『シンフォニック・エッセイ』

原凌

  その6「貞雄の記憶・続編」 

 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」のある一節に、光の洪水にのまれた間宮中尉の描写がある。間宮中尉は日中戦争の最中、ノモンハンで諜報活動に同行する。そこで蒙古軍に見つかり、同僚の残酷な皮剥ぎの拷問を目の当たりにする。悪夢もつかの間、間宮自身も、遠い砂漠の、深く暗い井戸の中に投げ込まれ、その命は天命にまかされたのだった。井戸の底は、深い沈黙と暗闇の世界だった。助かる見込みもなく取り残された中尉は、絶望の淵にいたと言っていいのだが、そこに思わぬ贈り物がとどく。
 ほんの束の間、日の光が、燦然と井戸の底に降りそそいだのだ。「その光の中にいるあいだ、私は恐怖や痛みや絶望さえも忘れてしま」った。恩寵のような光は、まもなく去り、井戸にはふたたび暗闇が舞い戻る。水もなく、食糧もない。夜には寒さも体にしみる。「自分の生命の芯が固くなって、少しずつ死んでいくように感じられました。」
 その時から間宮中尉は、一瞬の光を、光の洪水のような一瞬だけを待ち続ける。体はとうに限界を超えている。知らぬ間に深い眠りが襲う。目を覚ました時、井戸はふたたび光に包まれていた。

私はその光の中でぼろぼろと涙を流しました。体じゅうの体液が涙となって私の眼からこぼれ落ちてしまいそうに思えました。私のからだそのものが溶けて液体になってそのままここに流れてしまいそうにさえ思えました。

 間宮中尉は、この光の中ならば死んでもよい、死にたいとさえ感じるのだった。「そこにあるのは、今何かがここで見事に一つになったという感覚でした。圧倒的なまでの一体感です。そうだ、人生の意義とはこの何十秒かだけ続く光の中に存在するのだ、ここで自分はこのまま死んでしまうべきなのだと私は思いました。」

 光は去り、間宮中尉は生きながらえる。「自分がひからびた残骸か、抜け殻」のようにしか感じられない。友人の本田伍長の予言通り、間宮は井戸から救出され、大陸での戦争とシベリアでの収容所生活を生き抜く。運命の力によって、本土に生還することとなる。しかし、間宮中尉は、あの光が去った後、「抜け殻の心と、抜け殻の肉体」でしかなかったのだ。復員後、中尉は地元に帰り、そこで高校の社会科教員として生きる。いいなづけは、間宮が死んだと思い、別の男と結婚していた。間宮は生涯を独身で過ごし、現実に与えられた職務を、定年まで勤めあげる。「しかし、私の中のある何か・・・・はもう死んでいた」。間宮中尉は言う。「私は本当の意味で生きていたわけではありませんでした。私は自分に与えられた現実的な役割をひとつまたひとつと果たしてきただけ」だったのだ、と。恩寵は失われた。誰かとの絆を求めることも、また、つくることもなく、「誰も愛しませんでした」。井戸の深い奥底で、あの光の洪水が去ってしまった後で、間宮中尉は、抜け殻のような心と体で、誰からも気づかれることもなく、誰にも語ることもなく、生きてきた。
 間宮中尉の如く、絶望の淵で過剰な恍惚を体験した人間は、如何にして復活することができるのか。間宮中尉にとって、この体験を他者に語ることは、復活へとつながることなのだろうか。

 間宮中尉の物語を久しぶりに読んで、大伯父貞雄の姿が思い浮かんだ。終戦後の、何の大義もない戦闘を、命を捨てる覚悟で戦い、仲間を救い、そして生き抜いた貞雄。命がけの行動と、そこで生まれたかけがえのない友との結びつきと。死の恐怖のなかで、激烈な無我の感覚、その恍惚感に至ったと想像してもおかしくはない。
 奇しくも貞雄は、復員後、間宮中尉と同じく、地元に戻り高校教員として一生を過ごした。奥さんはいたから、間宮中尉そのままということにはならない。けれども、絶えることなく中国まで足をのばし、その風景を愛して絵を描き続け、アルコール中毒となりながら、絵を描くという行為をやめなかったこの人にも、光の洪水体験があったように思えてならない。

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