その8「変り者」
『徒然草』に、好きな一節がある。第六十段の盛親僧都の話だ。「やんごとなき智者」の盛親は、芋頭が大好きだった。芋頭とは、さといもの塊茎のことだそうだ。「談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝元に置きつゝ、食ひながら、文をも読みけり」。病を治療するために、籠っているあいだも、選りすぐりの芋頭をたくさん食べて、どんな病も治してしまう。その芋頭といえば、誰に与えるということもなく、ただ独りで食べていた。極めて貧しい僧侶の生活をおくっていたところに、合わせて三百貫にもなる財と住まいを、師の遺産として手に入れる。が、その住まいも金にかえ、金はすべて芋頭にかえて散財してしまう。「芋頭を乏しからず召しけるほどに、また他用に用ゐることもなくて、その銭皆に成りにけり」。
つづいて、盛親の言動に、話がうつる。「この僧都、或法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。『とは何物ぞ』と人の問ひければ、『さる物を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん』とぞ言ひける。」この描写に兼好は、何の批評もよせず、ただ黙っている。ただ描写に徹する書きざまがおもしろい。ここから先は、おわりまで示したい。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書、学匠、辯舌、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万自由にして、大方、人に従うといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。斎、非時も、人に等しく定めて食はず。我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば、幾夜も寝ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常ならぬさまなれども、人に厭はれず、万許されけり。徳の至れりけるにや。
「世を軽く思ひたる曲者」が、誰に忖度するでもなく、「万自由に」生きているさまが、生き生きと伝わってくる。このときから、「自由」という言葉が用いられていることに驚くとともに、こうした人間を、どこか嫌いになれない心に共感する。兼好が、みずからの批評を抑えて、「徳の至れりけるにや」と一言でしめているのも面白い。説教くさい徳の講釈でもなく、陰気くさい悪徳の開陳もなく、ひたすら笑いがある。豪快さ、そこからくる快活な笑い、読んでいるだけで、心がすがすがしくなってくる。こんな徳を持った人になら、心が素直に惹かれ、そのもとで学んでみたいと思わせる。
この話をふたたび読み直し、ふと思い出した別の文章がある。それは小林秀雄『考えるヒント1』に収録された「歴史」というエッセイだ。このエッセイでは、河上徹太郎『日本のアウトサイダー』の「アウトサイダー」という言葉を話のきっかけとして、「変り者」という言葉が生まれた、その所以について、小林は思いを巡らしている。
あいつは変り者で誰も相手にしないというように、変り者という言葉が、消極的に使われる場合、この言葉は殆ど死んでいるが、例えば、女房が自分の亭主の事を、うちは変り者ですが、と人に語れば、言葉は忽ち息を吹き返す。聞く者も、変り者という言葉に、或る感情がこめられて生きている事を、直ぐ合点するだろう。そういう時に、変り者という言葉は、その真意を明かすように思われる。変り者とは、英雄豪傑の事ではないが、不具狂人を指すのでもあるまい。そうかと言って、独創的人間と呼んでみても、叛逆者と呼んでみても、変り者という言葉の含蓄を現わす事が出来ないのは面白いことである。もし、この言葉が、世間で、生き生きと使われる、その現場を摑まえてみれば、其処に、何か親愛の響があり、この言葉が孤独者を現わすよりむしろ社会性を現わしている事に気づくであろう。個人が社会の中に、歴史の中に微妙に生きているその姿を現わしている事に気が附くだろう。
