†枕 歌†
オヨビがかからないうちは じっとしてるがよい
なるたけたいくつをこぼさず
夏など棄ててしまえる と
けさ きょうでにほんごをオワリにしよう
そう思ったのはなぜ?
風は吹かずともそこにいる のに
オクビにもださない
かつてきみにもあったろうか とつぜん
地名が微笑む
宮崎で少し大きく地面がうずくと
列島の下っ腹があやしい 千に一が百に一に
いんぼうろんではない政府の見解 では
次の日もしくはきのう こんどは相模が寝返り
これはかんけいがない という きみがけさ
海によばれたということも
調べたとおりに乗り 運ばれてきた はずが
まるでめちゃくちゃなラインにいる 「通常運行」
「バンクシー新作はペリカン2羽」
「ちいさいときからいっしょで/おおきくなって
ひっくりかえしたら」ところできみにはきょう
しつもんがあります
〈様々なお悩みに、寄り添います。〉
「わたしたちはプロフェッショナルとして」
なぜきみは東京の腎臓に生まれそだち湘南に恋したか。
それとにほんごを焉らせたいのと なにかかわる
二階段の上京─戦後三代目の核家族においたち
子孫とともに母語を滅ぼしたいきみの希い とワ
さいきんわきみのなかにわ四つの土地の
玉くさっているのが わかる気がする
山形・新潟・長崎・
細い父系のさいごのひとり・上京しらぬ
目蒲をHOODとするきみのなかの
リンゴ・スター(あのバンドの音がきみには)
あるときその中村家には不幸がつづき改姓にいたった という
それがきみの父ゆらいの苗字 いまでもこの血は
ことあるごと 聖痴愚 をよびさます とわいえ
きみは しのはらでもおおぶちでもなかむらでも
おがわでもない 姓をもち しかも実の父により行字の名
の呪縛からも 解放されている その名も封じた─
死にたくなると 湘南に来ている そのワケ
磯子育ちのきみのともだちはいう「幻想だけどな」
下剤呑ませば夢はさめる とでもいうかのように
かまくらのみこしのさきのいはくえの。きみがくゆべきこころはもたじ
男が女におざなりのちかいをしているのではない
うらぎられた女の身を擲げるまえの崖上歌
ハマのドックから すべてはあるがままだろうと歌った
男は云う「男はいつの時代も女に永遠の夢をみる。女は
いつでもそれを裏切る。それでも男は歌いつづける」と
〈美 おそろしきもののはじまり〉と歌った詩人は云う
「うたえ。名もなき愛に生きた女を。その炎は
いまだ不滅のものとなりおおせていない」……と。
†D a y 4†
なつのあさの太平洋
三日間来ない便通のため
きみは駅からでられない
ここには野糞をするための茂みやはや
ひとめつかずの洞のようなのもない
夏の朝のさがむわん
一日と二日 あいだに観音崎を鋏み
湘南の三日め ことしはとおくへいかない
とおい宇宙から流れ着いた
変わらないけしき
なつの朝の腰越かいがん
きのうは ちごがぶちおくいそで はえるしゃしん
はだしでとりっこしている女子高生二人組をとって
「さっき撮りましたよね」ときつもんされた
きみはきッとなり「風物詩としての自覚をもてば」
といって写真をみせる そこには 七人の娘たち
「みぎから、
エコ (まむしのたぐい)
メコ (にわとこのしゅ)
サルニラ (いるかぜい)
アダ (にんげんのごとき)
アスダ (はえとりらいく)
キラギ (くちぎらへん)
……」
「さいごのこのひとは」
「きみたち二人」
「イザラギ」とずっと黙っていたほうのいう
「ぼくの姐サン」
「フーブツシとなんのかんけいがあるの」としゃべる方
「ぼく、名まえを日本といいます。
ひと詠んで
以後」
便通は来ない
散文的な事実としてきみは
眼前に海をたたえた駅で
便通を待っている 超散文的にそれは
詩なのだが、つまりきみは野糞をするように
いつもはしをかく けさは紙がない
そうこういってるうちに詩が来た
駅を出なければ───
ま夏の海べに来て いちばんいいことは
松の木蔭をみつけて うみはみず
かげとひかりのあわいに
じっとみつめいること 忘れたときにだけ
きみはきくことができる 波を サーファーは
この街を生きているのは自分だけだとおもっている
単車乗りも 寺の坊主も(のるかそるか)
トカゲもフナムシも
しにちかいところにいる(きのう嚙まれた)
そんなかれらが 海も風もなにもしらないとき
腹を空かせていたのがきみだ
言葉じゃない なんていうなよ
ホラ
波風が立つよ
たってきた たってきた
人をまちを アース
そしてまた立てずにいる
またたつ
またたつ
またたつ‼
またたつ‼
鳶
た
つ
(きのうちごがぶちで生足のツインズの頭上島の頂の木にいた風
みどりは気がついたときは姿なくそこにはひしゃげた一本木!
