先月インドに行ってきた。この国を訪れるのは二度目で、一度目はデリーやバラナシといった北インドの諸都市をまわり、今回はムンバイを拠点に西インドを観光した。インド、と一口に言っても大きな国なので、北と西とではだいぶ違う。ムンバイはさすがに経済と金融の中心地というだけあり、交通網も整備され、都市として洗練されている印象(といってももちろん、せいぜい数日滞在した観光客の無責任な感想に過ぎないのだが)。デリーも同じくインドを代表する世界都市とは言いながら、北東アジアの観光客と見れば寄ってくる詐欺師たちに辟易させられたり、クラクションの騒音や大気汚染に悩まされたりと、安全・清潔な日本に慣れた身としては、ここには住みたくないなと感じたのを覚えている。デリーにいたときには今まで見たことのない小さなつぶつぶした焦げ茶色の練り消し状の鼻クソが出てきたのを覚えているが、あれはやはり大気汚染のせいだろうか? 犬に噛まれてインドの病院・日本の病院と計四回もワクチンを打つ羽目になったのもデリーでだった・・・
ともかくムンバイはデリーに比べるとだいぶ過ごしやすい。しかしそれでも単に清潔なだけの街というわけでは無論なく、ふらふらと歩いていると面白いものを目にすることもある。例えば人面馬の像はゾロアスター教(現地ではパルシーと呼ばれる。「ペルシア」からきているらしい)の寺院のしるし。ムンバイは世界でゾロアスター教徒が最も多く住む街の一つなのだという。もちろんヒンドゥー教やイスラム教等に比べるとはるかに信者は少ないのだが、寺院は独特の存在感を放っている。パルシー料理というのもあり、チャイにレモングラスが入っていたりとか、いわゆるインド料理とは少し毛色が異なっていたりもする。
しかしムンバイにおけるゾロアスター教の文化の特異性を最もよく示しているのは「沈黙の塔」だろう。ゾロアスター教徒の鳥葬施設で、石積みの塔の中に横たえられた死体をハゲタカが喰らうことで処理する。街の一画に森のような場所があり、塔はその中心に位置している。観光客は森があるため塔の外形を見ることも難しい。それでもなお、こうしたいかにも現代的と見える都市に、その通常の運営におけるのとは一見して無縁な原理で営まれている場所があるという事実が、この街に豊かな奥行きをもたらしているように思われる。
しかしそもそも現代のムンバイにハゲタカなんかいるのか?という疑問は当然生じ得る。やはりハゲタカが大幅に減少しているのは間違いないようで、運営は困難になりつつあるのだという。ハゲタカが少なくなると、死体の分解に時間がかかり、近隣(森を隔てているとはいえ、住宅街の一画なのだ)に腐臭が及んでしまう。
これに対して、ウィキペディアによると、オゾン発生器や太陽光反射器を用い、腐臭を抑えたり分解を早めたりするための対策が行われているのだという。科学はしばしば合理化・理性中心主義に直結する原理とみなされるが、ここでは科学の最先端技術が非合理そのものとも言える宗教的ニーズに奉仕している。これは倒錯なのだろうか? きっとそうではなく、人がそれぞれに異なる信念や価値観を持ち続ける限り、科学技術は必ずしもそれを均一化するばかりではないことの一つの証左と見るべきだろう。