考える葦笛 ●連載第一回

白石火乃絵

 この同人雑誌をはじめた当初から、場当たり的なものと、一巻としての完結性をもった書物のための連載をしたいという執筆者としての(編集者ではなく)考えがあった。
 昨年の四月再始動をしたとき第一作品を出したあとのわたしはすでに体調を崩していた。むしろ崩して自らの活動がままならないからこそ、以前はじめてみてなしくずしに終っていた「偏向」という舟にすがりついた(同人村上から年明けすぐに再始動の提言があった)。
(あ、舟というのは古代日本からつたわる木舟のようなものでありけっして太古人類体験の方舟のほうではないからあしからず。川にながす笹舟というのともちがうな、けっして大洋をめざすものでなく、葛飾の真間の浦廻をこぐ舟の、舟人騒ぐ、波立つらしもというような感じ。このイメヂがいちばん不安定でよろしい。)
 一年雑誌をつづけてみて、けっきょく、いくつかの試みはあったが、体力気力集中力がつづかず、どこまでいっても場当たり的なものしか書けていない。現状去年と変わらない、いやも少しきつい失調がつづいている。愚かなことにそれでもまだ、連載していってそれを並べたら一冊の書物となるようなタイトルを書き継ぎたいという気概は消えていない。
 あたりまえだが、そういうものをこれまで書いたことないのだからできないにきまってる、とりあえず一回できてしまえばできるようになる。自分で作ってる雑誌なのになにをびびくっているのだろう。はなから失敗したところで何も失うものもないわたしなのに。
 ようするに、体調うんぬんにかかわらずアキ性なので、計画してはみるもの一月すれば書きたい興味がうつるのだ。詩はいい、その日何かにぶちあたったら一篇となるまでそのことだけにとりくんでいればよい。詩の方でどこかへとつれていってくれる。けっきょくこのやりかたを「偏向」原稿にも半ばなしくずしてきに適応するしかなかったというのが、これまでのみちゆきだ。
 資質には争わぬべきか、いや資質といいながら詩もけっきょくそういう方法をとることであとから書けるになったにすぎない、あんまり資質などとことばむやみにふりかざさぬほうがいい気がする。できなかったことができるようになる、わたしのごときもはや生まれてしまった実験作prototypeにのこされたこの世のたのみ﹅﹅﹅といえばそれくらいのものではないか。

 ものごころついてからものおぼえがわるかった。肉体オンチなので、ひとがやっているのをみてパッと真似することができない。いちいちじぶんで理屈をこねて納得してからでないと身につかない。ものをつかうのに左手を択ぶのにも、いっかい思考のフィルターをとおさねば気がすまない性向がかたんしている気がする、すくなくともわたしの場合には。
 たとえばいま書いているこの日本語の文字(ひらがなカタカナ漢字)にしても、右手で書くようにできている。書いているときの手首のうごきに注目すればすぐわかるが、これを左手で書こうとすると不自然にひねるかたちになる。これが右なら手首の動きに任せてみると、トメなりハネなりはらいなり、すぐにそれっぽい感じになる。
 左利きのひとはいわばこのニュアンスを、図をかくように、なぞり再現することになる。できばえとして、現物ゲンブツにちかくする。この気苦労によってできた手書き文字は、いっけん模範的にみえそうだが、まったくの気苦労なくすらすらっとかいた右利きの文字のほうが、かたちはくずれているのに、ずっと本物っぽいのだ。というよりこれがそのもの﹅﹅﹅﹅なのだ。
 左利きはいわば過去を模写している。右利きは、少しのものおぼえに自然をかたんさせ、そのつど現役の﹅﹅﹅文字の遣い手として、最前線フロントラインに立っている。話し言葉のように文字だってひとところにこりかたまらず、つねに変化しているのだ、左利きはこれにおいすがるしかない、新しい手書きの書体を発明することはできるかもしれないが、自然がかたんしないものは何であれ長続きしない。
 四年程前、未発表のある原稿にとりくんでいるさい左手に腱鞘炎をわずらった。執筆をとめたくなかったので仕方なく右で書くようにした。二週間くらいしたときには、もはやそれまでの左手以上にすらすら書けるようになった。それだけでない。いわば歌うように書けるようになった。それで何年も書こうとしてかけずにいた詩が、じぶんなりに書けるようにさえなったのだ。
 わたしはこれを万事に適応しようとした。つまり何をするにつけても、右手で書くよう、自然をかたんさせるように気遣った。けれど二十五年近く考えなしに左を使ってきたことで、どうにも思考癖がぬけきらなず、いぜんとしてものおぼえが悪い。納得を欲しがる。
 詩作者としての右手のわたしと、思索者としての左手のわたしが、もっと手と手をとりあうことができないだろうか。〽︎少年少女輪になって…(「少年よ我に帰れ」やくしまるえつこ)
 利き手の例はいいやすかったので、じっさいにはたれでも行為と考えのあいだをいったりきたりしている。からだから得られる知識を考えにおくりこんだり、アタマで理解したことをからだにおぼえこませたりして。いかにも人間とは考える葦なのだ。わたしはこの植物比喩を愛する。にほんという緑豊かな島嶼国にくらしながら、アウトオブ江戸の品川太田目黒育ちのわたしは、この痩せて乾いた地に葦笛のねいろのように蘼蘼びよーびよーと生える一本のビョーキの茎がじぶんとそっくりにみえる。