まだだっ‼
飛ャッ 飛ゃッ
おなかみたいにあついうみべで
なにがかなしくてかいてきたしをまとめようと
かまくらえきのかふぇにはいるとまえのせきに
なんかいやなかおつきのおとこのひと あいてもきみが
ふか(か)いらしい そのおとこがよみはじめたほん
のうみそのべんきょうをしているらしい のうとは
このまちのことさ そしてきみははらからきた
それはそうとだれにいわれようと
きみはかまくらもすきだ
どこかようしょうのじゆうがおかににて
あっちは春で こっちは夏
のうのうとして めざめている──
のうみそがキンとさめている
あぁ それにしても 便通が来ない
タイクツです
あの(はなしできいた)道を行こう
死ぬかもしれないと思っているうちは死なないとおもう
しんだらしがかけない(それはいやだ)
死にたいことと死ぬこととはちがう(絶対にちがう)
春の嵐と春の嵐
あぁ それにしても
タ イ クツ
きみにひつようなのは
しのことなんかわすれるくらい
あるきとおすこと
しがカケルまで
†
いまさら しらきるつもりもないが
体験は詩にならない アタマでわかっていても
おなじあやまちあえておかさずにいれないのはなぜか
旅はほとんど了った あすには台風七号がくるとほうぼうで
いまさらしらをきるつもりもないが このあらしのあとはあきでない
なつはまだつづく きみの四日間のみぢかいたびはこれでおわる
朝夷奈切通 一日挾んだ金沢ヨコスカが気になって
ぶちぬいちまえという発想は八百年のむかしとかわらず
南海のめざめへの注意がうがなされている 十三年前のきおく
ふじのばくはつ 百年ぶりの相模胎動 キケンのないときなどない
海べでは人さらい 切通の断崖路ではじめんがくずれば
こんどはきみがねむるばん それでも死ねるかどうかしれない
それがなんだとはいわないが外からばかりやってくるわけじゃない
とにかくきみはいまいきていて かいている しとよべるかしらんが
ちっともぽえてぃくでない切通でのきみのすがたをうつそうか
†
途中 きみは 路をひきかえそうかとおもったね スズメバチがこわくて
その恐怖にくらべれば崖くずれ倒木らくせきなんか誤植のようのこと
もう三匹さまやりすごした以上いくももどるもおなじこと 逃道ナシ
もう百遍刺されそうになるあくむをみてもこくふくできない
どうしてだか自分は刺される気がする あるいは心は刺されたがっている
ちごがぶちでかまないとおもってたフナムシに嚙まれたのも きいてる
半分まできて岩に浮き出す仏さまにどうか刺されないようにと
ねっちゅうしょうりすくもおかして作業着もはおって まるで子供
のときそのままの都会っ子のきみ そのままなのわホレたら一筋なのも
ここをいつか通ろうとおもっていたのは どんなにこわくてもけっきょくやり通すのは
きみのソウルメイト 風こどもの知らない友達が 金沢からここを通学路にしてたから
そくせきを追うごとにその背中がとおくなるブラザー こんども
きっとかれならスズメバチなんかいつも泣かせたけんか相手くらいにしか思ってなく
きっとほんとうにおそろしい化け物にで会たくて ウズうズしていたはずだ
†
切通までの鎌倉からのみちと 切通を出たとたん
とってもふしぎなことがあった きみのため いまはまだかきたくない
いや、あとのことをかけば もう死んだような心地になって やっと
きこえた車道の音にはげまされ 路を抜けたとたん──下校のチャイム。
