楳図かずお『14歳』は読み返す度に圧倒される傑作だ。こうした途方もない作品についてネタバレ云々などという貧乏くさい配慮──余談だが、最近の若者はネタバレなるものを忌避するのに過敏にすぎるのではないか。優れた芸術作品の価値はあらすじには還元されず、あらすじを知っている状態で何度読み返し、何度観返しても新たな発見がある作品こそが傑作なのだし、あらすじを知ることで興味が失われるような作品は芸術というよりはナゾナゾに近い──は不要なので簡単に述べてしまうと、世界の滅亡が近づく中、鶏肉から生まれた天才科学者や子供たちが、未来へと希望をつなぐため奮闘する物語である。作品の結びに至り、この世界とは一匹のムシであったことが明らかになる。世界が滅びかかっていたのはこのムシが瀕死になっていたからなのだ。このムシが易しい存在の手によって青々とした葉の上にのせられることで、世界は新たに命を取り戻す。「ぼく達の宇宙はただのムシだった‼ しかも宇宙は若くて、14歳とは宇宙のことだった‼」「ぼくはムシの精としてムシの中へ戻るんだ‼ そして、ムシをいつか、この世界と同じくらいに進化させるんだ‼」主人公の一人である少年のこの異様な決意は、さっぱり意味が分からないながらも美しい。
私の好きな別の本もムシのヴィジョンとともに結ばれていることに、最近になって偶然気がついた。ソロー『森の生活』(『ウォールデン』)のことだ。長くなるが引用する。
ニューイングランドじゅうに広まっている次のような話は誰でも聞いたことがあるだろう──はじめはコネティカット州、後にはマサチュセッツ州の一農家の台所に六十年間置いてあった林檎の木の古テーブルの乾いた袖板から、その上に重なった幾つもの年輪をかぞえてみると、それよりももっと長年前その木が生きていた時分に産みおとされた卵から丈夫な美しい虫が生まれ出た。たぶんコーヒー沸しの熱にでもあたためられて孵ったのであろうが、その虫が板をカリカリ齧って出ようとしているのは数週間前から聞かれていた。この話を聞い復活と不死とに対する自分の信念が強められるのを感じない人間があろうか。その卵は最初緑なす生きた木の白木質に生みつけられ、その木が次第にそのままの格好の枯れ切った残骸に変わってしまうまで、長年のあいだ社会の死んだような乾燥した生活のなかで多くの木質の年輪層に閉じこめられていた──この数年は一家の者がたのしい食卓のまわりに坐ったときに、外に出ようとするカリカリ齧る音をたててみんなをおどろかしたこともたぶんあったろうが──どんな美しく翅ある生命が、世上に最もありふれたお祝いの貰い物の家具のただなかから思いもかけず立ちあらわれて、ついにその申し分のない夏の日の生活をたのしむということがないでもない!
(神吉三郎訳)
自分が好きなもの同士の間の、他に誰も気にもとめていないような符合に気がつくのは喜ばしいことだ。世界よ、宇宙よ、一匹のムシであるこの私よ、あたたかな夏の日差しのもと、未来へと新たに生まれ出よ!