 考えるということのなんとものがなしく暗い仕草か。海と大陸向うのヨーロッパが啓蒙主義を経ていぜん考えるということが明るく﹅﹅﹅みえた18世紀後半にものをかんがえたカントがきたるべきを眼前にみすえながら、こんなことを書き残している。「もし、理性と意志をもつ存在者において、生存﹅﹅安楽﹅﹅、ひとことで言えば幸福﹅﹅が自然の本来の目的だったというのなら、その自然の意図の調整役として被造物の理性を選んでしまった自然は、非常にまずいことをしでかしたことになるだろう。なぜなら、こうした意図に従って被造物が行わねばならないすべての行為、さらにその行動のすべての規則は、本能に従うことでよほど正確に指示されただろうし、その被造物の目的も、本能に従うことで、理性によるよりもはるかに確実に入手できたはずだからである。それなのに本能に加えて理性が、この恵まれた被造物にもたらされているのだとしたら、それは以下のことにのみ役立つためでなければならないだろう。」わたしはこのあとの、ヨーロッパ的人格においては否定の例としてあげられる一行を、アジア的停滞感性によりむしろ肯定的にとりたいとおもう、「すなわちそれは、ただ自分の幸福な自然本性的な素質を考察して、驚嘆し、享受し、そのような恩恵を与えてくれた原因に感謝するためなのであって、自分の欲求能力を薄弱であてにならない理性の指導に従わせ、自然の意図にへたな手出しをするためではないだろう。
 つづく箇所では、わたしが漠然と抱いていた、18世紀後半のヨーロッパにおける考えることへのいぜん明るいイメヂを、いつの世も変わらぬ暗さへとひきもどしてくれる観察が記される。「また実際にも気づかされることだが、陶治された理性が生活と幸福を享受することをめざして手を出せば出すほど、人間は真の満足から遠ざかってしまうものであり、そのために多くの人々、しかも理性の使用をいちばん求めていた人々が、彼らが正直に心境を認めてくれさえすればだが、ある程度のミゾロギー﹅﹅﹅﹅すなわち理性嫌悪になってしまっているのである。」(…)「彼らはすべての利益を見積もった結果、実際のところ自分たちが、幸福を得るよりもより多くの苦労を背負い込んだにすぎないことに気づき、あげくの果てには、ただの自然本能に導かれがちで自分の行動や行状に理性を影響させない平俗な人々のことを、軽蔑するというよりむしろうらやましく思うようになるからである。(以上、『道徳形而上学の基礎づけ』大橋容一郎訳、岩波文庫より。太字斜体─引用者)
 わたしはこのカントの薄い本について、いつかまとまった感想文を書こうと考えている。が、いまはただ戦いに敗れた兵士のように、砂埃舞う旧東海道の路上で、壁にぐったりと背骨をつけ、少年が吹いてとおる痩せてものがなしい葦笛のねいろに黄色く靡いていたい。


当初この原稿を連載にするつもりはなくなしくずしてきに書きはじめ、いきおいテマに乗ってきたのでそのまま連載としてしまうことにした。よって連載していきたい原稿は他にもある。ちなみに本連載の第二回では、カントの薄い本と市川春子さんの『宝石の国』をあわせて何かかく気がしている。予報。
(てっきり『宝石の国』は十二巻で完結しているものとおもっていたが今これを書きながらつい先日続きが完結したと知る。よってわたしの勘違いのまま十二巻までを一作とみたてて書こうとおもう。全篇感想は十三巻の出る秋に送る。)

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