まるで二年前の捨身ヶ嶽を下りたときとおなじに あれを鳴らし
てくれるひとが いつでもきみにはついている ふしぎなお方
鐘がうたう まったくちがうメロディーで ふしぎなきんいろの五重奏
彼女の聲にあうとき それはホメてもらえる ときだけ
おこられたことがない 泣かせかけたことならあるが もうひとり
さきに出会った不思議なお方 えんてんの下 滑川沿いの鎌倉径 アーチ歩道で
ペ ペ 短かく肩を叩かれた気がして 過ぎ去る軽トラの内部に居る人をみると
〝ご愁傷様です〟というように年老いた外国のひとがほんのちいさくおじぎする
一秒とない そのすきで 灼きついたあの瞳 魂の深さをたたえたとはこのことか
「あのひとは生きながらに死者の国に住んでいる」
†
もう大道(!)では放心しきって車に轢かれそうだった
やっと気がついたのは 京急「六浦」の上りホーム
これはきみのふしぎにカウントされないが、アブラゼミ一疋 きみの足元にきて
じっとまっすぐきみをみつめてくる「中園さんですね」でもやっぱりおどろいた
右前脚ははじめ盲者のごとそれが止まり木かどうかさわってたしかめているのかと
おもったが そうでなかった、よくみるとその手は 絵をかいてて、
歩きスマホの男の人女の人が何度すれすれ踏み潰しかけようとも
かくてはやまない ふんずぶれることなんかちとも気にしてない
かいているうちは死なないとでもいうかのように。
じじつかれはきみがしばしの別れを告げて電車にのるまで
踏み潰されやしなかった きみの心臓とともに。
スズメバチをこわがるなんて やっぱ、詩人失格だね───────
わかっちゃいたが けっきょく便通はこなかった
それはいつか来る
忘れたときに──。
忘れたときだけ
きくことができる
想い出せ
ペ ペ
文月十二日 早朝江ノ電で鎌倉高校前駅。構内ベンチで四十八行六聯続き。降り134号を鎌倉まで歩く。酷暑。途中稲村ヶ崎東側遊歩道松の木陰で詩つづき。正午鎌倉駅近エクセルシオール詩つづき。午後1じ朝夷奈切通へ歩きだす。夕方ちかく切通抜け六浦駅から金沢八景駅。詩初稿仕上二二〇行。小旅終焉。帰応。
文月十一日 午すぎ七日途中離脱の江ノ島リベンジ。酷暑。稚児ヶ淵で黒日傘立て呆け。ときどき萩原朔太郎『郷愁の詩人 与謝蕪村』夏の部。日没前ひきあげ。日没後藤沢へ。これを旅とすることにきめ、漫喫にはいる。四日前未完四十八行六聯再開に踏み切る気がおきず就寝。nightmare×4。
文月十日 京急始発で馬堀海岸駅。観音崎まで歩き岬一周。酷暑。登灯台。正午横須賀美術館でエドワード・ゴーリー、新恵美佐子、芥川沙織。バスで汐入駅。ゴーリー本四冊イス読み。崖上の町をぬって横須賀中央駅。詩かけず「POETIX」草稿執筆。ノンアルビール片手夜街ほっつき。「このさきがけ地につき立入るさいはいっさいの責任を負いません」に血騒ぎ。終電帰応。
文月七日 朝鎌倉から海沿いの山道歩く、午すぎ江ノ島手前で熱射バテにより離脱、藤沢で詩ヲ整理、品川で『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:』(ちょうど離脱したあたりから江ノ島行ってバテてて不思議だった)〝8月の青空/かき混ぜるみたいに/飛ぶ鳥の鳴き声聞こえてた〟「青い春と西の空」。朝これ聴いて歩いて夕方劇場でも流れて朝の誘われが腑に落ちる。道中書いてた詩は四十八行十六聯、終わる気配みえず。