに過ぎない。
なにより同祖という考えにこだわるのであれば、ホモ・サピエンス(とりあえずは通念に沿ってこの呼び方をしておく)と呼ばれる現在のわたしたち人類は、ユダヤ人も含めすべからく最初のアフリカ人を同祖とする同胞とみるのが本統だろう。あとは枝葉に過ぎまい。最近では、太古のヨーロッパ地域において、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人との混血の痕なども指摘されており、ルーツを一つの源流に帰すという考え自体、根本的な改訂を迫られていよう。根無しの幹から枝分かれするのでなく根(さまざまな原始人類)が幹(原人類)になりやがて枝分れ(各民族)してきたという風に考えていくのが自然に沿ったものの考え方のではないか。いずれにせよこの木の幹は、太古のアフリカ人であろう。
「日ユ同祖論」には質問したい。なぜ同祖にもかかわらず、一方はすべてのひらがなに母音がまとわりついており、もう一方は子音をあらわす文字しか持たないか。この決定的なちがいをどう説明するのか。むしろもっとも遠い縁と考えるのが理屈にかなっていないか。あるいは多神教と一神教という相容れぬ宗教感性をどう同祖として説明するのか、──現在のわたしたちの言語(そこに宗教がある)に拠って。
ユダヤ人の民族意識の発生を一神教の発生と同時とするなら、同祖というにはその後に枝分かれしたといわねばならぬ。理念の上では、唯一神以前にユダヤ民族は存在しない。同祖論の意味もなくなる。
あえて助け舟を試みれば、たとえば失われた
10氏族のうち祭祀氏族がおり、かれらだけは母音を禁忌としておらず、それが訣れてやがて日本に流れ着いたとする。一応これで、さきの母音の問題は説明の端緒を得る。また宗教についても、祭祀氏族にだけ偶像崇拝やアニミズムや神への呼びかけ(母音)の禁忌がなかったと考えれば、無理ともいいきれない。
しかし、とすると、この事実をもとにユダヤ一神教への捉えなおしは当然おこなわれねばならないはずだ。そして、「日ユ同祖論」はさきにいったよう、もたざる一神教への同化願望がその喉元にあり、これは論者にとりはなはなだ不都合なので、追及されない。あるいは、短絡的なユダヤ民族の存在否認、さらには「日本人(もしくは
統治者or象徴としてのスメロギとその一族)こそが人類祖系である」などという意味のない主張へと向かう。意味がない、というのは、血(統)に根拠をおく宗教は、民族宗教(〝血は水より濃し〟)たりえても普遍宗教(〝水は血より濃し〟)たりえることはないということ、この考えは、争いや憎しみやレイシズム以外の何物も生まぬ。とはいえ血すなわちおのが肉体と実存を無視した〝水は水、濃さなし、みんな平等〟などのネオリベラリズム風のモノいいもまったく無効と考える。だれも血から水に至るしかない、というのがわたしの考えである。「イノセンス」をわたしは信じない。むしろものごころついたときからの原罪意識こそが、いつでもそこへとたちかえるわたしの原点である。
どのみちわたしたちニホン人は、現在のユダヤ教徒にせよキリスト教徒にせよイスラーム教徒にせよ、一神教(アブラハムの宗教)徒からすれば異教徒いがいの何者でもなく、じじつ蒙昧なる多神教・偶像崇拝の民としてソドムとゴモラの人人とおなじく神の〝硫黄〟を降らされ敗戦したのである。明治以降、万世一系とかたられた天皇は、人間宣言した。ユダヤ教からすれば、キリスト教も含め神が人間の姿でこの地上にあらわれるなどというのは涜神でしかない(預言者としてなら認めただろう)。この考えをもとに成り立つ民族を同祖というならば、同祖でない人種などない、とまでいわねばおかしい。ハエと人類も同祖といえば同祖である。同祖論とはこのような他者否定(同時に自己否定)の暴力でしかない。すなわち反ユダヤ主義こそが「日ユ同祖論」と同類である。永遠のユダヤ人Kはこの類を不安とよんだ。
あらためて「日ユ同祖論」は、ユダヤ民族とその宗教と歴史に対する無知、ニホンについての全般的な無知(とくにその宗教感性と言語)、その両方となにより自己にたいする無知とコムプレックスからのひらきなおりの態度の上にしか成り立ちようがない、といっておく。だがこの無知とコムプレックスは何かを語ってはいる、自らはきくことができない何かを。この点については依然きき耳を立てていく。
ホモ・サピエンスは太古のアフリカ人を同祖とする、もっといえば、太古のアフリカに生まれた最初のひとりの女性を母とし生まれた──同祖論をいうなら、想像説として、こちらの方がまだマシである。この考えには沙漠をうるおす何かがあるとおもう。
———
3
素朴なぎもんとして、わたしの黒枠のすでに埋まっている表は、あおうえイとなっていて、ならば「い」はどこにいったのだろう。イは沙漠で生まれる風の母音、と書いた。ならば「い」は何の母音か。
少し触れたが、ニホン語の母音において、「え」はもっとも遅くに這入った母音である。万葉集にはほとんど出て来ず、平安朝期の宮廷においてつかわれはじめたと考えられる(大野晋説etc.)。研究者の分析以上に、わたしにこれを実感させるのは、新潟の山里出身の母方の祖父が、いまだに「え」を発音できず必ず「い」となることだ。一九三〇年代の新潟の山里でさえ新母音「え」の圏外にある。現在の沖縄方言にあたる琉球諸語においては母音はあういの三つしかないことはすでに本文に書いた。すこし無理があるが、え水─暗喩軸の「え」は「い」といってもいい。いや無理でもない、「い」は水関係の語彙とひじょうに結びつきがたかい。川のことを江(え)というが、これは井戸の「い」がある時期に水や水のあるところ全般をいっていたのが、指示分化した「江(え)」だろう。
ええでも
いいでも好い。井戸の井は「ゐ」、江は「ゑ」とも書くが、いゐひえゑへ、この表記のゆらぎを水─暗喩軸の
えで象す。五十音とはいうが、これは虹が七色だといったりしてるのと同じで、じっさいはグラデーションである。イあおうえのうち、この変幻自在の音を担う天才が
え水─暗喩軸の詩人というのはこれから書いていく。
ところでわたしのはこれを学問といいはれば、絶対によくないあてずっぽうだ。断じて学問ではない。まさに「耳学問」。わるい直観をさらしにさらしたあとで、ゆっくりと己が無知を恥じてゆくしかない。
4
iは数学の虚数をあらわす記号として知られるが、それとわたしのいう非人称の
iとは関係がない。
(了)