ここで肝腎なのが「みそぎ」です。〝河せ〟は川(みそぎの元は海岸でする海人族の習い)の瀬で『万葉集辞典』は「川の波の立てゝ流るゝ処を瀬といふ。瀬は始終動いてゐる。浅い場処。底は小石だ。『松浦河河の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾ぬれぬ』(巻五・八五五)。せは又、時・場合[case]と訳すべきのがある。『ちはや人宇治のわたりの速きせ
にあはずありとも後も我妻』(巻十一・二四二八)。古事記に『苦瀬にしづまむ時』」という。夏の季に土佐の海へんを旅したとき、わたしは海岸でみそぎする巫女をみた。夕風すでに寒き時に汀少し水に這入ったせ白の巫女服(裳か)でしゃがみこみぢっとものいみしてる。たしか金曜であくる土曜には田里のほうで刈りまつりがある雰囲気だった「Die Welt ist alles, was der Fall ist」大学七年生まで持ち越した必修単位のためテレワークで習初めのドイツ語
でわたしは獨言したのを覚えてる「この世界はいまわたしの立ち会っているコト全てだ」そういう気持を口なじみのない韻律にこめて。英語でthe caseと訳される独語のder Fallをいま初学者向けの『ベーシッククラウン独和・和独辞典』でひくと❶(英case)❷(英fall)とある。英語のfallにはcaseに近い意味はない。『旺文社レクシス英和辞典』訳語一覧に【動】落ちる倒れる下がるなる【名】落下降ること転倒秋滝低下とある。der Fallのすぐ下にはその動詞形fallenがあり英語の動詞fallとほぼ同用。インターネットで
語源を調べると原始ゲルマン語fallananに辿りつく。これが古英語に這入ってfeallan→fall今度caseを調べると、ラテン語cāsum(起こったコト)でcadere(降る)の過去分詞と出る。古フランス語をへて古英語cas→caseつまりドイツ語ではその祖語をそのままに受け継ぎ、海洋国イギリスではゲルマンとラテン両系の「降る、落ちる」転じて「起こったコト」を表わす猿似語が移民して現在のfallとcaseとにTPOの棲み分けがなったというコトらしい。