滝は落ちるのでいいとして、秋fallはどうしたかというと、どっかできいたことのあるよな話だからぜひしておきたい。十四世紀までは古英語hærfestは「作物を集める」という意味だったのがしだいに時期をさす名にもうつっていった(原始ゲルマン語のharbitasから来ておりドイツでは現在も秋はHerbst)十六世紀にこれがfallとautumnに置き代わり、英国ではautumnが残り、米国ではfallが残った。autumnはラテン語のautumnusが古仏語autumpneを経由して入った。羅autumnus(秋)はauctus(増加、augēre増やすの過去分詞)にひかれてかauctumnusともいう。これはエトルリアの変わりゆく年の神Vertumnusと縁があるかもしれないともいう()。前章♳に寄せれば、fallはふる﹅﹅、autumunはふゆに近い。夏→秋は、冬→春の繰り返しといった(https://www.etymonline.net/jp/word/autumn)。夏→秋も年越し〈祭〉で、

ここに「変わりゆく年の神」がかかわってくるのも腑におちる。この神を〝外在魂〟〝物〟といっていい。インド=ヨーロッパ語族とウラル=アルタイ語族とはシンタックス「文法」完全まったきに異にする。が、語の音韻世界めーろーす民俗〈祭〉とに降りてゆくと、少なくも無関係とはいいがたくなってくる。幻惑にものいみ﹅﹅﹅﹅試される戸際だ。ひとまず我に還るといいましょうか〈文法みそぎ〉に立ち会ってみたいとおもいます。なつ﹅﹅という音韻はどこから来たか。ふゆ﹅﹅はる﹅﹅の時とちがい、わたしの探したかぎり折口信夫も夏の語源について一言も﹅﹅﹅述べていない。わたし自身、ここ一年ほど拘泥しましたが、これというに足る事例は文献にも民俗にもちっともみつからない。が、言葉という物にこちらの(こうであってくれたら)をほしいままなすりつけるわけにもいかない。夏が「カ」でなく「国語」なつと考えられる以上はなづさふ○○○○おきがある。ここで国(語)学でも文献学でも言語学でもないPOETIXある(保健学か)に則って「作業仮説」を立てれば〈肉体〉の……てんてん○の暗喩軸(え・と〈祭〉の○のとはアナロジカルになづ﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