「なづさ・ふ拘泥して早く行かぬ。水中一処に滞るといふ意にも使ふ。『やくもさす
出雲の子等が黒髪は吉野の川のおきになづさふ』(巻三・四三○)」以上『万葉集辞典』は折口信夫の処女著作『口訳万葉集』の別冊として企画執筆され、両者とものち三十六年にわたる研鑽で自身乗り越えた所も多いといわれる、が、文章はそう簡単でない。以下『口訳』より「出雲の処女の黒々とした髪は、吉野川の川の真中につかって、藻のように靡いている」原文詞書に〝溺死〟とある。この人麿作歌には和製おふぃーりあともいうべきイマージュがある。折口の前任者・本居宣長は『玉勝間』で「万葉集に、なづさふという言、あまた所に見えたり、昔より此詞をときたる説、みなあたらず、今その歌どもを、あまねく考へ合するに、或は海川などにうかべること、或は船より渡ることなどにいひ、枕詞にも、引綱の、鳥じもの、にほどりのなどいひて、いづれも〳〵、水に着くことにのみいへり、水によらぬは一つもなし」『口訳』では折口もどこもこの宣長の水説を採っているが『辞典』ではあえて「水に着くことにのみ」といわず〝拘泥して早く行かぬ〟の意味を前に出している。まだこのなづさふからなつまでは浮かぶ瀬もなづさふ船もない。なづという語根を同じく万葉集にもあまたみられるなづむ(渋り滞る「水・雪・草などに足腰を取られて」
)とから想定しても「民間語源説」をちいとも出ない。〈祭〉に立ってふゆ・はるの場合と同じく(『岩波古語辞典』○)あきとつがいで考えねば立つ瀬がなくなる。前頁へなづさひわたると、
柿本人麻呂、香具山で人の死骸を見て悲しんだ歌
426 くさまくら旅の宿りに、誰が夫か、国忘れたる。家待たまくに
旅の泊りに寝て、家を忘れている人は、誰の夫であるのか。家では、さぞ待っているであろうに。(人麻呂には神の心が見える。単なる同情ではない。)