もあるが、出来上がってからもこの循環をくりかえし〈文法〉の力を汲み自立してある。〈祭〉と同じくここでも根源としての〈文法〉を意味す(「生成文法」る。でない)ここに気づいたのがわたしの

見立てではヴィトゲンシュタインで、背中合わせに﹅﹅﹅﹅﹅﹅言語の美としての自立の理論を追求したのが吉本隆明だ。ほかの○でもだいたい思索者/詩作者、また両性具有者から学ぶ。ラップ(バトル、フリースタイル含む)もむろん言語表現なのでこの〈文法〉に基づく。もっといえば舞踏も、演奏いわば音楽の比喩で語れる全藝術表現(絵も)にあてはまる。言葉を遣わない「非言語藝術」も、いや、人間の全表現が根源の〈文法〉従言語藝術だ。「祭」は詩の女神への捧げ物としての奉り。「まつ祭」中の演奏のに続きに藝術の根に近い﹅﹅

(……てんてんの○3つと〈心〉の○は少し﹅﹅違う見方が要る。翻って「祭」の見方もまた深まる)「時期で言ふと、もに籠る時が冬である」に籠る、とは「我々には、もにこもるといふと、親とか親類とかの間で誰か死んで、喪にかゝつて居る間ぢつとして居るやうに思へますけれども、実は物の中に入つて外に出られないといふことなのです。何の為にさうするかといふと、我々は謹慎して居るのだとしか思へませんが、謹慎は勿論謹慎ですが、穢れてゐるから謹慎して居るのではなく、身体が空つぽになつてゐる為に、身体の中に物の入るのを待つて居るのです」中学三年の冬わたしが初めてうつ病になったとき、母は随分憔悴したようだ。何とか起こそうとするのだが、布団から動かない。しまいには自身が骸骨のように痩せてしまった。うつ病は、折口のいう〝身体が空つぽになつてゐる〟健康な状態であって、活動力〝物〟の入るのをぢっと待ちじつはやがて外に出るために﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅欠かせない重要な期間なのです。だからほんとうは慌てることなどなかったのだ。うつ病者とその身近な人のためにもわたしたちの根本である魂の生活について、現代精神医学と