DMでお待ちしている(質問内容は連載本文に引用させていただくことあらかじめご了承ください)白熱する

学問をともにつくっていけたらどんなにいいだろう。孤独は学問・藝術の源泉にして絶対条件だとしても孤立は必要善でない。学問が大学にしかないというの顔のない権力のおもうつぼだ。ここから一年は序説にかかりっきりになっていいと思っています。質問・批判にはわたしは全力で応答しようとするでしょう。打てば鳴る、とはかってに自負しているが、いい打者にめぐりあうのがむずかしい。すでに何を言うかでなくどう言えるか、今回はおもしろくなった、いけなかった、フリースタイルの次元で表現をとおしてしか考えられない﹅﹅﹅﹅﹅﹅全領域がPOETIXの学問対象だ。まず学が立たねば詩論などどんなにあけくれようと同業者間のおしゃべり(こいつが

藝術をおわらせる)をでない。〈祭〉なき春夏秋冬のごとくさぶい。そして質問の来ることはないことはよくよく承知しているつもりだ。令和にあっては人に﹅﹅質問するということは自分はおまえより頭がわるいといっているのと同じことになると思われているようだ。けれど欲求としてはあるので、口のかたい﹅﹅﹅﹅﹅生成AIなどにはずいぶんいいにくいことまできいている。人に質問しても「ググれカス」などといわれるのだから無理もない。

認知症研究の大井玄氏によれば(山本哲士氏談 on YouTube『山本哲士吉本隆明心的現象論目の知覚論』アップロード日付2020/6/3)、わたしたちがおのおの全体感として(無意識含む)感知している〈世界〉(上記動画では「客観的世界」といっている)のうち視覚でとらえているのはその十万分の一ほどにすぎないという。人里離れた土地など旅すればすぐわかるが、インターネットで得られる情報はもうほとんど役に立たない。未知へは全くひらけてない。入口まではみちびかれても、そこからは生身と出会いとによって蒐めるしかない。そこからさきが本題なのだが、非常に興味深いことにわたしの年下の知人の幾人かをみていると、ネットの情報をなぞり、端緒までついたところで満足がいくようだ。人類の叡智(情報化できないのだが)のうちインターネットから得られるのはたぶん一兆分の一にもみたない(「ネット」にはむしろイカガワシイ情報や政治的不妥当性がころがってるのが醍醐味だったのだが生成AIがこれを平らげてしまう)。なによりまず自らの体験、これからのもそうだが、そんなのより幼少の頃のこと、ほんとうによく忘れている、そいつを思い出すだけでいったいどれほど恵みが得れるか。質問はまずここであぽりあ﹅﹅﹅﹅へと育てよう。ものを知るにはまずわかっているとおもっていることから未知へとかえしわたしたち自身の無知を知るのが初まりだ。