想像してみるにここでは聴衆の〝「暗河」の人というのか、熊本の人〟たちは脊髄反射で笑ったとおもう。話はじめでこういう憎まれ口を叩くのはニホン語の〈文法〉においては〝以心伝心〟の挨拶と同じなのだ。が「植民地であった頃の朝鮮慶尚来北道大邱府三笠町
で生まれ」「生後十七年間、朝鮮で暮らした」「内地人〔本土のニホン人〕が植民地で生んだ」「このくにで、生まれながらの何かであるという自然さを主観的に持っていなかった」(「敗戦後の母国」『慶州は母の呼び声』)詩人にとって、その〈文法〉は〝サギ師〟のやりとりにしか聞こえない。内輪へ外からやってきた者はけっして〝以心伝心〟の冗句などいえない(それはユーモアとよばない)のみならず詩人というやつは(小説家とちがい(上手な題名や書き出しが挨拶))かりに単一母語圏内だとしても挨拶という挨拶が(俳人ともちがい(十七音発句が座への挨拶))出来ない。このときの森崎さんはいわば四重苦でまだユーモアまでもてなかったし、イロニーにでる余裕もない絶体絶命だった。思ったことをいきなり口にするコトなどいまでさえニホン語の〈文法〉にはない。〝熊本の人〟になって続きをきく「いったい、これは何なんだろうと思ってみつめていたん
です。みつめていても一向に分らないんで、やっぱり他所ものだなあと、さみしくてたまんないんですよね。ところが、にこやかに石牟礼さんは、わたしを紹介して下さって……。なかまのように、さらさらと」みなまで言ってもらわないと分からない、対話にならない、さみしい……と彼女はいう。もしかすると聴衆の多くはこのとき生まれてはじめて他者を目の前にしたかもしれない。しかもこの他者は、じぶんたちとたぶん同じ血の流れを多くくみかつ似たような言語を話している。そしてこう思ったかもしれない〝いったい、これは何なんだろう〟〝やっぱり他所もの〟かなあ。このシーンにいわあせているのは〝熊本の人〟と森崎さんとわたしたちだけではありません。ニホン語もいっしょにくるしんでいる。