ちょっと想像してみていただきたいのですがこの『口訳』は壮年控える無名の元教師が、大阪からともなって面倒みている(ちょうど今の吉本の芸人さんみたく)元教え子の一日三人交代で底本につかった万葉集の歌をよみあげるのを口ではしから訳していったわが国最初の現代語訳万葉集です。想像する場面はクイズ番組(関西圏ではやらないそうです)〔問題(…デーデン)〕〽︎くさまくら旅の宿に……静寂…〔回答(ピンポン…)〕「旅の泊まりに寝て…」…沈黙…ここで了ることもあれば、口語の韻律に激したようになって、あるいはそれを鎮めるように時雨「人麻呂には神の心が見える。単なる同情ではない」沈黙(まるかっこがかりのねざめのヴォイスで)『口訳』より百二十年、こんな遣り方で訳された万葉集は絶後です。人麻呂の見た神の心をみる目をもった訳者も。ここにくさまくら…の歌ですが、いやこの歌に限らずたれのコトかニホン語はいわずもがなで通します「学校文法」で習う「主語」がない。なぜないかといえば〝必要ないから〟なくてわかる(なにが?)からです。
もうここ六年なにをするにもわたしはVTuberの方々の歌やニホン語でのおしゃべりをききながらしますが、ときどき注耳しておりますと(平生ニホン語話者と生身で関わりのある方はその人たち相手でも結果は同じでしょうが)じつに「主語」なく豐かに話しておられる。そしてこちらもそれを了解できてしまう。むしろ、聴き手の側で掬えるというほうにケースの要がありそうだ「今、石牟礼[道子]さんからびっくりするような、招介を受けました森崎[和江]です。ここに来て、心中ニヤニヤしたりあきれたりしていますけど、どうも「暗河」[同人雑誌]の人というのか、熊本の人というのか、サギ師ではあるまいかと思って。先ほどの会合では以心伝心で「暗河」を出しているという話でした。わたしにはその以心伝心の内容が一向に伝わって来ないものですから」