編集後記


 月刊冊子17冊目。去年の四月に再始動してから、季節を一巡した。いつものことながら、じぶんの勝手な思い込みで、この二ケ月、自身の執筆と雑誌編集について、ずいぶん煩悶したような気がする。3月号では自分の原稿のないカタチをとり、じぶんの発起した雑誌でついに自身の文章を発表できなくなるという、袋小路にいった。それと同時に、詩作の方も「分かった」フリをして口先だけでほめあげ、自身のふりまき﹅﹅﹅﹅に利用するようなことされた、というふうな被害妄想にとりつかれ、発表ができなくなるといった状態にあった。わたしにとって詩を発表できなくなるということと、「偏向」上での執筆展開ができなくなることが同時に起こったので、とうぜん生命体としても機能不全におちいらざるをえず、糖分依存症のあくじゅんかんにおちいっていもした。エラと肺をうしない、わずかに皮膚によって呼吸をたもっていた(とはいえたれにみせずとも詩はかける──自然への手紙)。

 いますでに四月の第一週をすぎており、発行は遅れているが、昨夜同人たちと久しぶりにグループ通話したとき、これまで「偏向」で言及された土地をめぐる夏季旅行のことや、12月1日の文学フリマ東京39に二冊目になる『侏羅紀』をまた作って出そうということを彼らははなしていた。それまでにまだ何冊も月刊冊子を出していくことになるが、「偏向」がつづくことがあたりまえの前提となっていることに、ふつと四季をおもった。今日が花の見頃としてはおそらくピークであいかわらず東京は曇りつづきだが、雨でも風でも文句なく咲くから咲く闇ざくらをあおぎながら、糖分過多でけったるいからだをひきずり〳〵、からだのうちにすでに織込まれつつある自然じねんとしての「偏向」に縋るおもいでいきている。

令和六年四月九日未明 白石火乃絵 

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