ぼくも、ここに「親愛の響」を感じるものである。変り者のほか、どのような言葉で呼んでみても、どこか足らないものを感ずる。付き合っていて、変り者だと感じた人を思い浮かべてみる。最たるものは、少年少女だ。学校なんかにいるとよくわかるのだが、ただ廊下を歩いているだけで、スキップしている奴がいたり、ニコニコ爆走している奴がいたり、階段でグリコしているやつがいたり、道を歩くことひとつとっても、面白い。おとなが駅でスキップしていたら、通報されるかもわからない。自分が中学生や高校生のときはどうだったか。自分自身は至極ふつうの人間であると思いつつも、まわりは変り者ばかりで、変り者の祭典を日々目にすることが楽しかった。どちらかというと、無理にでも変り者に変身せんとする輩の多い環境ではあったが。変り者に囲まれていること自体に、なぜか誇りをもっている人が多かったようにも思う。
誰も、変り者になろうとしてなれるものではないし、変り者振ったところで、世間は、直ぐそんな男を見破って了う。つまり、世間は、止むを得ず変り者であるような変り者しか決して許さない。だが、そういう巧まずして変り者であるような変り者は、世間は、はっきり許す、愛しさえする。個性的であろうとするような努力は少しもなく、やる事なす事個性的であるより他はないような人間の魅力に、人々はどんなに敏感であるかを私は考える。と言うのは、個性とか人格とかの問題の現実的な基礎は、恐らくそういう処にしかない、これを摑まえていないと、問題は空漠たる言葉の遊戯になるばかりだ、と思えるからである。
小林秀雄の文章は、そのまま盛親僧都の話にあてはまる所がおもしろい。自らの批評を抑制し、盛親僧都そのひとの描写に徹しつつも、愛をこめて書かずにはいられなかった兼好の沈黙を、代弁しているように思われる。個性とか人格といった言葉が使われるずっとまえから、こうした人間に魅力を感じる感性を、人はもっている。
廻り路をしたが、私が、人格とか個性とかいう、観念的に玩弄される上等な言葉より、日常生き生きと使われている変り者という平凡な言葉を選びたかった理由も、その辺にある。人格や個性を欺瞞と呼ぶなら呼んでいいし、英雄豪傑を伝説とするなら、してもよい。だが、それは解釈である。解釈などでは変り得ない恒常的な人間事実はあるのだ。変り者という平凡な言葉の方が、この事実を指すのに適している、と私は考えたまでだ。教養は、社会の通念に、だらしなく屈するものだが、実社会で訓練された生活的智慧は、社会の通念に、殊更反抗はしないが、これに対するしっかりした疑念は秘めているものだ。変り者はエゴイストではない。社会の通念と変った言動を持つだけだ。世人がこれを許すのは、教養や観念によってではない、附き合いによってである。附き合ってみて、世人は知るのだ。自己に忠実に生きている人間を軽蔑する理由が何処にあるか、と。そこで、世人は、体裁上、変り者という微妙な言葉を発明したのである。
自己への忠実さ、これこそ、変り者を変り者たらしめているものだと思う。逆にいえば、それだけ自己に忠実に生きることは難しいのだということ。思ってもいないことを言い、何かの目的を秘めて他者に接し、それを悲しいことだと思う心も忘れ、気づけば自分が本当に何を望んでいたのかさえ分からなくなってゆく。そんな世間に生きているからこそ、この変り者との出逢いによって、息を吹き返す何かを、自分の心のうちに感じるのだろう。ぼくが、大叔父原秀雄の生きざまに興味をもったきっかけというのも、思い返してみれば、この変り者という言葉に行きつく、そう思っている。僕の父も、秀雄の話となると、必ずこの枕詞をつけたから。祖父も「兄貴は、変り者だからさ」とよく呟いたということだ。自己に真剣に生きている人、生きようとしている人ほど、世間のなかでは笑いを誘うということは怖いことでもある。でもこの笑いは、底なしの、陰気くささのない、澄み渡った笑いでもある。そう感じる。どこから、この笑いはこみあげてくるのだろう。蛙の声をきくために、仕事もなおざりにして池を掘っている隠居、法曹の記念文集に、庭の蛙とかトマトとかのことを真剣に書き連ねている隠居が、ぼくにはおかしくてたまらない。そしてそれを笑っている時は、たしかに充実している、そう感じている。