猫の目

益田伊織

 泉鏡花は「栃の実」と題された小文で、この実を手に取る様を次のように描写している。


小さな鶏卵の、軽く角を取って扁めて、薄漆を掛けたような、艶やかな堅い実である。
すかすと、きめに、うすもみじの影が映る。
私はいつまでも持っている。
手箪笥の抽斗深く、時々思出して手に据えると、殻の裡で、優しい音がする。

                               
 平出隆の詩集『胡桃の戦意のために』には次のような一節がある。


かつては果肉の瑞々しい繊維によって戯れのまま走らされた網の目状の通路が、いまそのまま、全体をこれ以上にない堅さで覆うに至る──、この完璧の鈴をふれ。


 木の実は一つの小宇宙だ。それは堅固な殻のうちに、揺らぎを、戯れの感覚を、内包している。生命の模様、と言ってもいい。私たちは木の実を一つ拾い上げるとき、小さな、軽やかな、しかしなお堅固な輪郭をまとった、生命の萌芽を手にする。
 

「この完璧の鈴をふれ」──花巻の土産物屋で南部鉄器製の胡桃の化石のレプリカを手に取ったとき、平出の詩の一節を思い出していた。胡桃の化石のレプリカという些か奇妙なものが製品化されているのは、宮沢賢治に縁があるから。生まれ育った北上川近くの河岸をドーバー海峡の「白亜の海岸」に準えて「イギリス海岸」と呼んでいた賢治は、この地についての高度な地質学的知識を有していた。そんな賢治は日本で初めてオオバタグルミの化石を発見した人物でもあり、胡桃の発掘というモチーフは『銀河鉄道の夜』にも登場している。

 鉄製のレプリカはひんやりとしているとともに、小ぶりながらもずっしりとした重みがあり、その感触はもちろん木の実の(あるいはその化石の)感触とは全く異なる。しかしそれでも必ずしも違和感がないのは、木の実がいわば植物と鉱物との中間に位置するものだからかもしれない。私は机の上からこの「完璧の鈴」を取り上げ、「時々思出して手に据える」。この小さなレプリカ、数百円の土産物は、今まで手に取ったいくつかの書物に、賢治が生き私が訪ねた岩手という土地に、そして賢治がその詩人としての感性から類似を見出したイギリスに、さらには銀河の彼方に、思いを運んでくれる。

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