まず、右下の〈祭〉の○から見る。……の\も入ってる。読者にはぜひ書き込みをお願いしたい。冬から春に→。春から夏へ。夏から秋。秋から冬。砂時計みたいなの
8字が浮かび上がる。季節といいそうだが、まず節というのは、大陸からきたdigitusなので、ここには適さない。季というのも中国語で兄弟姉妹四番目の末っ子から転じて物事の終末をさす。ここには早くても遅くても何度でも何度でも始まる始まりしかない。それが〈祭〉。〈祭〉がまずあって春夏秋冬がある。まず冬から春になるのに祭がある。ここでさっきの
季節といっしょにきみにはもう一肌脱いでいただきたい。油も塩も塗れとはいわない。が、あたまのネジは2本くらい抜いたうえできるかぎりぴったりくっついてきてください。冬に春きたり、春は冬きたり、冬に春きたり、春は冬きたる。これが少し前のひとびとの祭の考えです。一年は、いまでいう春夏\秋冬で、繰り返しの二回ということになる。冬と冬の至に大切な祭をする。その祭をふゆまつりといい、これがやがていまの時期としての「冬」義に移る。冬と冬の季にやるのでふゆから「冬」に意転する。「夏」のふゆまつりの名残がいまのたなばたやお盆などです。ただ新暦七月七日にやる七夕は夏の季でないですし、家庭祭祀のお盆も廃れつつある令和には八月十五日の終戦記念がとって代わるかもしれません。この日を鎮魂祭(フユマツリ)と思うついで「鎮魂」のよみ方(意味)、行為じたいのうつりかわりに耳を傾けておきたい。
生き急ぐ読者のため、この話がなぜ詩の理論になるか、簡単にいっておけば、さっきの
の字をたとえば〈文法〉の○に同じ向きで書き込んでいただきたい。歌意から文法8をへて音韻へ→。音韻から韻律へ。韻律から文法をへて構成へ。構成から歌意へ。歌意はふたたび文法を通り音韻へ。これが出来上がった詩だ。出来上がるまでの鎮魂過程で